j東磐井郡 1 7月 1950 千厩銘酒「玉の春」の井戸が梅雨で埋没(S25.7.1岩手新報) 梅雨による大雨で県南に土砂崩れが発生し、千厩の銘酒「玉の春」の井戸も埋没してしまったというニュース。 ただ、仕込みの時期ではなかったのが不幸中の幸いか。 ちなみに「玉の春」は令和6年現在も千厩で盛業中。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 26 2月 1950 上郷村の強盗「金をくれ 金がなければ 米をくれ」(S25.2.26) 昭和25年2月26日、岩手県上閉伊郡上郷村(現在の遠野市上郷)で農婦が殺害される事件が発生しました。被害者は同村内の細越に住む42歳の女性で、当日午前9時頃、籾を搗いて白米にした約三斗を背負い帰宅途中、県道(現在の国道283号線)上に架かる佐生田橋で浮浪者風の男に遭遇しました。この橋は人通りが少なく… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 17 2月 1950 水沢税務署のドブロク摘発隊に密着取材(S25.2.17新岩手日報) 新岩手日報の記者が水沢税務署のドブロク摘発部隊に同行取材。 細野地区というので、金ヶ崎町細野だろうか。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 2月 1950 大雪が大雨になり県内で大混乱(昭和25年2月9日) 昭和25年2月11日の新岩手日報より。 8日の大雪は、暖気の流入で9日には大雨となったようで、県内では道路や電線に影響が出たようだ。 盛岡市内でも道路がぬかるみとなり、かなりひどい状況に。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 4 2月 1950 県北で激甚な吹雪の被害(昭和25年2月4日) 昭和25年2月4日の新岩手日報より。 1月31日の猛吹雪により、県北では激甚な被害が発生した。 特に学校や開拓農家では、被害が大きかったようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 2月 1950 上閉伊郡某高校とか言われても・・・(昭和25年2月3日) 昭和25年2月9日の新岩手日報より。 遠野町の商店で、上閉伊郡某高校の全日制と定時制の生徒が盗みを働いたというが、しかし上閉伊郡遠野町の高校というともう限られているのではないだろうか。 まして全日制と定時制の両方あった学校なんて・・・ ちなみに、遠野町が市制するのは昭和29年. … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 2月 1950 ピストル強盗団が盛岡に護送(昭和25年2月3日) 昭和25年2月3日の新岩手日報より。 例のピストル強盗団は、東京都北多摩郡の昭和町警察署に逮捕され、盛岡駅まで護送されてきた。 ちなみに北多摩郡昭和町とは現在の昭島市。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 2月 1950 盛岡や徳田のピストル強盗は全国的組織だった(昭和25年2月2日) 昭和25年2月2日の新岩手日報より。 前年から盛岡や徳田(矢巾)で強盗事件が発生していたが、それは全国的組織であり、日詰(紫波)でも余罪があるという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 1月 1950 県内各地で大雨が降り洪水(昭和25年1月31日) 昭和25年2月1日の岩手日報より。 暦の上では、大寒だと言うのに、1月30日から30一日にかけて、徳永の雨が降り、県内の風が増水し、各地の道路が浸水する被害が発生した。 暦の上では、大寒だと言うのに、1月30日から30一日にかけて、徳永の雨が降り、県内の風が増水し、各地の道路が浸水する被害が発生した… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 31 1月 1950 暴風雨で下閉伊郡北部に甚大な被害(昭和25年1月31日) 昭和25年2月3日の新岩手日報より。 1月31日、暴風が吹き荒れて、岩泉町や田野畑村といった下閉伊郡北部で甚大な被害が報告された。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1950 富士銀行盛岡支店「強盗に来る?なら死ぬつもりで来いや」(昭和25年1月14日) 昭和25年1月14日の新岩手日報より。 盛岡市呉服町にある富士銀行盛岡支店に、電話で「今から強盗に行く」と言う脅迫電話があったのだと言う。 これに対し、行員は「なら死ぬつもりで来い」と言ったのだと言う。 この脅迫電話は、一応警察に届けられた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 1月 1950 繋温泉曙町料亭組合の広告(昭和25年1月13日) 昭和25年1月13日の岩手新報より。 繋温泉曙町料亭組合の広告。 繋温泉にわざわざ「曙町」と入れているということは、他にも町があったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 1月 1950 不良化する盛岡の盛岡の戦後派学生(S25.1.12岩手新報) 盛岡市警察署管内でも、青少年は不良化しているようであった。 ダンスホールで不純異性交遊するなど。