名古屋だかいうガンダーラ
2020年7月19日 2020年11月1日
山田線で国道45号線旧道沿いの女遊部のトンネルを抜けると製鉄所の溶鉱炉が見え、釜石線と合流して釜石駅に到着する。
現在、シープラザ釜石のあるあたりは。かつては操車場のようになっており、貨車が犇めいていた。
その貨車の常備駅は「新興駅」だったり「東名古屋港駅」だったりした。
東京ですら1年に1回行くか行かないかだった頃のこと、名古屋なんてはるか遠くの、それこそ当時堺正章が主演だったテレビドラマ「西遊記」でいう天竺のような存在だった。
すべての世界は、そのリアス式海岸の谷の中で閉じていたのだ。
今のように、あちこちに移動できる時代から見れば。どうやって生きていたんだろうとすら思えるほどである。
自由過ぎて糸の切れた凧のようになってしまった。
そういえば冒頭の「女遊部」の話に戻ると、県南バス色のバスで、行先が「女遊部」のバスがあったような気がする。
鵜住居行きだったのか釜石駅方面行きだったのかは分からないが、古い「岩2」の車輛にはそんな幕があったので、旧道経由のバスは残っていたのだろう。
「80s岩手のバス”その頃”」によれば、少なくとも鵜住居~女遊部間は昭和63年の時点では残っていたようである。