a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 9月 1959 テレビは岩手ナショナル月賦販売(株)の12回払いで!(昭和34年9月19日) 昭和34年9月19日の岩手日報の広告欄より。 この当時テレビは月給の何ヶ月分もする高い買い物であった。 前年に発生した信用金庫職員による一家殺人事件では、犯人の男は「月給は18,000円だよ」(本当は8, 000円)と見栄を張っていた。 そんな時代に、テレビは63000円だったのである。 それで、月… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 9月 1959 岩手で初めてのタクシー強盗(昭和34年9月16日) 昭和34年の9月16日に日が変わった午前1時頃のこと。 大通2丁目にある盛岡タクシーの無線司令室の交信台に、うめき声が入ってくる。 一体なにごと…? 「全車、異常の有無を報告せよ、どうぞ」 「6号車、異常ありません、どうぞ」 「3号車異常なしー、どうぞ」 そうやって返ってきた答えのうち、4号車だけが… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 9月 1959 昭和35年度のディーゼルカー配分は、山田線への導入確実(昭和34年9月16日) 昭和34年9月16日の岩手日報より。 この時期、鉄道といえばSLが普通であったが、煙がSLほどは出ない最新鋭のディーゼルカーの導入が各地で待ち望まれていた。 盛鉄局は東北支社に対し、ディーゼルカーの希望順位を以下の通り提出した。 盛岡~仙台の準急1往復 盛岡~釜石の準急「はやちね」の増結用1両 山田… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 9月 1959 岩手で初のタクシー強盗(S34.9.16) 昭和34年9月16日、岩手県盛岡市でタクシー運転手が殺害される事件が発生しました。午前1時ごろ、盛岡市大通二丁目のタクシー会社本社の無線機から異常音が流れ、会社が確認を指示しましたが、1台だけ応答がありませんでした。捜索の結果、盛岡市外山岸第一地割、県道小本線(通称・庄ケ畑)付近でタクシーが発見され… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 6月 1959 ディーゼル準急の運行を祝して盛岡の川徳デパートも広告を出す(昭和34年6月30日) 昭和34年6月30日の岩手東海新聞より。 盛岡〜釜石にディーゼル準急が運行開始したことに伴い、盛岡の川徳デパートが広告を出している。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 6月 1959 矢巾村の長男殺し事件(S34.6.17) 紫波郡矢巾村煙山字広宮沢で、父親が長男を絞殺する事件が発生した。長男は幼少期から家族に迷惑をかけ続けており、現金や米、家財を盗んでは遊び歩く生活をしていた。20歳で結婚するも家庭を顧みずすぐに離婚し、その後再婚したが、それも短期間で破綻した。 職を転々とし、家族に頼る生活を続ける中で、窃盗や詐欺で服… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1959 盛岡~釜石に運行予定のディーゼル準急車両が盛岡客貨車区に配属(昭和34年5月18日) 昭和34年5月19日の岩手東海新聞より。 この年の7月には、盛岡~花巻~釜石にディーゼル準急が運行開始する予定であったが、そのディーゼル車両のうち1両が盛岡客貨車区に配属されたという。 釜石線のディーゼル準急は、上野~日光の準急「日光」や、盛岡~福島の準急「やまびこ」と同じキハ55形3両が充てられる… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 4月 1959 皇太子殿下の御成婚を控え、街は「日の丸」ブーム(昭和34年4月5日) 昭和34年4月5日の河北新報より。 敗戦してからというもの、「日の丸」の国旗は日陰者のような存在であったそうな。 しかし、皇太子殿下の御成婚では盛岡市内の染物屋に商工会議所などから注文が舞い込み、街の家々に日の丸が翻るのだとか。 盛岡市内の商店主は、「この日の丸ブームは大正天皇の御大典の半分ぐらい、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 3月 1959 盛岡東映で「新吾十番勝負」「東京べらんめえ娘」封切(昭和34年3月25日) 昭和34年3月25日の河北新報岩手版より。 盛岡東映では「新吾十番勝負」と「東京べらんめえ娘」を封切する。 いずれも初公開は昭和34年3月17日なので、盛岡での封切は1週間のタイムラグ。 「新吾十番勝負」は当時朝日新聞に連載中していた川口松太郎の小説を映画化したもので、主演は大川橋蔵。 「東京べらん… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 3月 1959 山田線のディーゼルカーは秋から運転予定(昭和34年3月25日) 昭和34年3月26日の読売新聞岩手版より。 宮古から盛岡に出る山田線をSLが牽引する「カラス列車」からディーゼルカーに切りかえてくれと、宮古市長などは国鉄東北支社長に陳情に行っていた。 