k大船渡・陸前高田・気仙郡 19 7月 1939 なぜ陸前高田の徴兵検査は甲種合格が2割5分しかない?(昭和14年7月19日) 昭和14年7月19日の岩手日報より。 気仙郡3町20村での徴兵検査は7月13日~17日の間に各小学校の校庭で行われた。 甲種合格はの最高は下有住村で73%、最低は高田町で25%であったという。 なぜこうも陸前高田で低かったのか・・・? 各町村の甲種合格の状況は以下の通り。 唐丹村 50% 横田村 4… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 7月 1939 自称坊主が自費出版「生きる力」を刑務所官舎で押し売りして御用(昭和14年7月18日) 昭和14年7月19日の岩手日報より。 7月18日の午前中、盛岡少年刑務所の官舎で、ヘルメットに法衣姿の自称坊主が、「生きる力」という自費出版を押し売りして歩き、官舎の主婦たちはそれぞれの旦那である所の刑務所看守に連絡してすぐに御用になったという。 この自称坊主は高知県幡多郡出身の男で、盛岡少年刑務所… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 7月 1939 北福岡~荒屋新町、沼宮内~葛巻の省営バス設備工事を仙鉄局長が視察(昭和14年7月18日) 昭和14年7月19日の岩手日報より。 仙台鉄道局長と自動車課長は、7月18日午後に盛岡駅に到着し、建設中の省営バス(国鉄バス)の設備を視察する。 予定としては19日に沼宮内~葛巻間、21日に北福岡~荒屋新町間。 道路工事は県が行っており、自動車駅や車庫の工事は盛岡保線区で行っており、11月4日の竣工… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1939 岩手中学を卒業した6人が大陸開発に張り切る(S14.7.2新岩手日報) この時期、大陸への「進出」が盛んに行われていたが、岩手中学を卒業した6人もハルビンで頑張ることにした、というニュース。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1939 盛岡八幡宮の朝詣会が10周年(S14.7.2新岩手日報) 盛岡八幡宮には「朝詣会」というのがあったようで、河南地区にある杜陵・大慈寺・城南・仙北の各小学校の児童や岩手殖産銀行といった県内有力企業が祝賀会に駆けつける。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 7月 1939 松屋デパートで日本人形講習会(S14.7.1岩手日報) 盛岡・松屋デパートで7月5〜7日に、日本人形講習会を行うという。 愛国婦人会も後援として参加していた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 7月 1939 JOQG盛岡放送局で岩手山麓から野鳥・イタチ・狸の声を放送(S14.7.1岩手日報) 当時のラジオでは、各地の野生動物の声を放送することがよくあったようだが、今度はJOQG盛岡放送局が岩手山麓から野鳥・イタチ・たぬきの声を放送するという。… 続きを読む
l全県 1 7月 1939 愛国婦人会は銃後の母や未亡人に相談会 昭和14年7月1日の岩手日報より。 日中戦争が激化している昨今、愛国婦人会岩手県支部では戦地に大黒柱を送っている、または戦死した留守宅の夫人を相手に相談会を開催するという。 7月中旬から8月にかけて、盛岡市や県下30町村で銃後家庭強化相談会を行うという。 &… 続きを読む
l全県 1 7月 1939 警察「ガソリンの統制破りしやがって!配給は無しだ!」→製糸会社「春繭の集荷シーズンに御無体な…」 昭和14年7月1日の岩手日報より。 岩手県内の県是製糸などがガソリン統制を破って16,000ガロンのガソリン密売事件をやらかした。 県是製糸側は「規制前に契約したものが規制後に到着しただけ。別に密売のつもりはなかった」と言うが、警察経済保安課は「同情する余地はない」と、ガソリン5,000ガロンの特配… 続きを読む
m県外・参考 1 7月 1939 厚生省「夏はノータイ!男子は丸坊主!女子はパーマ禁止!」 昭和14年7月1日の岩手日報より。 日中戦争が長期化していたこの時期。精励委員会呼称の生活刷新運動に呼応して厚生省では実行要目10か条を設けて省内生活刷新にこれ努めることになった。 各種会合における時間励行 皇室関係者及び神社制式参拝以外はモーニング着用廃止 中元歳暮の贈答廃止 挨拶状、案内状などの… 続きを読む
j東磐井郡 1 7月 1939 千厩や気仙沼で跋扈していた山林詐欺を東京で逮捕(S14.7.1新岩手日報) この当時、千厩や気仙沼の方では、山林詐欺が横行していたようだ。 それは、青森出身の男で、「資金不足が生じたから一時貸してくれ」などとうまいことを言って、金を巻き上げていたようであるが、東京で逮捕されたのだという。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 7月 1939 けふ閉伊川の鮎漁解禁!(S14.7.1新岩手日報) 閉伊川の鮎漁は、東京方面でも知られていたと言う。 その鮎漁が解禁されると言うことで、小さくではあるが報じられていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 7月 1939 川徳も松屋も夏物大売り出し(S14.7.1新岩手日報) この時期、まだ夏は始まったばっかりであり、川徳と松屋の二大百貨店も夏物大売り出しで忙しかったようである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 7月 1939 盛岡から東京までの130里を自転車で踏破しよう(S14.7.1新岩手日報) 盛岡から東京までの130里を自転車で踏破して、明治天皇の東北巡幸の足跡をたどるという気宇壮大なツアーが開催されるという。 7月18日に三日間かけて東京に到着して、帰りは2日で済ませているようだが、これは列車か何かで帰ると言うことをだろうか。