JRが発足し盛鉄局がJR東日本盛岡支社に(S62.4.1)
1987年4月1日
2025年5月25日
昭和62年(1987年)3月31日、日本国有鉄道は115年の歴史に幕を下ろし、JR旅客6社と貨物会社などに分割・民営化された。これにより盛岡鉄道管理局も廃止され、JR東日本の東北地域本社(仙台)傘下の盛岡支店として再出発した。管理部門は従来通り盛岡駅前に置かれたが、一部機能は仙台に統合され、職員数も1,700人減の約6,800人となった。
支店の管轄路線は旧盛鉄局時代とほぼ同様で、14路線・約1,220kmに及び、三陸鉄道との相互乗り入れも含まれる。初代支店長・小野尚志のもとで総務・運輸・工務の3課体制で発足し、昭和61年4月には3部8課1室へ改編された。民営化初日には盛岡駅などで盛大な記念行事が催され、吉幾三が一日駅長を務めた。
JR盛岡支店は「地域との共存」「新事業の展開」「安全輸送の徹底」を掲げ、赤字路線の多い管内で意欲的な取り組みを展開。直営店の設置、コイン洗車場や損保代理店など新規事業も多く、「JR商法」や「何でもやるJRマン」といった言葉が生まれた。駅を市民に開放するイベントも実施され、地域密着の姿勢が打ち出された。
初のダイヤ改正では接続改善や増発が好評を得、事故や大きな遅延も減少。経営面では青函トンネルや観光ブームの追い風を受け、初年度の旅客収入は目標を13億円上回る609億円に達した。一方、労使関係では旧国鉄労組との対立が続きつつも、新たに協調路線の労組も誕生し、状況は変化していた。盛岡工場跡地の活用、山田線の三陸鉄道移管、整備新幹線の盛岡以北着工なども注目された。