そして3月25日、昭和28年~昭和33年の間衆議院議員を務めた地元選出の中井英太郎氏(右社)が語る所では、 「ディ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 3月 1959 県教育会館で中卒就職者の激励会(昭和34年3月24日) 昭和34年3月25日の河北新報岩手版より。 この年に中学校を卒業して社会に出る就職者の為に、3月24日13時から県教育会館で「就職者激励会」が行われた。 就職者700名、県職安課長、山本盛岡市長など来賓が多数列席した。 山本盛岡市長からは「立派な社会人になるよう修行してもらいたい」という激励のあいさ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 3月 1959 滝沢村女性怪死体事件(S34.3.24) 滝沢村の空き家で顔と手足が焼けただれた女性の怪死体が発見される。 結局、犯人どころか被害者の身元すら判明しないまま昭和49年3月24日に時効を迎えたというあまりに奇怪な事件。 https://www.youtube.com/watch?v=WAiyreWbqpg … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 2月 1959 盛岡東映で「警視庁物語 顔のない女」「唄しぐれ千両旅」封切!(昭和34年2月25日) 昭和34年2月25日の河北新報岩手版の広告欄より。 盛岡東映では「警視庁物語 顔のない女」と「唄しぐれ千両旅」を封切する。 「警視庁物語 顔のない女」は昭和34年2月18日初公開で、「警視庁物語」シリーズの9作目。 「唄しぐれ千両旅」もまた昭和34年2月18日初公開で、里見浩太朗が主演。 「歌謡股旅… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 2月 1959 初めての公認予備校「竜沢予備校」が開校(昭和34年2月24日) 昭和34年2月25日の河北新報岩手版より。 昭和28年ごろから、「竜沢学習研究会」が盛岡市内の浪人生を相手に授業をしていた。 それを、父兄や生徒の要望を入れ、県公認の「竜沢予備校」として2月24日に開校の運びとなったものである。 この時点で生徒は大学受験組が6名、高校受験組が200名いた。 3月の新… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 2月 1959 盛岡駅でヤミ米の手入れがあり担ぎ屋10人逮捕(昭和34年2月24日) 昭和34年2月25日の河北新報岩手版より。 盛岡警察署では、盛岡市内にヤミ米が相当流れ込んでいるとの情報を得た。 そこで2月24日、盛岡署員20名が盛岡着7:56、8:58の下り列車を急襲し一斉取り締まりを行った。 置き去り米を含めて押収した精米は757kg(61,000円相当)であったという。 そ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 2月 1959 盛岡市内の映画案内(昭和34年2月7日) 昭和34年2月7日の河北新報より。 盛岡市内の映画封切案内が出ている。 この当時すでに「SY内丸」という表記が出ている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 2月 1959 3月から花輪線に「やまびこ」より新型のディーゼルカー(昭和34年2月7日) 昭和34年2月7日の河北新報より。 3月から花輪線に「上がトビ色、下が濃いアイ色で、緑のサテンのカーテンの付いた」ディーゼルカーがお目見えするという。 このことで、花輪線は朝夕の通勤帯を除き全部がディーゼルカーになるという。 この記事では、当時盛岡~福島を走っていたキハ55準急「やまび… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 1月 1959 盛岡東映で「忠臣蔵 桜花の巻・菊花の巻」を公開!(昭和34年1月15日) 昭和34年1月15日の河北新報岩手版より。 盛岡東映では「忠臣蔵 桜花の巻・菊花の巻」を公開する。 初公開は昭和34年1月15日なので東京同時公開で、大石内蔵助役は片岡千恵蔵、堀部安兵衛役は大友柳太朗、大石主税は北大路欣也など、当時の東映スターが豪華出演していた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 1月 1959 盛岡日活では「若い川の流れ」「赤いランプの終列車」を公開(昭和34年1月15日) 昭和34年1月15日の河北新報岩手版より。 盛岡日活では「若い川の流れ」「赤いランプの終列車」を公開する。 いずれもなので、盛岡でも同時の初公開となる。 「若い川の流れ」の初公開は昭和34年1月15日で、石原裕次郎や北原三枝が出演。 「赤いランプの終列車」は昭和33年11月28日の日活映画で、春日八… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 1月 1959 盛岡日活で「嵐を呼ぶ男」「紅の翼」を公開(昭和34年1月4日) 昭和34年1月4日の河北新報より。 盛岡日活では「嵐を呼ぶ男」と「紅の翼」を公開する。 「嵐を呼ぶ男」は昭和32年12月28日初公開で主演はマイトガイ小林旭。 「紅の翼」は昭和33年12月28日公開で、こちらはほぼタイムラグなく初封切となっている。 主演は石原裕次郎。