軍事

岩手日報の記者が見たベトナム戦争(昭和41年1月11日) m県外・参考

岩手日報の記者が見たベトナム戦争(昭和41年1月11日)

昭和41年1月11の岩手日報には、岩手日報の編集局長が自ら南ベトナムへ飛び、その様子を取材した様子を報じている。 この時期、ベトナム戦争は激化し、民間人への虐殺が相次いでいた。 Wikipediaに記述があるだけでも、以下のようなことが起こっている。 1965年10月にベトナムに上陸した韓国軍は同年…
代議士は挨拶が大切(昭和38年9月9日) i一関・西磐井郡

代議士は挨拶が大切(昭和38年9月9日)

昭和38年9月9日の岩手報知より。 広告欄には、地元選出の代議士・志賀健次郎が挨拶広告を出している。 第2次池田内閣では防衛庁長官を務めていた。 7月18日、池田内閣の内閣改造で防衛庁長官を退任し、その挨拶として9月から10月まで、一関市内にいることにしたのだという。  …
水沢の神社の屋根裏からピストルと銃弾を発見(昭和36年12月7日) h水沢・江刺・胆沢郡

水沢の神社の屋根裏からピストルと銃弾を発見(昭和36年12月7日)

昭和36年12月11日の胆江日日新聞より。 12月7日、水沢市黒石町の岩手堰神社で屋根を修理していると、天井裏からピストル3丁と銃弾192発が発見された。 すぐに、水沢警察署に届けられれたが、これは14年式拳銃2丁とブローニング拳銃1丁であった。 神主も持ち主は全然知らないと言う。 おそらくは、終戦…
釜石市内の帆布業者「トラックの防水シートは米軍払い下げ品がお安いですよ!」(昭和34年5月26日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石市内の帆布業者「トラックの防水シートは米軍払い下げ品がお安いですよ!」(昭和34年5月26日)

昭和34年5月26日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石市内の帆布業者が、梅雨の時期を見込んでトラックの荷台の防水シートに米軍の払い下げ品を特価販売している旨を宣伝している。   この時期、米軍の払い下げ品はどこで手に入れたのだろう。 横須賀か、あるいは三沢か。 あるいは仙台の苦竹・・・? …
久慈市長の訪中に際し壮行会(昭和32年10月15日) c久慈・九戸郡

久慈市長の訪中に際し壮行会(昭和32年10月15日)

昭和32年10月17日のデーリー東北より。 北京市長の招きで、「北日本港湾都市市長団」の三役として久慈市長も中国に行くこととなった。 それに対して、10月15日、市役所別館にて壮行会が150人を集めて行われた。 市長は「漁業、水産物の交易とコルホーズが中国ではどのようになっているかを見極めたい。また…
安家村の薪は引っ張りだこ(昭和32年10月14日) c久慈・九戸郡

安家村の薪は引っ張りだこ(昭和32年10月14日)

昭和32年10月14日のデーリー東北より。 10月になると冬の支度が盛んになる。 木材や製炭材が安くならず、高い木炭を使うよりは薪ストーブを利用しようと言う例が多くなっていると言う。 相場としては、ナラ材で久慈市内では4000円前後、山形村でも3200円前後、雑木でも2700円と言う強気だったと言う…
ソ連の核実験で盛岡でも放射能が6665カウント(昭和32年4月20日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

ソ連の核実験で盛岡でも放射能が6665カウント(昭和32年4月20日)

昭和32年4月20日の岩手日報より。 ソ連の核実験が伝えられ、上空のジェットの風下にあたる日本でも、戦々恐々となっていた。 そのような中、盛岡でも6665カウントの放射能が観測されたのだと言う。 ちなみに、カウントとベクレルの単位については以下のページを参照。    …
北洋船団が函館を出港(昭和31年4月28日) m県外・参考

北洋船団が函館を出港(昭和31年4月28日)

昭和31年4月29日の岩手日報より。 日ソ漁業交渉が難航する中、北洋サケ・マス船団はベーリング海に向けて函館を出港して行った。 この中には岩手県の漁船も多く含まれている。 ちなみに、日ソ漁業条約はこの5月に成立することとなった。           …
岩手東部バス大船渡営業所で火災(昭和31年1月24日) k大船渡・陸前高田・気仙郡

岩手東部バス大船渡営業所で火災(昭和31年1月24日)

昭和31年1月25日の河北新報岩手版より。 1月24日の正午過ぎ、大船渡市の須崎橋にあった岩手東部バスの大船渡営業所で火災があり、35坪を焼いた。 ストーブの傍らのガソリンに引火したものらしい。 ただし昼間で発見は早く、モルタル建築で火が外部に漏れず、炎症を免れ、書類は外に持ち出していたことは不幸中…
遠野に平和大観音が建立(昭和31年1月8日) e釜石・遠野・上閉伊郡

遠野に平和大観音が建立(昭和31年1月8日)

昭和30年12月27日の岩手日報より。 後年、あんべ光俊の「遠野物語」で〽月夜の晩の福泉寺~と歌われた遠野市の福泉寺では、戦没者供養と戦災復興を祈願して、信者3000人の手により平和大観音像が慈眼寺の山頂に建立されることとなった。 高さは43尺(13メートル)であり、台座も含めると実に54尺(16.…
樺太の拓銀に預金のあった人はお申し出ください!(昭和31年1月7日) l全県

樺太の拓銀に預金のあった人はお申し出ください!(昭和31年1月7日)

昭和31年1月7日の岩手日報より。 終戦して10年以上が経過した。 しかし樺太への預金が残っているなど、いろいろな問題が残っていたようである。 それで、北海道拓殖銀行では「樺太に預金があった人は拓銀の各支店に申し出てください」と広告を出している。 確かに、盛岡市内だと青山町には樺太からの引き上げ者が…
岩手県選出の社会党議員が中国の戦犯収容所を視察 a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手県選出の社会党議員が中国の戦犯収容所を視察

昭和30年11月29日の岩手日報より。 岩手県出身で日教組の副委員長まで務め、参議院議員となっている小笠原二三男氏は、1か月の日程で陽春・北京・哈爾浜・瀋陽・上海・長春・撫順と中共の教育事情を視察し、28日に急行「十和田」で盛岡に帰り、「中国の教育は素晴らしいの一言に尽きる!」とベタ褒めしていた。 …
花巻空襲10周年で全市民が黙祷(昭和30年8月10日) f花巻・稗貫郡

花巻空襲10周年で全市民が黙祷(昭和30年8月10日)

昭和30年8月10日の河北新報岩手版より。 この10年前である昭和20年8月10日、花巻町は空襲被害に遭い、死者45名、焼失家屋673戸で盛岡・釜石に次ぐ被害となった。 この日は正午を期し、全市民が黙祷するという。   写真は花巻のメインストリートである上町通り。 勿論まだ花巻デパートもマ…
一関一高で落第制度復活 i一関・西磐井郡

一関一高で落第制度復活

昭和30年3月23日の岩手日日新聞より。 一面で「終戦初の落第制度実施 一高で落第生九人」という見出しで記事が出ている。 一関市の本社がある岩手日日で言う「一高」とは、盛岡一高ではなく一関一高のこと。 岩手県内では盛岡中学に次ぐ2番目の歴史を持ち、第一次安倍政権で「アベノミクス」を支えたという菅原郁…