懐かしい写真

昨日、お盆にちなんで郷里の古い列車の話をしたら、弟からLINEが来た。
「キハ何ちゃらってこれのこと?」
写真に写っている妹も弟も幼く、懐かしい。

言外に「お前のようなオタクと一緒にするな」というニュアンスを感じたのはともかくとして、結論から言うとそうではない。

写真に写っているのは「キハ58」という1961年にデビューした車両で、これが優秀だったために前述のキハ55の淘汰が早まり、なおかつ国鉄がJRになって平成になってもしばらく残り続けたという車両である。

それはともかく、これはどこの駅だろう?というのが気になった。
それで、写真に番号を振って検証してみることにした。

①ホームの柱
随分と古めかしい木造の柱である。
盛岡駅でこんな柱は残っていただろうか?
だとすると釜石駅?
その割には随分と遠くのホームのような…
それと、こちらが乗っている車両は2段窓なので、キハ55とかキハ58ではないだろう。
ということは山田線の最大勢力だったキハ52?その割には新しい気がする。
キハ52の窓というのは本当に上下の開け閉めが大変だったのだ。

②灰皿と窓枠
若い人は信じられないだろうが、昔は列車の中で煙草を吸うことができたのだ。
灰皿の楕円形のマークにはJNRマークでも入っていただろうか。
ただ、キハ52であれば、窓枠はアルミではなかった。
中途半端な狭さのテーブルのような出っ張りがあったが、本当にテーブルのように駅弁や飲み物でも置いたら、すぐに落ちてしまうような、そんな狭さだったが、それも無い。

③壁
キハ52なら薄緑だったはず。
それとも更新車だったんだろうか。
でも更新車なんて山田線なんかに来るだろうか?

そんなことを思い悩んでいたら、弟からあっさりと答えが来た。
「盛に行った時のだよ」
「盛って大船渡のさかり?」

ああ、思い出した。
つまり、昭和59年に三陸鉄道が「日本初の第3セクター鉄道」として開業した時に南リアス線に乗って盛に行ったんだった。

そうすると盛岡駅という説は棄却。
やたら遠いホームというのも、釜石駅の三陸鉄道ホームということで説明が付く。
そして、乗っている列車は三陸鉄道の36系である。

謎は全て解けた。

 

 

showa
  • showa

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です