ツーマンバスの思い出
2020年7月16日 2020年10月10日
岩手県交通が発足する前の岩手中央バスや岩手県南バスは、それはもう組合活動が盛んでしょっちゅうストを打っていた。
そのことは、岩手県南バスの組合史にも載っている。
「ワンマンカー反対闘争」が各営業所で繰り広げられ、昭和51年に岩手県交通が発足してからもまだまだツーマン車が残っていた。
それで、物心付いてからもツーマン車に乗ることができたのだが、それは昭和55〜6年ぐらいだったのではないかと思う。
千葉県から従姉が遊びに来た。
そしてその従姉妹と2人で別の親戚の家に行った時、中扉のツーマン車に乗ったのだ。
ついでに言うとそのバスの塗色は県南バスカラーだった。
バスに乗ったら最前列が良いに決まっている。
その一番前の席をめぐって、従姉と泣きながら喧嘩してしまった。
お互い、小学校に入るか入らないかの頃である。
結局、車掌のお姉さんの取りなしで、最前列の席に補助席を出してもらって、どうにか仲良く2人で前に座ることができたのだった。
あの頃20代のお姉さんだった車掌さんも既に60代の坂を超え、お孫さんもおられ悠々自適だろうか。
この写真の国鉄バスのツーマン仕様は「岩泉」行きとなっている。
岩泉からツーマンで、小川や小本や安家方面へ行っただろうか。
ところで、前面窓が曇りガラスになっているが、これもまた2016年の「G事件」のサバイバーで殺虫剤を浴びた車両である。