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年始広告も「初春のお慶び」ではなく「初春のごあいさつ」(昭和64年1月1日) l全県

年始広告も「初春のお慶び」ではなく「初春のごあいさつ」(昭和64年1月1日)

昭和64年1月1日の岩手日報の広告欄に掲載された県内各企業の広告は、ことごとく「初春のお慶びを申し上げます」ではなく「謹んで初春のごあいさつを申し上げます」。 天皇陛下が御危篤の状態で自粛ムードとなっており「慶び」という雰囲気ではなかったのだ。    …
岩手日報の記者が見たベトナム戦争(昭和41年1月11日) m県外・参考

岩手日報の記者が見たベトナム戦争(昭和41年1月11日)

昭和41年1月11の岩手日報には、岩手日報の編集局長が自ら南ベトナムへ飛び、その様子を取材した様子を報じている。 この時期、ベトナム戦争は激化し、民間人への虐殺が相次いでいた。 Wikipediaに記述があるだけでも、以下のようなことが起こっている。 1965年10月にベトナムに上陸した韓国軍は同年…
岩手日報も岩手民声新聞の1000号を祝福(昭和37年1月12日) h水沢・江刺・胆沢郡

岩手日報も岩手民声新聞の1000号を祝福(昭和37年1月12日)

昭和37年1月12日の岩手民声新聞より。 江刺市に本社のある岩手民声新聞は、昭和37年の元旦号で1000号を迎えることになった。 そこで、岩手県の県域紙であ岩手日報も祝福の広告を出していた。   ところで、上の「富める国アメリカは殺人、狂人が世界一多いのである」という物騒な記述は、社会党か…
釜石市内でカメラ紛失しました。姓名在社(昭和36年4月24日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石市内でカメラ紛失しました。姓名在社(昭和36年4月24日)

昭和36年4月24日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石市内の誰かがカメラを2台紛失したらしい。 1台目のオリンパスペンは大町2丁目~釜石駅でタクシーに乗っている時に忘れたもの。 2代目のマミヤ16mmは五ノ橋(釜石駅から中妻方面に行くときの橋)~堀内医院の間の社線の傍で落としたもの。 写真が趣味では…
釜石に巡礼者(昭和35年9月5日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石に巡礼者(昭和35年9月5日)

昭和35年9月5日の岩手東海新聞より。 一発写真記事で「一人の巡礼者が釜石を訪れた」と言うので、天神町で撮影したのだという。 天神町と言えば釜石市役所の山側の、現在であれば国道45号線鳥谷坂トンネルの入り口となるが、この当時はまだ開通していない。 パンを買って木陰で休んでいるところを撮ったのだという…
仙人道路の開通を期して岩手東海新聞社の新社屋建設中(昭和34年5月23日) e釜石・遠野・上閉伊郡

仙人道路の開通を期して岩手東海新聞社の新社屋建設中(昭和34年5月23日)

昭和34年5月23日の岩手東海新聞より。 この時期の釜石は、花巻に通じる仙人道路の開通を待ち望んでいる時期であった。 その仙人道路の開通に合わせて、地元の岩手東海新聞も社屋を新しくし、版型もタブロイド判からブランケット判にする予定であった。 5月22日にはコンクリート注入工事に入っている。 完成の暁…
一関市は皇太子殿下のご成婚に何の祝賀行事もしないとは(昭和34年4月11日) i一関・西磐井郡

一関市は皇太子殿下のご成婚に何の祝賀行事もしないとは(昭和34年4月11日)

昭和34年4月11日の岩手報知より。 前日、皇太子殿下のご成婚があり、全国挙げての祝賀ムードだった。 しかし、一関市は特段の祝賀行事は行わなかったようである。 岩手報知新聞はこのことに対し、以下のように憤りを隠さない筆鋒で批判する。 ところで一関市の場合は慶祝的な行事は華道展位なものでその他は商魂た…
昭和33年の岩手県10大ニュース l全県

昭和33年の岩手県10大ニュース

昭和33年12月13日の岩手日報によれば、「読者が選んだ県内十大ニュース」は以下の通りであったという。 国鉄職員ら6人が八幡平で遭難(560票) 盛岡で一家3人殺し(511票) 台風21・22号大荒れ(474票) 農民の父、国分謙吉翁死去(431票) 岩教祖の勤務評定反対闘争(424票) 四十五年来…
修学旅行は岩手日報事業団の旅行会で! a盛岡・岩手郡・紫波郡

修学旅行は岩手日報事業団の旅行会で!

昭和33年4月19日の岩手日報の広告欄より。 新聞社はなぜか旅行会社も持っていることが多い。 大手町の産経新聞もそうだった。 朝日新聞にも「朝日旅行」があるし、読売新聞にも「読売旅行」がある。 これは新聞記者の「夜討ち朝駆け」でいつしか庶務部門が「旅行会社」のスキルまで獲得してしまったということなの…
休刊していた岩手新報が「岩手新聞」として復刊(昭和27年5月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

休刊していた岩手新報が「岩手新聞」として復刊(昭和27年5月1日)

昭和27年5月1日の岩手新聞より。 …というか岩手新聞? それはどこの新聞? …と思うところであるが、岩手新報と同じマイクロフィルムのリールに入っていたので、これが4月1日に休刊した岩手新報の後継となるのだろう。 しかし、下の広告には「岩手新報からの復刊」というよりは、全く新しい「創刊」というニュア…