j東磐井郡 12 10月 1950 あの事件はどうなった?(昭和25年10月12日) このブログを始めて1週間が経過し、どのように更新するのか、どのように検索に引っかかるのかということもおぼろげながら分かってきた。 色々な事情からセンシティブと思われる記事については、記事ごとにnoindex, nofollowすればいいということもわかった。 しかし、それだけでは検索に引っかかる可能… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1 10月 1950 国鉄バス久慈自動車営業所の新ダイヤ(昭和25年10月1日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 国鉄バス久慈自動車営業所では10月1日からの新ダイヤを発表した。 沼宮内東線 上り 久慈発 7:00、9;30、11:30、16:30 下り 陸中山形発 6:30、9:00、13:00、17:10 軽米線 上り 久慈発 7:05、9:30、12:30、16:15… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 9月 1950 豊作なのに精米所の能力が足りず配給が遅滞(昭和25年9月28日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 この年は食糧事情が好転し、米食率が73%で「戦後最良」であったという。 というか、73%しか米を食べれなくても、それは「良い方」だったらしい。 ともかくも、配給は「いも」「粉」に代わって米が1か月に22日分も配給されたのだという。 しかし、精米所が足りず遅配とな… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 28 9月 1950 花巻で電話が磁石式から共電式に(昭和25年9月28日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 花巻町の電話が、磁石式から共電式に変更になる旨、花巻電話局に通知があった。 近く本格的な工事に取り掛かるということで、花巻町が「花巻市」になることを見込んで、余裕のある要領にするように計画されるといい、共同線の「鈴なり電話」も解消される見込みであるという。 &n… 続きを読む
l全県 27 9月 1950 東北の一級酒審査の合格率は岩手が筆頭(昭和25年9月27日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 昭和25年度の一級種審査会は、9月27日10時から仙台国税局で国立醸造試験所長を招き行われた。 審査項目は官能検査(実際に味わう)、化学審査で、東北6県の116店のうち、95点が一級種として合格した。 県別の合格率は以下の通り。 青森 84.6% 岩手 92.3… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 9月 1950 全専売労組の中央委員会が盛岡で開催される(昭和25年9月26日) 昭和25年9月27日の岩手日報より。 全専売労働組合の中央大会が、盛岡市上田の専売公社盛岡支所新講堂で行われた。 この時期はレッド・パージの時期で、専売公社側は共産党員のリストを作成し、良くても100名程度、ひどい場合は3~400名程度の人員整理があるのではないかと予想していた。 また、この年の6月… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 9月 1950 GHQ東北民事部オースチン教育課長が盛岡に来て県教育長と会談(昭和25年9月26日) 昭和25年9月27日の岩手日報より。 GHQ東北民事部のオースチン教育課長が、岩手県内の敎育状況視察の為に9月26日に盛岡に来て県教育長や教育委員と懇談した。 その席上、以下のようなことを述べた。 11月に予定されている教育委員の選挙は、組合色の強い教員の立候補はよくない。PTAが中心に政治色の無い… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 7月 1950 「学生野球の父」飛田穂洲が盛岡と福岡で講演(昭和25年7月5日) 昭和25年7月5日の岩手新報より。 「一球入魂」で知られた学生野球の父・飛田穂洲はこの1週間、松尾鉱山にいたのだという。 その飛田穂洲が7月6日に盛岡高校上田校舎で、7月7日には福岡高校で講演するのだという。 一般参加も受け付けるとのこと。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 26 2月 1950 上郷村の強盗「金をくれ 金がなければ 米をくれ」(S25.2.26) 昭和25年2月26日、岩手県上閉伊郡上郷村(現在の遠野市上郷)で農婦が殺害される事件が発生しました。被害者は同村内の細越に住む42歳の女性で、当日午前9時頃、籾を搗いて白米にした約三斗を背負い帰宅途中、県道(現在の国道283号線)上に架かる佐生田橋で浮浪者風の男に遭遇しました。