よそ行きキハ58

物心付いた頃、昭和50年代中盤は、まだキハ58は山田線や釜石線では急行運用だけで使われている誇り高い車両だった。

盛岡行きが「はやちね」、仙台行きが「陸中」で、堂々5両編成で走っていた。
その他、盛岡〜盛岡の循環急行として釜石線先回りが「五葉」、山田線先回りが「そとやま」、釜石〜宮古〜盛岡の「リアス」という急行もあった。

後年分かったことだが「陸中」は「たざわ」「むろね」「きたかみ」と併結して走っており、グリーン車は秋田行きの「きたかみ」に連結されており、まるで三陸方面は軽んじられているようで気分が良くなかった。
冷静に考えれば人口比率からはそれが適正だったのかも知れないが。

それが、小学校に入る頃には普通列車として走ることが多くなってきた。
そしていつしか2両が当たり前になって行った。

 

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