沿岸で山林火災(S44.5.6)
昭和44年(1969年)5月6日、岩手県北部で発生した大規模な山火事は、異常乾燥と強風にあおられて三晩にわたり燃え続け、死傷者こそ出なかったものの、山林約3,600ヘクタールと民家29戸を焼失し、被害総額は約10億円に達した。これは同年3月の三陸フェーン火災に次ぐ大火である。
主な火元は九戸郡山形村(現・久慈市の一部)で、国有林内から出火した火は強風で一気に広がり、小国地区の住宅23棟と非住家13棟を全焼。久慈営林署が中心となって対策本部を設置し、警察・自衛隊・消防団計数百名が出動したが、風が強く消火は困難を極めた。
火はさらに山根町深田地区と山形村の一部にも延焼。8日までにヘリコプターによる空中消火も実施され、ようやく鎮火に至った。出火原因は、地元住民が製炭用の窯に火を入れたまま帰宅し、空気穴から漏れた火が近くの木に燃え移ったもので、警察はこの男を業務上失火と森林法違反で逮捕した。被害総額は約5億2,800万円と見積もられている。
一方、大野村(現・洋野町)でも同日午後に別の火災が発生し、明戸地区から出火した火は山谷地区の住宅6棟を焼き、種市町(同じく現・洋野町)へも延焼。こちらは中学生の火遊びが原因とされ、青森県階上村の消防団や陸上自衛隊八戸駐屯部隊も加わって7日未明に鎮火した。
この山火事では、被災者支援として見舞金の支給、タオル・毛布などの救援物資の提供、仮設住宅の建設補助、生活再建のための各種貸付制度(住宅金融公庫の災害特別貸付や農家向け自作農維持資金など)が講じられた。だが、被災地はいずれも出稼ぎ頼みの貧しい地域で、借金を伴う再建支援には限界があり、政府も小規模災害における個人救済制度の見直しを検討することとなった。
この火災では空中消火の実施や行政の対応の遅れも注目され、県議会や国会でも問題視された。県は災害対策本部を設置し、教訓をもとに防災体制の整備強化を進めることとなった。