この橋は人通りが少なく… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 12月 1949 盛岡駅近くの強盗殺人(S24.12.9) 昭和24年12月7日未明、岩手県盛岡市駅前の木伏地区にある菓子製造業の家で強盗殺人事件が発生しました。50歳の母親が殺害され、14歳の娘が重傷を負う痛ましい事件でした。現場は駅前派出所からほど近い場所で、事件発生の報告を受けた警察が迅速に駆け付け、捜査を開始しました。 事件の背景には、戦後の混乱の中… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 23 9月 1949 国鉄が機構改革するなら盛岡にも鉄道局を!(昭和24年9月23日) 昭和24年9月23日の岩手新報より。 公共企業体となった日本国有鉄道は、機構改革に乗り出すという。 仙台鉄道局盛岡管理部は廃止が伝えられている。 しかし岩手県は広いのだ。 むしろ鉄道局を設置してほしいと、盛岡市長や市議会議長が連名で鉄道局設置の陳情を国鉄に送った。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 23 9月 1949 小さな駅は廃止しますよ!(昭和24年9月3日) 昭和24年9月23日の岩手新報より。 この年の6月1日に発足した日本国有鉄道は、それまでの「鉄道省」というお役所ではなく独立採算制の公共企業体となり、採算を考えなければならなくなった。 それで、人員だけではなく採算の取れない小さな駅を廃止することになった。 その基準は乗降客50人、発着小荷物4トン、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 9月 1949 金田一京助「岩手大学の学長なんて絶対やりません」(昭和24年9月10日) 昭和24年9月10日の岩手新報より。 9月1日に岩手大学は開校したものの、学長就任問題というのがあったようである。 開校時点では、旧盛岡高等農林学校の鈴木校長が「事務取扱」として学長の業務を行っていた。 しかし、複数名の候補がおり、それぞれについて紛糾しており文部省としても誰にするか決めかねていたよ… 続きを読む
事件・犯罪・司法 17 8月 1949 【参考】松川事件(昭和24年8月17日) 中日ニュースより。 下山事件など国鉄では奇怪な事件が相次いだ。 https://www.youtube.com/watch?v=wuWTzxqb69Q… 続きを読む
l全県 15 7月 1949 第二次引揚者は小学生を動員して青い旗で迎えましょう(昭和24年7月15日) 昭和24年7月15日の岩手新報より。 中国大陸からの第二次引揚者入港を前に、県引揚援護課の運動協議会では「留守宅では引揚者に手紙を書くよう呼びかけたが、岩手県が一番少ない。手紙には朱書きで県名と『留守宅通信』である旨書くこと」と呼びかけていた。 また、引揚者が駅に到着したときのために、日の丸ではなく… 続きを読む
事件・犯罪・司法 5 7月 1949 【参考】下山事件(昭和24年7月5日) 国鉄の行政整理により、盛岡管理部管内でも2052名の人員性が行われることになった。 これに対し、国労は実力行使も辞さない構えで各職場では闘争の準備に入っていた。 その矢先の7月5日、事件は起こった。 https://www.youtube.com/watch?v=ENjnHfdkZng&t=… 続きを読む
m県外・参考 1 7月 1949 国鉄の行政整理基準が決まる(昭和24年7月1日) 昭和24年7月1日の岩手新報より。 政府は、国鉄の人員整理を決めていたが、その基準を下山国鉄総裁と、組合側の代表との会見で話した。 国鉄の業務に対しどの程度協力したかを最大の基準として、各所属長の責任で認定させる 優劣をつけがたいものは、勤続年数によって算出された一定の順位によって優劣を分ける。 &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 7月 1949 国鉄盛岡管理部管内では2052名の人員整理予定(昭和24年7月1日) 昭和24年7月1日、14時から吉田首相は官邸で会見を行った。 「行政整理はあくまで断行する」 つまり、国鉄の人員整理はあくまでも予定通り行うということを断言した。 当時、岩手県内の国鉄路線は仙台鉄道局盛岡管理部によって管轄されていた。 盛鉄管内の定員は業務員7,019名、養成中の者316名、無給職員… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 18 1月 1949 山田線の不通区間の保線用モーターカーへの便乗は禁止(昭和24年1月18日) 昭和24年1月18日の岩手日報より。 この時期、山田線は昭和23年9月16日のアイオン台風で平津戸~蟇目間が不通になっていた。 しかし、職員が復旧作業用に保線用モーターカーを走らせていた所へ、乗客がこっそりそれに便乗させてもらっていたのである。 しかし、そもそも正規の旅客輸送ではなく傷害事故が10件… 続きを読む
