昭和2年の元旦は「諒闇奉悼」(昭和2年1月1日)

大正天皇が崩御されて1週間ではさすがに喪は明けない。 一般であれば「喪中につき新年のご挨拶を辞退させていただきます」という所であるが、皇室が関係するとこれを「諒闇」という。 それで、昭和2年の元旦の新聞もこの通りである。