清原がマウンドに上がった夏
2020年8月7日 2020年10月11日
昨日の巨人戦は内野手登録の益田大輝がマウンドに上がり騒然となった。
これはどこかで見た懐かしい風景・・・
確かそれは夏の甲子園だった。
盛岡の小学校に転校して初の夏休み、大槌に帰省し、親戚宅に行ってスイカを食べながら高校野球を見ていた。
それがあのPL学園対東海大山形の試合だったのだ。
今でこそ菊池雄星や大谷翔平を擁した花巻東が甲子園の決勝まで行くとかそんな時代になったが、昔の東北勢は弱くて弱くて仕方なかった。
気付いた時にはもう20点近く差がついていた。
一緒に見ていた母が「かわいそうに。。。」と口走るほどだった。
たしか、PLもピッチャーを何人か出していたと思う。
何だかんだ言って東海大山形もPLから7点取ったのだ。
最後は、一塁手のはずの清原まで登板した。
「なんで清原がピッチャーなの!」
「ファンサービスでねえが?」父がボソリと言った。
夏休みと言えば何といっても高校野球だった。
祖母宅の近くの線路では木杭がタールの匂いを発散させ、タラコ色のキハ52が大槌駅を出発していった。
すべては遠い日になってしまった。
あの頃に比べれば。東北の高校野球もレベルが上がったものだと思う。
やはり野球留学生が入り込んできたことが底上げや全国的な平準化につながったのだろうか。
駒大苫小牧のマー君だって関西出身、そのマー君とリトルリーグでバッテリーを組んでいた巨人の坂本も高校は青森の光星学院である。