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9 4月 1939 北東北3県を荒らし回る怪盗を逮捕(S14.4.9) 昭和13年8月から昭和14年4月にかけて、岩手県下閉伊郡の川井村(現在の宮古市川井地区)、茂市村(現在の宮古市茂市地区)、田老村(現在の宮古市田老地区)などを中心に、現金や自転車を狙った盗難事件が相次いで発生しました。犯人は夜間に住宅へ侵入し、物品を窃取して山田線や宮古街道を利用して逃走する手口を繰… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 12月 1938 岩手郡寺田村の強盗傷人事件(S13.12.20) 昭和13年、岩手県岩手郡寺田村第四地割に住む当時22歳の青年は、貧農の次男として大正10年頃に生まれた。彼は両親のもとで尋常小学校を卒業後、製炭夫や日雇い労働者として働いていた。昭和11年11月、親戚から兄と共に融資を受け木炭製造を始めたが、翌年5月に兄が日中戦争で応召し出征。青年は一人で木炭製造を… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 8月 1938 覆面座談会:盛岡市内の女中の労働環境について(昭和13年8月12日) 昭和13年8月12日の岩手日報より。 盛岡市内の金持ちの家では女中を欲しがっているが、盛岡職業紹介所では女中の応募がまるでない。 これは職業紹介所の無能ではないか??? 職業紹介所長いわく、「そんなのは逆恨みだ。むしろ雇用してる方が待遇が悪いのを反省しろ!」 データとしては以下の通り。(昭和12年7… 続きを読む
g北上・和賀郡 12 8月 1938 黒沢尻(北上)で猫が犬を助けるという話 昭和13年8月12日の岩手日報より。 昭和13年8月12日の岩手日報より。 和賀郡黒沢尻町新富町の小料理屋「玉川」で飼われている6歳の猫「ニコ」が昼寝をしていると、近所の6歳の犬「テル」が悲鳴を上げている。 ニコが駆けつけてみると、テルが大きな犬に追われている。 「義を見てせざるは勇無きなり」とばか… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 8月 1938 JOQGラジオ盛岡放送局が開局 昭和13年8月7日、NHK盛岡放送局が開局した。 ただし当時は「NHK」という呼び方は一般的ではなく、JOQGというコールサインが一般的だったようである。 午前6時、「8月7日の朝が爽やかに明けました。皆さんおはようございます」のアナウンサーの第一声で放送が始まった。 午前10時からはスタジオで職員… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 8月 1938 盛岡警察署「物資統制令とはいうけど何が禁制品だって?」 昭和13年8月7日の岩手日報より。 当時の盛岡市における「物価のお目付け役」は、盛岡警察署経済保安係主任であったという。 物資統制新法令で取り締まりの対象は増えたものの、警察官にはどれが禁制品なのかさっぱりわからない。 それで、禁制品の見本を取り寄せて警察署内で鑑定会を行うことになった。 集められた… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 8月 1938 日中戦争の長期化による燃料節約のため、盛岡の盆火は中止します 昭和13年8月7日の岩手日報より。 盛岡ではお盆になると、各戸で焚火供養をしていた。 しかし日中戦争の長期化により、盛岡市内各町内会では燃料節約の国策に沿う観点から毎年行ってきた盆火を中止する旨申し合せた。 ただし、町内会によっては各戸で行っていたものを1か所にまとめて行う、あるいはは初盆を迎える家… 続きを読む
l全県 7 8月 1938 「シャープ」ブランドは戦前からあった 半濁点売却騒ぎなどでTwitterでは勇名を馳せるあの「シャープ」であるが・・・ https://twitter.com/SHARP_JP/status/649795452095754240 じつは戦前から「シャープ」ブランドはあった模様。 昭和13年8月7日、NHKラジオ盛岡放送局の開局を祝う新岩… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 8月 1938 「暁の超特急」吉岡隆徳が盛岡で講習会 昭和13年8月7日の岩手日報より。 「暁の超特急」として短距離競技でベルリンオリンピックにも出場した吉岡隆徳が8月6日に盛岡に来て、岩手県体育協会主催で盛岡高等女学校を会場に4日間にわたって講習会を行うという。 冒頭、吉岡は「百見は一聞に如かず、私の申し上げること、やることをただ聞いたり見たりして帰… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 12 5月 1938 花巻の少年店員殺し(S13.5.12) 昭和13年5月12日夜、岩手県稗貫郡花巻町(現・花巻市)字上町の食料品店「明治屋」に奇妙な電話がかかってきた。電話の主は「花巻駅前の公衆電話からかけている」と名乗り、生菓子を一円分届けてほしいと依頼。さらに「工藤医院に届けてほしい」と指定し、十円札で支払うから九円の釣銭を持ってくるよう求めた。明治屋… 続きを読む
l全県 28 4月 1938 南部鉄瓶は不要不急!軍需工業に転換せよ!(S13.4.28新岩手日報) 商工省は、不要普及の製品の製造を品目ごとに制限して、軍需工業に転換する方針にしたという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 4月 1938 盛岡陸軍病院は李王妃方子女王の傷病兵慰問に備え準備万端(S13.4.25新岩手日報) この当時の女性皇族の大きな仕事として「傷痍軍人の顕彰」「傷病兵慰問」があった。 梨本宮の第1王女であり李王垠の妃となった方子女王は、盛岡陸軍病院に慰問することとなり、その準備に大忙しだった。・ … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 4月 1938 銃後の盛岡市民もお花見(S13.4.22岩手日報) 盛岡もお花見のシーズンになっていたが「銃後」などという言葉が付いている。 日中戦争が始まった時期だった。… 続きを読む