工業

昭和42年の久慈市5大ニュース(昭和42年12月6日) c久慈・九戸郡

昭和42年の久慈市5大ニュース(昭和42年12月6日)

昭和42年12月9日のデーリー東北より。 久慈市は、市勢ニュースを公募していたが、応募総数が142通あり、12月6日の久慈市広報委員会で以下の通りに決まった。 2年連続豪雨災害 川崎製鉄久慈工場閉鎖 岩手国体の柔道会場に決定 久慈中学校や久慈高校の野球部が善戦 久慈市役所の機構改正   &…
きれいになった釜鉄桟橋(昭和42年11月18日) e釜石・遠野・上閉伊郡

きれいになった釜鉄桟橋(昭和42年11月18日)

昭和42年11月18日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所では、荷役作業の能率向上と環境整備による災害防止の効果を狙い、桟橋改善工事を行っていた。 工事は、桟橋クレーンの延長と軌道改良に伴い舗装化に重点が置かれ、これまで一部ゴタゴタしていた荷役作業現場もスッキリして、気持ちよく働けると作業員から喜ばれた…
ブラザーミシンが釜石に沿岸サービスセンターをオープン(昭和42年11月4日) e釜石・遠野・上閉伊郡

ブラザーミシンが釜石に沿岸サービスセンターをオープン(昭和42年11月4日)

昭和42年11月4日の岩手東海新聞より。 ブラザーは、釜石に「沿岸サービスセンター」をオープンするという。 場所は、釜石駅から大渡橋を渡ってすぐのところだった模様。 ところで橋上市場は「橋上マーケット」と呼んでおり、幹部社員は男子しか募集していなかった時代。    …
釜石製鉄所で品質管理月間(昭和41年11月1日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石製鉄所で品質管理月間(昭和41年11月1日)

昭和41年11月1日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所では、11月1日から1ヵ月間を昭和41年度の品質管理月間と定め「品質管理サークルで品質事故をなくそう、品質改善を推進しよう」というテーマで運動を展開していくことにした。 この時期、品質の向上こそが鉄鋼市場での重要なウェートを閉めており、品質の保証な…
釜石製鉄所の第一高炉がいよいよ火入れ(昭和41年7月7日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石製鉄所の第一高炉がいよいよ火入れ(昭和41年7月7日)

昭和41年7月6日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所の第一高炉はいよいよ7月7日に火入れ式を行うと言う。 この時期の釜石製鉄所の従業員数は6300人いたと言う。 この高炉の改修は、国内の鉄鋼業界でも類を見ない工期52日間で達成し、無死亡記録を樹立したものであると言う。 この高炉は、鋳物用銑で需要量に見…
運行終了した釜石の「社線」の機関車が1両保存されることに(昭和40年10月13日) e釜石・遠野・上閉伊郡

運行終了した釜石の「社線」の機関車が1両保存されることに(昭和40年10月13日)

昭和40年10月13日の岩手日報より。 釜石鉱山から釜石製鉄所まで、鉄鉱石を運んできたいわゆる「社線」は、今年の3月28日に運行を終了した。 これまで熱心に撤去運動を進めてきたとは言え、釜石の発展に尽くしてきた事は確かで、機関車を保存することになった。 製鉄所側もこれを了承し、1台の機関車を、釜石市…
釜石製鉄所では社線撤去に向けた諸工事(S39.9.2岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石製鉄所では社線撤去に向けた諸工事(S39.9.2岩手東海新聞)

釜石では、昭和25年の時点で釜石線が釜石鉱山からの「社線」に並行して開業していたが、釜石鉱山からの鉄鉱石輸送がすぐに釜石線に移行したわけではなかった。 そして、自動車が増えてからは道路交通の邪魔となっていた。 しかし、やっとのことで撤去の運びとなりそれに向けた工事が進んでいた。  …
釜石製鉄所の溶接用の鋼材にもJISマークを認可(昭和39年6月5日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石製鉄所の溶接用の鋼材にもJISマークを認可(昭和39年6月5日)

昭和39年6月5日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所の重要製品として、線材とともにSM材(溶接構造用圧延鋼材)があった。 これを高級化し、品質の研究改善が行われ、ついには通産省からJIS表示の正式認可を受けたのだと言う。 SM材は、特に溶接性に優れており、船舶造船や建築プランとや橋梁や車両など幅広く使…
釜石・鈴子温水プールが解体開始(昭和39年6月1日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石・鈴子温水プールが解体開始(昭和39年6月1日)

昭和39年6月3日の岩手東海新聞より。 一時期は「東北唯一の温水プール」として、冬季水泳大会も行われた釜石製鉄所の鈴子プールが、6月1日から解体を始めた。 鈴子プールは、三鬼隆が昭和11年に防火用の貯水池として作ったのが始まりであり、それまでプールのなかった釜石市のために、プールとして釜石市民に開放…