貨車がひとりでに走ってる!

大槌から釜石に行く用事というのは結構あった。
釜石駅のすぐ脇の大渡川を渡ってすぐの大町には丸光デパートや釜石市民病院があったし、その大渡川には橋上市場もあった。
製鉄所の企業城下町であった釜石は最も身近な「都会」だった。

その釜石駅の4番線でで宮古行きを待っていると、現在の三陸鉄道のホームとの間の機回し線を、貨車がひとりでに走っているではないか!

「お母さん!見で!貨車が自分で走ってる!」
「んだねぇ」

それが「突放」という作業であったことはかなり後年に知った。

まだまだ山田線も釜石線も貨物輸送が盛んだった。

 

 

showa
  • showa

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です