鉄道・軌道

【参考】中央本線・上諏訪駅が「温泉駅」に(S61.9.16中日ニュース) g北上・和賀郡

【参考】中央本線・上諏訪駅が「温泉駅」に(S61.9.16中日ニュース)

膨大な赤字に悩んでいた国鉄なりにも、あの手この手で名物駅にしようと営業努力をしていた。 そのような中で、中央本線上諏訪駅は、「温泉駅」として、乗客に人気となっていた。 ちなみに、岩手県内では、北上線の陸中川尻駅が「ほっとゆだ駅」となるのは、この5年後の平成3年のこと。 https://youtu.b…
三陸鉄道開業(昭和59年4月1日) c久慈・九戸郡

三陸鉄道開業(昭和59年4月1日)

昭和59年4月1日、三陸鉄道開業。 その日を大槌小学校の3年生として迎えたが、当時のことは割とよく覚えている。 開業前から「三陸縦貫鉄道」に関して何やらよくテレビでニュースをやっていた。 そして「日本で初めての第三セクター鉄道」というのが誇らしかった。 釜石に行くと、釜石駅から大渡橋に行く途中の「3…
【参考】東京ディズニーランドが開場 備考※1

【参考】東京ディズニーランドが開場

千葉県浦安市に東京ディズニーランドがオープン。 https://www.youtube.com/watch?v=fG_lr4d9hwI&t=57s もちろん岩手とは直接関係ないので、ディズニーランドがオープンしたころ、岩手からディズニーランドに行った時の思い出を。 それは小学校低学年の頃で、…
花巻電鉄全線廃止 f花巻・稗貫郡

花巻電鉄全線廃止

花巻駅と花巻温泉郷を結ぶ花巻電鉄が赤字体質だったのは、昭和30年代からのことだったようである。 それは、自家用車保有率の向上つまりモータリゼーションによるものだった。 昭和44年にはあの馬面電車でゆうめいな花巻~西鉛温泉の軌道線が廃止となり、花巻~花巻温泉間の鉄道線だけが残っていたが、「走れば走るほ…
盛岡からも大阪万博へ行こう!(昭和45年4月29日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡からも大阪万博へ行こう!(昭和45年4月29日)

昭和45年と言えば岩手国体の年であるとともに、大阪万博の年でもある。 国鉄ではこれ幸いと切符の売り出しに精を出していた。 IBC「いわてアーカイブの旅」は2016年4月29日の放送であるというので、ちょうどこの時期だったのではないだろうか。 ということで昭和45年4月29日に配する。 https:/…
国鉄盛線が開通 k大船渡・陸前高田・気仙郡

国鉄盛線が開通

IBC「いわてアーカイブの旅」より。 現在は三陸鉄道となっている盛線は、まず盛~綾里が開通した。 大船渡線系統はキハ22が主だったらしい。 車両基地は一ノ関であると考えられるが、山田線や釜石線ほどの勾配はなくこれでも十分という判断だったのだろう。 https://www.youtube.com/wa…
農繁期になると子供の線路遊びが増える l全県

農繁期になると子供の線路遊びが増える

昭和42年5月8日の岩手日報より。 5月に入り、農繁期に入ると、子供の面倒を見る暇がなくなり、子供が危険な遊びに走るようになるという。 その一つが線路遊び。 線路に侵入して置き石をしたり、列車に石を投げたり。 盛岡鉄道管理局では、この5月を「列車妨害防止月間」として、沿線各市町村に協力を要請したのだ…
さよなら蒸気機関車「D62」(昭和41年9月30日) i一関・西磐井郡

さよなら蒸気機関車「D62」(昭和41年9月30日)

IBC「いわてアーカイブの旅」より。 「日本最大の機関車」として戦時中に活躍したD52型蒸気機関車は、あまりに重量が重いことで入れる路線が限られており、戦後になると持て余されるようになった。 そもそもD52が必要になるような輸送量の大きい路線は、とっくに電化が進んでいたからだ。 それで、昭和25年に…
大槌駅前の舗装で「駅前田んぼ」が解消(昭和41年7月1日) e釜石・遠野・上閉伊郡

大槌駅前の舗装で「駅前田んぼ」が解消(昭和41年7月1日)

昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 この当時の大槌町の古館町長は「道路町長」と呼ばれ、町内のほとんどの道路を舗装することに力を入れていた。 山田線の大槌駅前の道路もまた、雨が降れば「駅前田んぼ」として長靴に履き替えてあるかなければならないほどであったと言う。 このため、失業対策事業として、簡易舗…
横黒線に強力除雪機関車「DD14」が出動!(昭和41年2月2日) g北上・和賀郡

横黒線に強力除雪機関車「DD14」が出動!(昭和41年2月2日)

昭和41年2月2~3日の岩手日報より。 県内有数の積雪地帯を走る横黒線では、この冬は記録的な豪雪に悩まされていた。 昭和40年12月~41年1月の間で、102本の列車が運休。 応援として盛鉄局管内の青森機関区や、秋鉄局に属する横手機関区からラッセル車を応援させていたほか、雪崩危険個所のヘリコプターに…
年末年始は釜石から上野まで座って行ける「第2陸中」で!(S40.12.27岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

年末年始は釜石から上野まで座って行ける「第2陸中」で!(S40.12.27岩手東海新聞)

年末年始の規制シーズン、釜石駅では盛岡鉄道管理局に、上野から直通の臨時列車を運行するようお願いしていた。 それが「第2陸中」で、1等車1両、2等車4両の5両編成であったという。 また、釜石線・山田線は自動閉塞化が進んでいたという。    …
馬場検事総長が「くりこま1号」で来盛(昭和40年10月14日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

馬場検事総長が「くりこま1号」で来盛(昭和40年10月14日)

昭和40年10月15日の岩手日報より。 馬場義次検事総長が、東北5県の地方検察庁の視察のために、急行「くりこま1号」で盛岡に来た。 この馬場検事総長、昭和32年には売春汚職事件で検察内部の権力争いを繰り広げ、偽情報をつかませて読売の記者を自殺にまで追い込んだという。    …
運行終了した釜石の「社線」の機関車が1両保存されることに(昭和40年10月13日) e釜石・遠野・上閉伊郡

運行終了した釜石の「社線」の機関車が1両保存されることに(昭和40年10月13日)

昭和40年10月13日の岩手日報より。 釜石鉱山から釜石製鉄所まで、鉄鉱石を運んできたいわゆる「社線」は、今年の3月28日に運行を終了した。 これまで熱心に撤去運動を進めてきたとは言え、釜石の発展に尽くしてきた事は確かで、機関車を保存することになった。 製鉄所側もこれを了承し、1台の機関車を、釜石市…