コーヨーソクシン
団地にはDQN住民・・・というよりは日本の習慣を理解しない外国人が増えている模様。
「隣から異臭、上では深夜に運動会。下の住民は天井を棒で突いてきて…。この団地、ヤバい人しか住んでません」(地域不明・50代男性) – https://t.co/6JpF2qB5zF @Jtown_net
— Jタウンネット編集部 (@jtown_net) July 27, 2020
読んでみると、雇用促進住宅を民間に払い下げした団地で発生しているらしい。
大槌町の中心街から見て、小鎚川を渡って国道45号線の内陸側の花輪田と言う所に2棟ぐらい建っていた。
ちなみに45号線の海側の山田線・・・じゃなくて今で言えば三陸鉄道の線路との間には「マスト」というショッピングセンターがあり、震災後の現在でも盛業中である。
今の三陸鉄道で、釜石から大槌に入ると、そのマストの向こうにコーヨーソクシンが見えていたのだが、それも東日本大震災で流されてしまった。
小学校低学年の頃は当然「雇用」「促進」の意味も分からず「コーヨーソクシン」だと思っていた。
Wikipediaの「雇用促進住宅」の項を見てみると、
雇用促進住宅の目的は、移転就職者が住居を確保できるまでの間、暫定的に低家賃で住宅を貸与することであるが、1973年(昭和48年)10月からは、移転就職者に準ずる者(移転就職者以外の者であって、住居の移転を余儀なくされたことなどに伴い、職業の安定を図るために宿舎の確保が必要であると公共職業安定所長が認めた者)にまで入居対象が拡大された結果、移転就職者の入居割合は、1975年(昭和50年)度末の89%をピークに、1981年(昭和56年)度末では32%まで低下した。さらに2003年(平成15年)度には、その他職業の安定を図るため住宅の確保を図ることが必要であるとされた者も対象者に加えられた。
2008年(平成20年)時点では、以上の3要件が入居要件として公表されていた。
入居手続きは公共職業安定所で行い、入居期限は2年間である。契約期間満了により契約更新されることなく終了するので、入居者は契約期間満了時に住宅を返還しなければならず、期限が近づけば退去勧告が届いた。しかし運営する雇用振興協会は応募状況等を勘案して再契約することがあるとしていた。そのため実際には2年の期限を過ぎても入居している者もおり、2年以上の長期入居者は1981年(昭和56年)度末で67%であった。
なるほどねえ・・・
自分自身の実感で言うと、花輪田に住んでるという子供はだいたいが「コーヨーソクシン」に住んでいたと思う。
かといって、そのコーヨーソクシンの子供達が特別に貧しかったという印象は持っていない。
普通にそろばん塾やスポ少にも通っていたと思う。
それでも入居手続きは釜石の職安までいってしていたのだろうか。
それもこれも大槌町に人口が2万人いた頃の話。
今では震災と少子化もあり人口は1万人を割ろうとしているという。