宮古の酔っ払いの喧嘩殺人(S33.12.25)
昭和33年12月25日、岩手県宮古市鍬ケ崎地区で、地元の金物商の男性が暴行を受け死亡する事件が発生した。被害者は22歳で、クリスマスパーティーから帰宅する途中に襲われた。現場は鍬ケ崎地区の路上で、衣服や靴、血痕の付着した割薪が散乱しており、乱闘の形跡があった。被害者の家族の証言から、金属製の腕時計が紛失していることが判明したため、宮古警察署は強盗殺人事件として捜査を開始したが、犯人は事件直後に漁船で港を離れたため、捜査は進展せず、事件は3年近く未解決のままだった。
事件当時、宮古港はサンマ船やトロール船が頻繁に出入りし、多くの漁船が停泊していた。漁夫が関与する暴力事件が頻発していたため、警察官は漁船の停泊状況を毎晩巡回し記録を残していたが、船の出入りが多いことからこうした事件の捜査は困難だった。被害者の死亡後、漁夫や地元の不良グループを対象に捜査が進められ、奪われた腕時計の行方も追跡されたが、決定的な手がかりは得られないままだった。
昭和36年6月、宮城県亘理町荒浜地区に所在する亘理警察署の看守が、傷害事件で留置中の容疑者から「宮古市で3年前に重大な事件を起こした人物がいる」という情報を得た。この情報が岩手県警本部を通じて宮古警察署に伝えられ、捜査が再開された。調査の結果、当時亘理町荒浜地区で漁業に従事していた3人の男性が容疑者として浮上した。
昭和36年8月、宮城県警本部捜査課と岩手県警本部の合同捜査により、容疑者3人が重要参考人として事情聴取を受けた。その際、容疑者の1人が被害者の腕時計を身につけていることが判明し、これが決定的な証拠となった。さらに、宮古警察署刑事課長の指揮のもと、取り調べが行われ、3人は事件の詳細を自供した。
供述によると、事件当時、3人は宮古市幾久屋町(現在の末広町)から鍬ケ崎にかけて飲酒しており、帰り道で偶然被害者と遭遇した。被害者が因縁をつけたことで乱闘に発展し、1人が割薪で被害者を殴打。意識を失った被害者の腕から外れた時計を持ち去り、そのまま鍬ケ崎の港に停泊していた船に戻った。翌朝には船が出港していたため、事件解決が大幅に遅れる結果となった。
昭和36年11月、盛岡地方裁判所で判決が下され、主犯格の1人には懲役5年(求刑7年)、別の1人には執行猶予付きの懲役6か月、もう1人は未成年として家庭裁判所の審判に付された。この事件は、亘理警察署の看守による情報提供や、宮城県警本部捜査課、岩手県警本部、そして宮古警察署刑事課長の迅速な指揮が大きく寄与して解決に至った。一方で、初動捜査の不備や他県警察との連携の課題が浮き彫りとなり、今後の課題として指摘された。