盛岡・大新小学校児童誘拐殺人事件(S54.9.8)
1979年9月8日
2025年4月20日
昭和54年9月8日、岩手県盛岡市前九年三丁目で下校中の小学6年生の男子児童が、「お父さんが待っている」と声をかけた若い男女に乗用車で誘拐された。児童は市立大新小学校に通っていた。警察は報道各社に対し報道自粛を求め、生命の安全を最優先に捜査を進めたが、12日後の9月20日、岩手郡玉山村(現・盛岡市玉山区)の雑木林で遺体となって発見された。
犯人として逮捕されたのは、盛岡市月が丘三丁目に住む無職の22歳の男、その愛人の27歳の女、そしてその弟である19歳の少年の3人。いずれも定職に就かず、生活保護世帯に寄宿していた。3人は金銭目的で児童の父親が経営する会社に関わった過去を持ち出し、9月3日頃に女の自宅で共謀。役割分担を決めて下見を行い、8日に誘拐を実行した。
児童は、岩手郡滝沢村柳沢(現・滝沢市)の山林に連れ込まれ、タオルで手足を縛られたうえで首を絞められ、車のアンテナ用コードでとどめを刺されて殺害された。遺体は車のトランクに積まれ、玉山村の雑木林に遺棄され、所持品は好摩を流れる松川に投棄された。
児童の友人らの目撃証言や車両の特徴、放火未遂事件、さらに14日に盛岡市内のポストから投函された脅迫状に残された指紋・足紋などから犯人が特定され、20日に逮捕となった。
裁判では、男が犯行を大筋で認めたのに対し、女と少年は殺害や共謀を否認。証言は食い違い、現場検証も実施された。検察は3人の共謀共同正犯を主張し、弁護側は従犯であると反論。法廷での対立が続いた。
この事件は、盛岡市で昭和21年に発生した「角田屋事件」以来の誘拐殺人事件であり、当時のように極度の困窮や戦後混乱が背景にあったわけではなく、目的も動機も曖昧なまま安易に実行された点が、県民に大きな衝撃と不安を与えた。