精霊馬はキハ55
Twitter周りだと、お盆だということできゅうりとかナスで作った馬が作品として上げられている。
それは「精霊馬」と言うのだそうで、死者がそれに乗って俗世に帰って来るのだという。
でも自分が生まれ育った所でそんな習慣は無かったな…
でも、精霊馬というのでもないけれど、この「キハ55」というディーゼルカーを見ると、不思議と自分が幼かった頃、祖母が元気だった頃を思い出す。
多少マニアックな話になるが、このキハ55という車両は、1956年に急行を走らせるために製造された車両だ。
最初は上野駅から東北本線、新宿駅から中央本線を颯爽と走っていたのだ。
それが1970年代には老朽化して(冷房も付けられなかったし)、釜石線や山田線といった田舎のローカル線に追いやられていた。
ところが元々が急行用なので、運転台が片方にしかない。つまり2両以上でないと走れない。明らかにお客さんの少ないローカル線ではオーバースペックである。
それで、キハ52(この写真の3両目の車両)のような、両側に運転台のある車両に比べて使い勝手が悪いので、東北新幹線が開業する頃には全然見なくなっていた。
そんな昔の車両である。
このキハ55が自分の家の裏を走っていた頃は、祖母はそれはもう元気だった。
どのくらい元気かというと野村沙知代とか細木数子ぐらい元気だった。
まあ一般的にいう「おばあちゃん」として、思い出は沢山ある。
特に何をしたのが思い出に残っているとか、そういうのは思い出せばキリがないのだが、それでも、のんびりした日々だったということだけは覚えている。
もちろん、時代相や社会相としては、今と違って相互監視的なムラ社会であったとか、ハラスメントの概念もなく弱者は泣き寝入りだったであろうとか、今考えれば考えられないようなことも沢山あっただろうが、それでも長閑な日々だった。
もっとも、今はこうして忙しいと思っていられるだけでも幸せなのかもしれない。
あの遠い日と行き来できるなら、キハ55に乗って行ってみたいものだ。