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 1月 1959 盛岡東映で「丹下左膳」「殿さま弥次喜多捕物道中」を公開!(昭和34年1月4日) 昭和34年1月4日の河北新報より。 盛岡東映では「丹下左膳」を「殿さま弥次喜多捕物道中」を公開する。 「丹下左膳」は昭和33年3月18日初公開で、主演は大友柳太朗。 直営館で1年近いタイムラグというのは、これは封切ではない? 「殿さま弥次喜多捕物道中」は昭和34年1月3日初公開でほぼタイムラグは無し… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 12月 1958 国鉄盛岡工場で新製材工場 国鉄の盛岡工場は、これまで二枚橋派出所(現在の花巻空港駅)にあった製材関係の工場を、盛岡駅裏の本場に移し、一部作業をすでに始めているという。 これは経営の合理化によるもので、客車の床などに使用するのだという。 国鉄盛岡工場は敷地の狭さが悩みであり、それで作業場がタコ足で分散していたところ、盛岡市の協… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 12月 1958 盛岡・東宝第一劇場で「弥次喜多道中双六」「おめでとう皇太子さま」公開!(昭和33年12月14日) 昭和33年12月13日の岩手日報の広告欄より。 盛岡・東宝第一劇場では「弥次喜多道中双六」と「おめでとう皇太子さま」を12月14日に公開するという。 「弥次喜多道中双六」は昭和33年12月7日の公開で、弥次喜多が大井川を渡り京へ着くまでを描く。 また、「おめでとう皇太子さま」も昭和33年12月7日の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 12月 1958 岩手ナショナルラジオ月賦販売KK「電気掃除機は12回払いで!」(昭和33年12月13日) 昭和33年12月13日の岩手日報の広告欄より。 岩手ナショナルラジオ月賦販売KK「電気掃除機はナショナル12回払いで!」と広告を打っている。 当時はこうした月賦販売の会社が県域であったのだろうか。 というか、掃除機って月賦で買わないといけないほど高いものだったの??? &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 12月 1958 呉服の亀半「Xマスも晴着!お正月も晴着!」(昭和33年12月13日) 昭和33年12月13日の岩手日報の広告欄より。 今でもラジオでやってるかどうかはわからないが〽呉服の亀半~ というサウンドロゴは知っている人が多いのではないだろうか。 呉服の亀半は令和3年現在でも肴町に店舗を構え操業130年になる老舗の呉服店であるが、このように折に触れ「晴着を着ましょう!」と宣伝し… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 12月 1958 盛岡・中央ホールで大映「弁天小僧」「白鷺」公開(昭和33年12月14日) 昭和33年12月13日の岩手日報より。 盛岡の中央ホールでは大映映画「弁天小僧」と「白鷺」を公開する。 「弁天小僧」は大映の製作で初公開は昭和33年11月29日。出演は市川雷蔵や勝新太郎。 「白鷺」もまた大映の製作で初公開もまた昭和33年11月29日。主演は山本富士子。元々は明治期に東京朝日新聞に連… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 12月 1958 これがディーゼル準急に使われる「キハ55」だ!(昭和33年12月9日) 昭和33年12月9日の岩手日報より。 翌年から、盛岡〜福島に運行が予定されているディーゼル準急「くりこま」に使用されるキハ55というディーゼルカーが盛岡客貨車区に到着した。 クリーム色に赤い線というスマートな車体で、自動暖房装置が付いているという快適な車内である。 &nb… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 12月 1958 盛岡・上厨川の五男殺し事件(S33.12.6) 盛岡市上厨川で、親と兄が五男を絞殺する事件が発生した。五男は素行が悪く、日常的に家族へ迷惑をかけていた。彼は酒に酔うと暴れ、時には「殺すぞ」と家族を脅すこともあった。また、酒代を捻出するために家財を勝手に売却することが常態化しており、馬車や農具を売り飛ばすなどして家族に大きな負担をかけていた。 被害… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 5月 1958 盛岡・東宝第一劇場で「太鼓たゝいて笛吹いて」封切!(昭和33年5月21日) 昭和33年5月20日の岩手日報の広告欄より。 盛岡・東宝第一劇場で「太鼓たゝいて笛吹いて」を封切する。 初公開は5月13日なのでタイムラグは1週間程度。 出演は宮城まり子や三木のり平。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 5月 1958 「戦場にかける橋」盛岡国劇で封切上映 昭和33年5月20日の岩手日報では、盛岡国劇で「戦場にかける橋」が封切になる旨の広告が出されている。 「戦場にかける橋」は言うまでもなく1957年英米合作の戦争映画で、収容所長役の斎藤大佐役を演じた早川雪洲はアカデミー助演男優賞にノミネートされている。 日本での初封切は前年1957年の12月22日で… 続きを読む