備考※5

江刺・赤金鉱山の住民「小学校の学区をバスの本数の多い方にして欲しい」(昭和36年11月27日) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺・赤金鉱山の住民「小学校の学区をバスの本数の多い方にして欲しい」(昭和36年11月27日)

昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 江刺市伊手の奥には同和鉱業赤金鉱山があった。 この赤金地区の児童90人は、4km離れた上伊手小学校に通っていたのだが、その上伊手に行くバスは1日6回しかないのだという。 しかし、5km離れた伊手小学校であればバスの便は33本あるので、こちらの方が通いやすい…
釜石の編物人形教室は生徒募集中(昭和35年9月3日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石の編物人形教室は生徒募集中(昭和35年9月3日)

昭和35年9月3日の岩手東海新聞より。 広告欄では、釜石市大只越町の編物人形教室が生徒さん募集の広告を出している。 そういえば釜石の青葉通りの近くに「明峰幼稚園」というのがあったのは覚えている。 たしかお寺に付属した幼稚園だった。   その明峰幼稚園であるが、釜石出身の方のブログによれば、…
釜石では普及度の低い「ポリライス」(昭和35年9月3日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石では普及度の低い「ポリライス」(昭和35年9月3日)

昭和35年9月3日の岩手東海新聞より。 釜石市内で栄養強化米「ポリライス」が売り出されて1ヶ月になるという。 しかし売れ行きはさっぱりだった。 ただし、中流家庭からは人気があるようで、西釜石(小佐野とか甲子とか?)と東釜石(大渡とか只越とか?)を比べると、小佐野・中妻を含む西釜石の方が売れ行きが良い…
気仙地方では麦踏みが始まる(昭和35年1月13日) k大船渡・陸前高田・気仙郡

気仙地方では麦踏みが始まる(昭和35年1月13日)

昭和35年1月13日の岩手日報より。 記事中の記述をそのまま借りれば「雪を知らない気仙地方ではもう麦ふみが始まった」。 麦踏みというのは、麦の新芽の段階で踏圧することで、耐寒性を高めるのだという。   令和の現在、気仙地方で麦の生産が盛んであるという印象はない。 JA大船渡のホームページに…
東北大「山田町は赤皿貝の養殖に適してますよ!」(昭和35年1月11日) d宮古・下閉伊郡

東北大「山田町は赤皿貝の養殖に適してますよ!」(昭和35年1月11日)

昭和35年1月11日の岩手日報より。 下閉伊郡山田町は、東北大学生物学教室に依頼し、山田湾の赤皿貝の養殖について調査を行っていた。 その結果。養殖に有望な敵地であるという結果を得ることができた。 それまで、赤皿貝の養殖というと青森県の西平内海岸で透析して付着させる、会の耳に穴をあけてビニールの紐に吊…
一関では最高気温17.6℃(昭和34年4月4日) i一関・西磐井郡

一関では最高気温17.6℃(昭和34年4月4日)

昭和34年4月4月の岩手報知より。 この日は一関の最高気温は十六度七分と今年の最高を示した・・・のだというが、この記事の見出しは「最高気温17度6分」で、一体全体17.6℃なのか16.7℃なのか判然としない。 また、盛岡地方気象台では4月3日15時に「異常乾燥注意報」を発表したようである。 ともかく…
「戦場にかける橋」盛岡国劇で封切上映 a盛岡・岩手郡・紫波郡

「戦場にかける橋」盛岡国劇で封切上映

昭和33年5月20日の岩手日報では、盛岡国劇で「戦場にかける橋」が封切になる旨の広告が出されている。 「戦場にかける橋」は言うまでもなく1957年英米合作の戦争映画で、収容所長役の斎藤大佐役を演じた早川雪洲はアカデミー助演男優賞にノミネートされている。 日本での初封切は前年1957年の12月22日で…
江刺と金ヶ崎を結ぶ岩瀬橋が落下寸前で重量制限(昭和32年8月7日) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺と金ヶ崎を結ぶ岩瀬橋が落下寸前で重量制限(昭和32年8月7日)

昭和32年8月15日の岩手民声新聞より。 8月5日の豪雨で、金ヶ崎の国道の渋川橋が落下寸前となってしまい、自動車は(水沢ではなく)岩谷堂を経由するルートを取ることになった。 しかしこの岩谷堂ルートにしても時ならぬ自動車ラッシュで岩瀬橋が落下寸前となってしまい8月7日から4トン制限を敷くこととなった。…
宮沢賢治が設計した花壇の設計図(昭和31年2月8日) f花巻・稗貫郡

宮沢賢治が設計した花壇の設計図(昭和31年2月8日)

昭和31年2月8日の河北新報では、「宮沢賢治が設計した花壇の設計図が発見された」というニュースが報じられている。 そもそも、宮沢賢治は詩や小説を専業にしていたわけではなく、盛岡高等農業学校(現:岩手大学農学部)を卒業してからは花巻農学校(現:花巻農業高校)の教員や、東北砕石工場の技師を務めたりもして…
胆江地方に早くも初霜(昭和28年10月15日) h水沢・江刺・胆沢郡

胆江地方に早くも初霜(昭和28年10月15日)

昭和28年10月16日の胆江日日新聞より。 10月15日の朝は初霜があったという。 水沢緯度観測所によれば、朝の気温は2.2℃で、前年より11日早く、平年より3日早かったのだという。 水沢緯度観測所でも気象観測を行っていたようだ。 これを気象庁ホームページで確認してみると、盛岡ではこのシーズンで初め…
「アナタハンの女王」比嘉和子が一関に来ます!(昭和28年9月22日) i一関・西磐井郡