i一関・西磐井郡 17 1月 1949 東北本線山目駅で貨車が脱線しダイヤ混乱(昭和24年1月17日) 昭和24年1月18日の岩手日報より。 1月17日の昼下がり12時半ごろ、東北本線の山目駅で下り貨物列車の27両目が脱線して、それに続く4両も脱線してしまった。 それで東北本線は上下線とも支障をきたし、上り1202列車は2時間遅れ、盛岡19:19発上り急行列車は1時間遅れ、16:31発一関行き普通列車… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 1月 1949 暖冬のために高松の池で氷が割れてスケートの中学生が溺死(昭和24年1月17日) 昭和24年1月18日の岩手日報より。 当時、高松の池はスケートのメッカであり、スケートやホッケーの競技会も行われていた。 そして市民のスケート遊びの馬でもあった。 1月17日の朝10時ごろ、スケートで遊んでいた下小路中学校1年生と、その友人の下橋中学校3年生が、池の真ん中の氷の薄くなっていた所が割け… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 10月 1948 盛岡・アル中男の養母殺し(S23.10.25) 昭和23年10月25日、盛岡市志家で養母殺害事件が発生しました。加害者は昭和2年1月27日生まれ、当時21歳9か月の無職男性で、青森県西津軽郡鰺ヶ沢町大字富根町で生まれました。幼少期に叔母夫妻の養子となり、盛岡市志家で養父母と共に育ちました。 戦後の混乱期に、加害者は酒や煙草に依存し、多額の借金を抱… 続きを読む
j東磐井郡 18 9月 1948 あまりの財政難に東磐井地方事務所では借金してまで自費で出張(昭和23年9月18日) 昭和23年9月18日の岩手新報より。 岩手県の財政難は申告であった。 千厩の東磐井地方事務所では、予算の支給遅延で各課員がやむなく自腹で出張し、中には借金してまで行くものもいたという。 生産されるのは数ヶ月後で、生活に追われる課員の中には出張を忌避して行政に支障が生じる事態すら危惧され、対策が急がれ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 14 9月 1948 大船渡線を仙台管理部から盛岡管理部に移管なんて反対だ! 昭和23年9月14日の岩手新報より。 盛岡鉄道管理局が発足する昭和25年より以前は、東北の鉄道は仙台鉄道局の管轄であった。 その中でも「仙台管理部」「盛岡管理部」とあったのだが、大船渡線はこの時点では仙台管理部の管轄であった。 これを、盛岡管理部に移管しようという話になったのだが、沿線の市町村会がこ… 続きを読む
l全県 18 5月 1948 政府機関の人員整理計画は岩手県庁は特に影響なし(昭和23年5月18日) 昭和23年5月18日の岩手新報より。 政府では「事務標準化」「生活安定」と目標として人員整理をすることとなった。 岩手県職員の定員は3,706名であったところ、このような定員整理を見越して、退職者を補充しない自然淘汰の形をとっており、この時点で3,065名になっており、特に人員整理を行わない方針であ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 2月 1948 盛岡・雫石河畔の鉄道員殺し(S23.2.19) 昭和23年2月19日、岩手県盛岡市の雫石川河畔で、頭部に致命傷を負った男性の他殺体が発見されました。死体は全裸で半纏で覆われており、近くには血で汚れた「盛岡工機部」と記された荷車が放置されていました。事件現場から砂乾燥場まで血痕が点々と続いていたことから、殺害現場は盛岡機関区の砂乾燥場であると推定さ… 続きを読む
事件・犯罪・司法 26 1月 1948 【参考】帝銀事件 TBSスパークルの画像より。 岩手県には直接関係のないニュースではあるが、時代相を表す参考資料として。 ちなみに、このブログの管理人の祖父は郵便局に勤めていたが、この事件のニュースを聞き「うっかりお茶も飲めないな」と同僚と話していたいたという。 https://www.youtube.com/wat… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1947 学制改革は各校とも単独昇格希望(昭和22年12月1日) 昭和22年12月1日の新岩手日報より。 この時期、各中等学校は「学制改革」を控えており、学校再編が必至だった。 県側は、統合して昇格しようとしているのに対し、各学校側はそれに反対をしていた。 盛岡地区 盛岡中学は、杜陵中学を同行の夜間部として併設しようとしているが反対している。 杜陵中學側も、この闇… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 9月 1947 好摩で秋祭りの夜の強盗殺人(S22.9.19) 昭和22年9月19日、岩手県玉山村好摩地区で行われた秋祭りの夜、40代の女性とその14歳の次女が殺害される事件が発生した。事件現場は自宅近くの瓜畑で、終戦直後の食糧難が背景にあった。 この日、地域の稲荷神社で秋祭りが催されていた。奉納相撲や各種の出し物が行われ、戦後の疲弊から解放された村人たちが一年… 続きを読む
i一関・西磐井郡 15 9月 1947 カスリーン台風 カスリーン台風(カザリン台風、キャサリン台風)が一関市を襲ったのは昭和22年9月15日。 https://youtu.be/KxYCM6ZhTes… 続きを読む