良きにつけ悪しきにつけアバウトだった国鉄
2020年7月17日 2020年10月10日
JRが国鉄だった頃は、色々な意味でアバウトだった。
それは今みたいにスマホを持ってSNSで晒すなんてことが無かったからだろう。
盛岡駅の切符売り場の駅員なんてひどいもんだった。
小学生相手だと、「だからどこ行きたいの!」「記念切符に子供切符なんてないよ!」ってなもんだった。
当時、国鉄は膨大な赤字と分割民営化が連日報じられていた。
しかし、今考えればそれもそうだろう。
あんな接客態度で売り上げが上がるはずもない。
それも、横柄なら横柄なりにプロ意識があると言うならまだ理解できる。
しかし、昭和61年に京葉線が開業した頃の盛岡駅の切符売り場。
「京葉線の稲毛海岸まで子供1枚」
「ケイヨウセン?そんな路線無いよ」
「ありますよ。最近開業したんですよ」
そう言って、この旅の目的先である京葉線の駅の近くに住む親戚が送ってくれた、電子オルゴール付きの京葉線の開業切符を見せた。
「ああ、キョウヨウセンね」
そりゃ鉄道オタクは鉄道員に採用されないとは言う。
しかしこれにはガックリ来てしまった。
かりそめにも国鉄の職員だろう?
かと思えば、山田線は大槌駅まで行くと暢気なものだった。
駅の近くで遊び疲れていると、貨物扱いを終えた駅員が、
「水飲んでくか?」
と、駅の給湯室に入れてくれて水を飲ませてくれた。
あの頃駅で働いていた、あの人もこの人も、今は悠々自適でおられるだろうか。