「アナタハンの女王」比嘉和子が一関に来ます!(昭和28年9月22日)

昭和28年9月22日の岩手日日より。 一関の新星劇場では、「アナタハン島の真相はこれだ」を上映するという。 「アナタハン島の真相はこれだ」は昭和28年4月10日公開の新大都映画。 新大都映画とはあまり聞かない名前だが、zames_makiさんという方のブログによれば、「1953年頃に際物作品をわずか…
三船十段は一関中学(現:一関一高)に在学していたことが判明(昭和28年8月25日) hスポーツ

三船十段は一関中学(現:一関一高)に在学していたことが判明(昭和28年8月25日)

昭和28年8月25日の岩手日日より。 8月30日に一関小学校で開催される予定の「岩手宮城対県柔道試合」に審判長として来る予定であった三船久蔵十段は一関にいたことがある、ということを一関市柔道会長があきらかにしたという。 いわく、 三船十段は久慈で生まれたが、明治23年に小学校5年生の頃実兄の勤め先で…
豊作なのに精米所の能力が足りず配給が遅滞(昭和25年9月28日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

豊作なのに精米所の能力が足りず配給が遅滞(昭和25年9月28日)

昭和25年9月28日の岩手日報より。 この年は食糧事情が好転し、米食率が73%で「戦後最良」であったという。 というか、73%しか米を食べれなくても、それは「良い方」だったらしい。 ともかくも、配給は「いも」「粉」に代わって米が1か月に22日分も配給されたのだという。 しかし、精米所が足りず遅配とな…
花巻で電話が磁石式から共電式に(昭和25年9月28日) f花巻・稗貫郡

花巻で電話が磁石式から共電式に(昭和25年9月28日)

昭和25年9月28日の岩手日報より。 花巻町の電話が、磁石式から共電式に変更になる旨、花巻電話局に通知があった。 近く本格的な工事に取り掛かるということで、花巻町が「花巻市」になることを見込んで、余裕のある要領にするように計画されるといい、共同線の「鈴なり電話」も解消される見込みであるという。 &n…
東北の一級酒審査の合格率は岩手が筆頭(昭和25年9月27日) l全県

東北の一級酒審査の合格率は岩手が筆頭(昭和25年9月27日)

昭和25年9月28日の岩手日報より。 昭和25年度の一級種審査会は、9月27日10時から仙台国税局で国立醸造試験所長を招き行われた。 審査項目は官能検査(実際に味わう)、化学審査で、東北6県の116店のうち、95点が一級種として合格した。 県別の合格率は以下の通り。 青森 84.6% 岩手 92.3…
GHQ東北民事部オースチン教育課長が盛岡に来て県教育長と会談(昭和25年9月26日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

GHQ東北民事部オースチン教育課長が盛岡に来て県教育長と会談(昭和25年9月26日)

昭和25年9月27日の岩手日報より。 GHQ東北民事部のオースチン教育課長が、岩手県内の敎育状況視察の為に9月26日に盛岡に来て県教育長や教育委員と懇談した。 その席上、以下のようなことを述べた。 11月に予定されている教育委員の選挙は、組合色の強い教員の立候補はよくない。PTAが中心に政治色の無い…
赤川用水路通水式で関係各村はお祝い広告(昭和23年7月14日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

赤川用水路通水式で関係各村はお祝い広告(昭和23年7月14日)

昭和23年7月14日の岩手新報の広告欄より。 赤川用水路の通水式が行われ、関係各村からもお祝い広告が出されている。 村役場が直接出してるだけでも岩手郡巻堀村、渋民村、大更村と、松尾鉱山のふもとの赤川を農業用水に使っている各村から出されていた。 ただし、この赤川用水路は松尾鉱山の垂れ流す酸性水で何年も…
盛岡ではもっきり酒も公定価格(昭和16年10月31日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡ではもっきり酒も公定価格(昭和16年10月31日)

昭和16年11月2日の岩手日報より。 盛岡では居酒屋のもっきり酒の適正配給を図るために「第二盛岡飲食店組合」が結成され、10月31日の夜に結成総会が開かれた。 盛岡警察署長と盛岡税務署長が顧問となった。 そしてもっきり酒の公定価格を以下のように定めた。 1合 上等 25銭 1合 並等 22銭 &nb…
農家なら気になる「二百十日」、昭和6年はどうなる…?(昭和6年9月1日) m県外・参考

農家なら気になる「二百十日」、昭和6年はどうなる…?(昭和6年9月1日)

一年の節目の一つに「二百十日」というのがある。 これは、立春から数えて210日目のことを言い、毎年9月1日がこれに当たる。 この日は昔から台風がよく来ると言われており、せっかく育ててきた稲が台風で被害に遭うか遭わないかという重大な瀬戸際でもあったから、農家にとっては非常な一大事でもあった。 そこで、…
大正天皇が崩御し、昭和に改元したとき盛岡市内では(昭和元年12月26日) 0_主要ニュース

大正天皇が崩御し、昭和に改元したとき盛岡市内では(昭和元年12月26日)

大正天皇崩御まで 病弱であった大正天皇は、大正15年8月には葉山御用邸で療養することになる。 そして11月にはその病状が毎日報道されるようになり、全国では快癒祈願が行われるようになる。 岩手県内でも例の一部を挙げるだけでも以下の通りとなる。 ・吹雪の中、飯岡尋常高等小学校生徒が村社で大正天皇の平癒祈…