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 1月 1950 釜石から北朝鮮への帰国者の記念植樹(S35.1.4岩手東海新聞) 釜石市から、北朝鮮に帰国する帰国者が10名いたのだそうで、それを記念して植樹が行われた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 12月 1949 盛岡駅近くの強盗殺人(S24.12.9) 昭和24年12月7日未明、岩手県盛岡市駅前の木伏地区にある菓子製造業の家で強盗殺人事件が発生しました。50歳の母親が殺害され、14歳の娘が重傷を負う痛ましい事件でした。現場は駅前派出所からほど近い場所で、事件発生の報告を受けた警察が迅速に駆け付け、捜査を開始しました。 事件の背景には、戦後の混乱の中… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 9月 1949 国鉄の首切り計画でサンドイッチマン現る(昭和24年7月9日) 昭和24年7月9日の岩手新報より。 国鉄は人員削減計画を発表し、それは盛岡管理部でも例外ではなかった。 東京では総裁が殺されたか自殺したか、謎の死を遂げている。 そんな中、盛岡工事事務所の組合分会員は、盛岡市内にサンドイッチマンを繰り出し、前年昭和23年にアイオン台風で崩壊した山田線の路盤の写真を大… 続きを読む
事件・犯罪・司法 17 8月 1949 【参考】松川事件(昭和24年8月17日) 中日ニュースより。 下山事件など国鉄では奇怪な事件が相次いだ。 https://www.youtube.com/watch?v=wuWTzxqb69Q… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 7月 1949 東北本線・盛岡~厨川間で通信線切断事件(昭和24年7月17日) 行政整理による盛岡管理部管内2052名の首切りが発表され、東京の国鉄本社でも下山総裁が謎の死を遂げた。 そのような中、7月17日に日が変わった深夜2時45分ごろ。 盛岡駅にはそろそろ上野行きの上り216レが到着する頃だ。 隣の厨川駅に216レが出たかどうか確認しよう。 この写真は天昌寺のあたりらしい… 続きを読む
m県外・参考 17 7月 1949 岩手でも報じられた三鷹事件も(昭和24年7月17日) 昭和24年7月17日の岩手新報より。 「国鉄三大ミステリー」と後年呼ばれることになる三鷹事件は、岩手県内でも大々的に報じられていた。… 続きを読む
l全県 6 7月 1949 密造酒は所持しているだけで罰せられますよ!(昭和24年7月6日) 昭和24年7月6日の岩手新報の広告欄より。 岩手県内の各税務所や岩手県酒造組合などが連合で意見広告を出した。 「密造酒は所持していても罰せられる!!」 そのくらい深刻な問題になっていた時期であった。 … 続きを読む
事件・犯罪・司法 5 7月 1949 【参考】下山事件(昭和24年7月5日) 国鉄の行政整理により、盛岡管理部管内でも2052名の人員性が行われることになった。 これに対し、国労は実力行使も辞さない構えで各職場では闘争の準備に入っていた。 その矢先の7月5日、事件は起こった。 https://www.youtube.com/watch?v=ENjnHfdkZng&t=… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1949 国鉄労組盛岡支部「断固職場を死守せよ!」(昭和24年7月2日) 吉田首相の行政整理の方針に基づき、盛岡管内でも2052人の首切りが発表されることになった。 それで、国鉄労組盛岡支部の本部には「断固職場を死守せよ」と、2日の朝から組合旗が掲げられることになった。 闘争本部では、整理発表の当日の20時30分に本部指令を出し、傘下35分会に闘争指令を発した。 これに対… 続きを読む
m県外・参考 1 7月 1949 国鉄の行政整理基準が決まる(昭和24年7月1日) 昭和24年7月1日の岩手新報より。 政府は、国鉄の人員整理を決めていたが、その基準を下山国鉄総裁と、組合側の代表との会見で話した。 国鉄の業務に対しどの程度協力したかを最大の基準として、各所属長の責任で認定させる 優劣をつけがたいものは、勤続年数によって算出された一定の順位によって優劣を分ける。 &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 7月 1949 国鉄盛岡管理部管内では2052名の人員整理予定(昭和24年7月1日) 昭和24年7月1日、14時から吉田首相は官邸で会見を行った。 「行政整理はあくまで断行する」 つまり、国鉄の人員整理はあくまでも予定通り行うということを断言した。 当時、岩手県内の国鉄路線は仙台鉄道局盛岡管理部によって管轄されていた。 盛鉄管内の定員は業務員7,019名、養成中の者316名、無給職員… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 5月 1949 桜山の更生市場に女子中学生のスリ(S24.5.6新岩手日報) 盛岡市の桜山神社の前の更生市場(現在の東大通りのあたり)で、女子中学生のスリが捕まったのだという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 5月 1949 男女同権で女だけのお花見(昭和24年5月3日) 昭和24年5月4日の新岩手日報より。 憲法が改正されて2年目の憲法記念日を記念する記事。 新憲法で男女同権となり、「女だけの花見」が開かれたのだとう。 それほどまでに、「女は家にいろ」という肝炎が強かったと言うことだろうか。 … 続きを読む