a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 6日 1929 盛岡には失業者が300人以上(昭和4年9月6日) 昭和4年9月6日の岩手日報より。 盛岡市職業紹介所における、8月中の求職状況は、男68名、女17名の85名の求職に対し、就職したのは男30名、女11名の41名に過ぎなかったと言う。 男は珍しく店員や行員の就職が多く、女は大抵が女中であった。 これでも、1月から求職をしていながら、いまだに職業がないも… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 5日 1929 岩手公園の南部中尉の愛馬の銅像が怪我しました(S4.9.5岩手日報) 岩手公園にある南部利祥中尉の愛馬の銅像が「怪我をした」というので修復作業。 ちなみに、銅像は昭和19年に金属類回収令で「出征」してしまい、現存せず台座のみ残っている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 5日 1929 立川飛行場の陸軍機が厨川村の雫石河畔に不時着(S4.9.5岩手日報) 立川飛行場所属の陸軍機が、弘前から帰る途中に厨川村の高圧電線に触れて雫石川の河原に不時着と。 この当時の厨川村で、雫石川の河川敷ということは、現在のイオン盛岡のあたりだろうか。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 5日 1929 「必然的に滅亡する悲惨な山村」とまで酷評された村(昭和4年9月5日) 昭和4年9月6日の岩手日報より。 東京帝国大学の渡辺助教授は、農村調査のため下閉伊郡小国村に出張中であった。 そして9月5日に盛岡に至り、午後21時28分の列車で青森に向かったが、その調査の結果はかなり辛辣であった。 原始共産主義的な形態の村。 「隠し念仏」と言われる浄土真宗の一派の中心者が部落を支… 続きを読む
g北上・和賀郡 9月 4日 1929 苦学の夢に敗れ貨物列車に飛び乗って帰郷(昭和4年9月4日) 昭和4年9月5日の岩手日報より。 9月4日の明け方、黒沢尻駅に到着した盛岡行きの貨物列車の連結に、17歳から18歳の青年がいたので、黒沢尻駅員がそれを派出所に連れて行った。 そこで調べたところでは、沿岸は田老村の出身の18歳の青年であったと言う。 苦学するために上京したものの、理想と現実とはあまりに… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 3日 1929 川井村でトラックから酔っ払いが飛び降りて圧死(昭和4年9月3日) 昭和4年9月5日の岩手日報より。 9月3日のこと。小国村の早池峰神社の祭典の参詣者を満載したトラックが、江繋村との村境付近で、乗っていた34歳の酔っ払いが飛び降りた。 そうしたところ、次の車に滑り込む形になってしまい、ついには死亡してしまった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 3日 1929 仙北町裏田んぼでイナゴ取り(昭和4年9月3日) 昭和4年9月3日の岩手日報より。 1枚切りの写真記事ではあるのだが、盛岡市仙北町うらの田んぼで稲をとっている風景である。 「仙北町裏田圃」とはどのあたりになるだろうか。 現在国道4号線が走っている東仙北あたりになるのか、はたまた線路沿いあるいは線路から西の西仙北になるかだろうか。 &n… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 3日 1929 釜石で横行する船舶部品泥棒(昭和4年9月3日) 昭和4年9月3日の岩手日報より。 改修のため須賀海岸に引き上げてあった漁船が、シャフト等の機械が何者かに窃取されていた。 実は、この手の漁船の部品の盗難は昭和2年ごろから頻繁に行われていたようで、このように引き上げてある漁船はほとんどがその盗難にかかっていたと言う程であった。 ひどいものになると、鋭… 続きを読む
m県外・参考 9月 3日 1929 「一寸法師歌劇団」が来朝(昭和4年9月3日) 昭和4年9月5日の岩手日報より。 身長わずか2尺3寸(約70cm)〜2尺9寸(約100cm)と言うモダーンな歌劇団の男女一行が9月3日に来朝したと言う。 この時代らしく「モボ」「モガ」揃いだと記事には書いてある。 団長は55歳で、その他は20代であったと言う。 どこの国から来たと言う事は書いていない… 続きを読む
m県外・参考 9月 2日 1929 岩手出身の美術教師が帝展で入選(S4.9.2岩手日報) 岩手県出身で、この当時府立第一高等女学校(現:都立白鴎高校)の美術教師であった女性が帝展で新入選したというニュース。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 2日 1929 渇水に悩む県南の電力事業者は火力発電所設置計画(S4.9.2岩手日報) 当時の電力は水力発電所が主だったが、水がなければどうにもならない。 それで、当時の胆江・一関町営・気仙の各電力会社は、火力発電所を設置する計画をしていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 2日 1929 二百十日は無事に過ぎる(昭和4年9月2日) 昭和4年9月2日の岩手日報より。 台風の当たり日であり、農家にとっては1年の実りを根こそぎ持っていかれる恐れのある農家の厄日「二百十日」も、今年は無事にすぎたようである。 写真は盛岡市梨木町の田んぼのようである。見事に稲が実っている。 岩手県立農事試験場の夏作定期調査によれば、この年の稲作は、大暑後… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 2日 1929 一関中学の野外教練で卒倒者続出(昭和4年9月2日) 昭和4年9月5日の岩手日報より。 一関中学校(現:一関一高)では、9月2日に夏休み明けの始業式を行うことになった。 では、9月2日に夏休み明けの始業式を行うことになった。 ところが、この時期、後者の第1期工事が終了したものの、内部が全く完成していなかったので、毎日2時間の野外教練を行うことになった。… 続きを読む
l全県 9月 1日 1929 震災記念日で二百十日(S4.9.1岩手日報) 9月1日は関東大震災の日として記憶されることとなった。 また、立春から数えて210日の二百十日は、台風の特異日でもあり、農家には恐れられていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1929 今度の盛岡税務署長は「鬼熊」で有名な千葉県の佐原出身(昭和4年9月1日) 昭和4年9月2日の岩手日報より。 今度の盛岡税務署長は、9月1日の午前11時36分に、盛岡駅着の列車で到着した。 岩手日報の記者に対しては「赴任が意外に遅れ申し訳ございませんでした。税務署の生活は大正10年から3年間の属官生活、署長になってから4年になります。 出身地は「鬼熊事件」で有名な千葉県の佐… 続きを読む