戦慄の8月12日
2020年8月12日
8月12日、といえば昭和60年の日航123便が御巣鷹山に墜落した事故の日である。
PL学園対東海大山形の項でも触れたが、その時は大槌から盛岡の学校に転校して初めての夏休みで、祖父母が残る大槌に帰省していた。
そして、ブラウン管の家具調テレビでNHKの何やら戦争と関係する深刻な番組を見ていた。
確かお婆さんが一人で歩いていたシーンだったと思う。
いきなりニュース速報が入ってきた。
「飛行機がレーダーから消えた」というのだ。
物凄く不気味な感じだった。
程なくして、そのNHKの番組は中断され、慌ただしいニューススタジオが映し出された。
NHKのその戦争に関する重い番組が再び映ることは無かった。
500人も乗った飛行機が墜落してしまうのだろうか?
そんなことを考えながらその日は皆で2階で寝た。
たしか生存者は女性だけ4名いたと思う。
そのうちの1人がヘリコプターで吊り上げられるシーンが印象に残っている。
そして「キンゾクヒロウ」「アツリョクカクヘキ」という言葉がテレビを賑わせることとなった。
その頃の鉄道はというと、東北新幹線の新花巻と水沢江刺が開業し、新幹線連絡で北上行きになっていた急行「陸中」は、「はやちね」と一緒の盛岡行きになっていた。
ひと頃のように5両編成の堂々としたものではなく、国鉄も合理化が進んで2両か3両になっていたと思う。