GHQ仙台民事局「東北地方は凶作続きで可哀想だから、我がアメリカで農業技術を学ばせてあげよう!」(昭和27年9月16日)

敗戦により進駐軍が進出してきたわけだが、東北地方の民政は昭和20年の9月に塩竈から上陸したアメリカ軍第14軍団が、司令部を仙台・郵便貯金ビルに設置し行うこととなった。

そして昭和24年からは軍政をやめ、民政部となったのだが、その時期から仙台に勤務していたC.L.ミラー氏は、「恵まれない」東北の農業発展に尽力していた。

故郷のカンザス州に帰ってからも、東北の人はどうしているだろうかと心にかけており、宮城県知事に対して「東北6県と新潟県の代表者を呼び寄せ、カンザス農大で1か年留学させたい」と手紙を送った。

その結果、第1陣は新潟県と青森県の代表が日本郵船ニューヨーク航路栗田丸で、第2陣は宮城県代表が大阪商船ニューヨーク航路メキシコ丸で出発し、第3陣として以下の代表が選ばれることになった。

  • 福島県園芸試験場長(45)
  • 岩手県農政課主事(33)
  • 山形県農事試験場種芸主任(27)
  • 秋田県農事試験場種芸主任(26)

そして昭和27年9月16日、日本郵船ニューヨーク航路の祥雲丸で横浜港から渡米することになったのである。

岩手県の代表者は以下のように抱負を語った。

東北地方にとってこれまで農業環境が恵まれていなかったのは宿命的だ。
しかし私共はアメリカでまず自然の猛威を克服できる農業技術を体得して帰り、じっくりと東北農村の再興のため努力するつもりだ。

 

 

 


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