事故 11月 1日 1985 【参考】日航ジャンボ機墜落事故東京都関係者慰霊追悼式(S60.11.1中日ニュース) 岩手県にも関係者がいたのだろか。 https://youtu.be/PT5rI3jiSL4?si=vqmTeL5L_nIQLpXI … 続きを読む
事故 8月 12日 1985 【参考】日航ジャンボ機墜落事故 昭和60年8月12日。 個人的には小学校の夏休みで、ぼんやりとテレビを見ていた。 お婆さんが線路をトボトボ歩いていたら突然、「日航機がレーダーから消える」というニュース速報が入ってきた。 「レーダーから消える」という文面に、言い知れぬ不気味さを感じたものだった。 翌日のニュースは、この事故一色になっ… 続きを読む
m県外・参考 5月 26日 1978 【参考】成田空港から1番機が運航開始(S53.5.26中日ニュース) 成田空港の建設は、土地収用などの経緯から強い抵抗に遭うことになり、過激派が入り込むことにもなった。 それで一番機の運航は、非常に物々しい厳戒状態での出発となったのである。 https://youtu.be/GZxB784vSXA… 続きを読む
m県外・参考 1月 16日 1976 【参考】羽田空港の北側に水鳥の楽園(S51.1.16中日ニュース) 羽田空港の北側は、大井ふ頭と言う埋立地止まっていたが、そこにできた沼地が水鳥の楽園となっていたと言うニュース。 https://youtu.be/d-Vwwr-BRI0 … 続きを読む
事件・犯罪・司法 4月 5日 1970 【参考】「よど号」帰還(昭和45年4月5日) 昭和45年4月5日、日航機「よど号」が平壌から帰還。 中日ニュースより。 https://www.youtube.com/watch?v=9q4GP22BG0Y… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 2日 1966 日通観光釜石支店「花巻空港から東京・伊豆・箱根旅行団!」(昭和41年3月2日) 昭和41年3月2日の岩手東海新聞より。 日通観光釜石支店と岩手東海新聞は合同で、東京・伊豆・箱根への旅行団を募集していた。 花巻空港はこの広告記事の2年前の昭和39年に開港している。 費用は総額で19,600円であった。 現在であれば、10万円以上の額になるだろうか。 岩手〜東京の移動… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 2月 1日 1966 羽田~花巻にYS11が就航し、八戸便と分離します!(昭和41年2月1日) 昭和41年1月14日の岩手日報より。 羽田~花巻は、これまで八戸便の途中寄港という形を取っていたが、利用客が増えたことにより2月1日から羽田~花巻と羽田~八戸を分離することに。 そして、花巻便の機材をコンベア240からYS11に変更し、八戸便の機材はコンベア240にするという。 ダイヤは以下の通り。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 4月 1日 1965 花巻空港開港1周年で滑走路で鹿踊り(昭和40年4月1日) 昭和40年4月2日の岩手日報より。 花巻空港は4月1日で開港1周年を迎えた。 そこで、市長以下多数が集まって記念式典を行った。 空港のエプロンでは鹿踊りを披露したり、機長に祝賀メッセージを託すなど。 当時の花巻便は日本国内航空であった。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 4月 1日 1965 花巻空港開港1周年を開港1周年を迎えて(昭和40年4月1日) 昭和40年4月1日の岩手日報より。 花巻空港は開港1周年を迎えた。 とは言っても、まだまだ庶民の足ではなかった。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 12月 21日 1964 花巻空港開港1年目の年末帰省シーズン、羽田~花巻の航空便も満席(昭和39年12月21日) 昭和39年12月21日の岩手日報より。 この年から花巻空港が開港し、岩手県への移動に「飛行機」という選択肢が増えたが、年末の規制のシーズンになり、12月28日以降は満席であると報じられた。 ちなみに増便の予定はないという。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 4月 1日 1964 花巻空港開港 IBC「いわてアーカイブの旅」より。 昭和39年4月1日、花巻空港が開業。 https://www.youtube.com/watch?v=tfReq0jOG1c… 続きを読む
m県外・参考 6月 20日 1963 東京〜八戸〜札幌の定期便が就航 昭和38年6月20日、北日本航空が東京〜八戸〜札幌の定期便を開設。 機材はコンベア240で、ダイヤは以下の通りであったという。 札幌8:30〜八戸9:40〜羽田12:00 羽田13:00〜八戸15:00〜羽田16:30 当日の八戸空港は、札幌市長から八戸市長へのメッセージ公開や、ミス八戸による郷土玩… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 30日 1963 普代村から盛岡にヘリコプターで救急搬送(S38.3.30岩手日報) 普代村で、がけ崩れに巻き込まれた中学生が自衛隊のヘリコプターで盛岡に緊急搬送され、手術が成功したというニュース。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 25日 1958 一関専門店会が抽選で飛行機で東京にご招待(昭和33年7月25日) 昭和33年7月25日の岩手報知より。 一関専門店会は、抽選で何時になるかわからないが仙台空港から飛行機で東京に招待すると言う。 一関なので、なんといっても空港は仙台空港が近いのだろう。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 7日 1952 国内航空路が再開し、岩手でも飛行機旅行をする人が増える(昭和27年9月7日) 敗戦による軍事技術の禁止により、日本の航空路も一切禁じられていたところ、昭和26年10月25日には、戦後初の国内民間航空定期便として羽田~伊丹~福岡が復活、その後11月1日に羽田~三沢~千歳が復活した。 盛岡市内では交通公社で飛行機の切符を買うことができたのだが、まったく売れなかった。 昭和27年に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 9日 1950 春の訪れは銀翼と銀輪に乗って(昭和25年2月9日) 昭和25年2月9日の新岩手日報より。 飛行機と自転車が春の訪れを伝えると言う写真記事。 自転車の方が渡っている橋は、明治橋であると言う。 … 続きを読む
l全県 12月 1日 1943 千葉県の第二海軍航空廠で工員募集(昭和18年12月1日) 昭和18年12月1日の新岩手日報より。 求人広告では、千葉県の第二海軍航空廠で工員を募集している旨。 第二海軍航空ショーとは、現在の航空自衛隊木更津分屯基地となる。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 3日 1934 三陸大津波に対する東京での動向 昭和8年3月3日に三陸大津波が発生、東北地方で甚大な被害が発生する。 翌3月4日の読売新聞では、むしろ宮城県での被害を大きく報じている。 見出しは以下のようになっている。 惨!生地獄の三陸 震水害地の実地踏査記 宮城県 セメントの空樽に納棺 涙で形ばかりの手向 右往左往哀れ罹災者群 から桑村地方の惨… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 1日 1930 西磐井郡老松村から少年航空兵(S5.3.1岩手日報) 県内では海軍志願兵徴募検査が行われていたが、西磐井郡老松村(現:一関市花泉町)から少年航空兵が出たことを報じている。 … 続きを読む
l全県 3月 1日 1930 少年航空兵に県内でも相応な数が応募(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 この年から、海軍では少年航空兵を募集することになった。 横須賀鎮守府管内では40名の枠であったが、岩手県内だけでも相当の数の志願者があることを報じている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1930 盛岡に「航空少年団」(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 昭和初期、盛岡には伊東左内という飛行家がおり、当時の陸軍の根拠地である観武ヶ原(現在の盛岡市みたけ一帯)に「伊東飛行場」という飛行場を個人で持っていたという。 (詳細は以下のブログにも詳しい) この伊東氏が、市内中心部の仁王・内丸・日影門・本町の10~18歳の少年1… 続きを読む