図鑑の中の存在だったDD53
国鉄にDD53というゴツいディーゼル機関車があったのは知っている。
ただしそれは図鑑の中の存在でしかなかった。
そもそも、DD53とはどのような機関車であるか。
Wikipediaでよみかじる限りの知識ではあるが、昭和30年台後半に製造されたDD14では日本海側の重いベタ雪には対応できず、それで出力の高い除雪機関車DD53が製造された。
それが昭和40年のことである。
つまりパウダースノーの盛岡や、太平洋側で雪がそれほど降らない釜石には、元々入りようの無い機関車だったのだ。
ロータリーヘッドもまたゴツい。
DD51と同じ2000馬力をそのまま除雪に振り向け、後ろからDE10に押してもらうという運用もしていたというから凄い。
夏はその威力を持て余していたわけではなく、DD51と一緒に貨物列車の先頭にも立っていたという。
後年、旭川に転属した車両は、除雪以上に塩狩峠の補機として使用されていたのだという。
また、新庄機関区に転属した車両は、あまりの威力の強さに住宅地で問題を起こし、山形近郊に入れず楯岡〜横手の限定運用で入っていたのだという。
つまり・・・
盛鉄局に一番近い所での運用は、北上線に一番近い横手ということになる。
やはり北上線沿線は岩手県内でも最も積雪のある地域である。
東北新幹線の開業前、キハ181の特急「あおば」や急行「きたかみ」として仙台〜秋田間の連絡路線として機能していた頃であれば、もしかしたら盛岡機関区北上支区に配置されていた可能性も・・・なくはなかったのではないだろうか。
ところで、当線に入線するに際し、動力化する時はちょっとした大工事になってしまった。
Bトレインの2軸用の動力ユニットの四隅を削って車体を載せるという操作をしなければいけなかった。
そうして竣工して入線したはいいが、どうやって運用させようかね。。。
ちなみに、ロータリーヘッドは布かヤスリを付けてレールクリーナーとして使えるのだという。