閉伊川堤防の母親殺し事件(S45.9.19)

昭和45年9月19日、岩手県宮古市館合町で、愛犬を連れて散歩中の男性が閉伊川左岸堤防の斜面で中年女性の遺体を発見しました。警察が調査を進めた結果、この遺体は宮古市向町のアパートに住む48歳のパチンコ店員の女性であることが判明しました。遺体の検視および解剖の結果、死因は頸部圧迫による窒息死とされ、殺人事件として捜査が開始されました。

捜査の中で浮上した容疑者は被害者の次男(当時17歳)でした。次男は母親との関係に不満を抱えており、それが動機につながったことを供述しました。彼は私生児として生まれ、幼少期には母親ではなく伯父の家で育てられたため、母親に対して愛情よりも憎しみを抱いていました。中学3年生の時に母親と同居を始めましたが、母親の男性関係を知り嫌悪感を募らせたと語っています。さらに、漁船員として働き始めてからも給料の一部を送金していたものの、母親がその金を勝手に使っていると思い込み、不満が増大していました。小遣いを要求しても母親に叱責されるばかりで、一切受け取れなかったことも怒りの原因だったと述べています。

昭和45年9月18日の夜、次男は飲酒後に母親のアパートを訪れ、小遣いを要求しようとしましたが、母親に叱られたため、怒りが頂点に達しました。そして「こんな母親がいなければ給料をすべて自分のために使える」と考え、母親を殺害する決意を固めました。彼は母親を堤防に誘い出し、話し合いを装って背後から首を絞めて窒息死させ、そのまま遺体を放置して船に戻ったと供述しています。

遺体発見後、警察の調査や取調べを通じて次男の行動の矛盾や不審な態度が明らかになり、最終的に犯行を自供しました。取調べの中で、次男は「母親が兄弟の名前で貯金をしていたことを知り、自分なりに子どもの将来を考えていたことを理解した。申し訳ないことをした」と涙ながらに語っています。

次男は昭和45年9月21日に尊属殺人と死体遺棄の罪で逮捕され、その後、盛岡家庭裁判所で中等少年院送致の審判が下されました。本事件は、初期の死因不明の段階から徹底した捜査を行い、早期に解決した事例として記録されています。


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