d宮古・下閉伊郡 8 4月 1928 全校児童の3分の1を落第させる小学校 昭和3年4月8日の東京朝日新聞より。 川井村小学校では全校210人の3分の1の70名を成績が悪いといって落第させたら父兄が怒って盛岡の県庁まで押しかけたのだという。 しかし学校側は「成績が悪いんだから仕方がない」の一点張り。 ・・・ところで、山田線はこの時点では上米内までしか開業してい… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8 10月 1927 サンマの季節の貨物列車 微妙に岩手のニュースではないニュース。 昭和2年10月8日の読売新聞より。 茨城県大洗のさんま偵察船「茨城丸」は、岩手県の宮古沖にサンマの大群を発見し、それを無線で大洗の漁民に伝えた結果、大洗の漁民は近年に無い大漁を記録することに。 そうなると、大消費地である東京に運ぶ計画を立てなければならないとい… 続きを読む
i一関・西磐井郡 14 7月 1927 平泉・毛越寺で国宝を盗んだまではよかったが、いや良くないが 昭和2年7月14日の東京朝日新聞・読売新聞より。 前年の大正15年9月、平泉・毛越寺から国宝数点が盗み出された。 藤原秀衡納「仏説宝網経」 釈尊直使「乱蛇体」 大原實守作名刀 運慶作仏像「毘沙門天」 玉手箱 これらは合計で当時の価格にして5~60万円相当の者であったという。 それで、岩手県警察部では… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10 4月 1927 江刺郡伊手村の爆殺事件(S2.4.10) 昭和2年4月10日、岩手県江刺郡伊手村上浅倉(現在の奥州市江刺伊手字上浅倉)で、農夫がダイナマイトの爆発により右足を損傷し、破傷風を併発して死亡しました。この事件は、被害者(当時35歳)の義兄(当時44歳)が家庭内の冷遇や不和から殺意を抱き、計画的にダイナマイトを仕掛けた結果発生したものです。 義兄… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 1月 1927 一方井事件(S2.1.29) 昭和2年(1927年)1月29日、岩手県岩手郡一方井村(現岩手町一方井)で発生した火災により男性が焼死しました。当初は事故死と判断されましたが、石油の臭いや頭部の裂傷から他殺の可能性が浮上しました。その後、この事件は天理教を背景にした複数の不審死を伴う猟奇的な犯罪へと発展しました。 火災後、昭和2年… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 1月 1927 盛岡駅の入営兵見送りを1人あたり20人までに制限(昭和2年1月7日) 昭和2年1月7日の岩手日報より。 例年、徴兵で入営する際にはお見送りの人で盛岡駅のホームがごった返していたようで危険極まりない状態だったようである。 それで、盛岡駅では入営者が最も多いことが予想される8日の9:23と11:42発の急行列車は、入営者1名につき20名までしか入場券を売らないことにしたと… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 7 1月 1927 農家の売り惜しみで米が出回らず 昭和2年1月7日の岩手日報より。 花巻の米穀商は新年を迎えて忙しいが、農家の方は1駄20円から1駄30円を夢見て売り惜しみをしているのだという。 それで、穀物検査所では移出検査が2割程度減っているのだという。 しかし、年末は田舎では相当金が必要になるだろうから20日には出回るだろうという予測であった… 続きを読む
i一関・西磐井郡 5 1月 1927 刑務所の看守が生活苦から身投げを図る 昭和2年1月7日の岩手日報より。 宮城刑務所一関支所の37歳の看守は、1月5日夜に突然家出して一関区裁判所の裏の大川に身投げしたが、水深が浅く巡査に引き上げられ究明措置を取られたのだという。 家族は妻の他に3人の子供があり、その妻は4人目を妊娠中であったという。 自殺を企図した原因は、生活苦と神経衰… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 1月 1927 陸軍始めの観兵式は中止(昭和2年1月4日) 昭和2年1月4日の岩手日報より。 毎年1月8日には「陸軍始め」として観武ヶ原の騎兵第三旅団では観兵式を行っていたようだが、この年は大正天皇崩御による諒闇のため中止とのことであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 1月 1927 盛岡刑務所の元旦は?(昭和2年1月2日) 昭和2年1月2日の岩手日報では、盛岡刑務所まで取材に行ってその様子を伝えている。 盛岡刑務所では、諒闇の中でも1月3日まで特別な処遇をし、教誨室に集まって教誨師から説諭があったという。 警務当事者のコメントでは「一同謹慎の意を示し悲愁の意を呈していた」とのこと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 12月 1926 諒闇や改元どころではない紫波郡の干害に、在京の県出身学生が木炭廉売(昭和元年12月29日) 昭和元年12月29日の東京朝日新聞より。 紫波郡と東西磐井郡では1万町歩にわたる干害が発生し、28か村5万人が作物全滅という惨状であったという。 それでヒエや麦で食いつないでいたところ、昭和に元号が代わる頃にはそれすら無くなりつつある状況となっていたという。 そこで、在京の県出身学生は、県の名産物で… 続きを読む