備考※1 10月 18日 1985 【参考】東京都庁が有楽町から新宿に移転決定(S60.10.18中日ニュース) この当時の都庁舎は昭和32年建築で築28年。 https://youtu.be/Hn3nqdp4CMA?si=5rrDkyHvjXMWjrO_ … 続きを読む
c久慈・九戸郡 4月 1日 1984 三陸鉄道開業(昭和59年4月1日) 昭和59年4月1日、三陸鉄道開業。 その日を大槌小学校の3年生として迎えたが、当時のことは割とよく覚えている。 開業前から「三陸縦貫鉄道」に関して何やらよくテレビでニュースをやっていた。 そして「日本で初めての第三セクター鉄道」というのが誇らしかった。 釜石に行くと、釜石駅から大渡橋に行く途中の「3… 続きを読む
備考※1 1月 26日 1979 【参考】岐阜県郡上八幡町では「父子手当」(S54.1.26中日ニュース) 岐阜県郡上郡郡上八幡町では「父子手当」がお目見えするとか。 https://youtu.be/8z4-WmP9H3c?si=qnHonxKTKQAnRBjs… 続きを読む
m県外・参考 4月 23日 1973 【参考】名古屋にも革新市長(S48.4.23中日ニュース) 少なくとも金メダルを噛むような市長ではなかったのは確か。 https://youtu.be/QPiE5PaJcgY… 続きを読む
備考※1 5月 15日 1972 【参考】沖縄返還 昭和47年5月15日、沖縄が日本に復帰。 ドルは円になる。 中日ニュースより。 https://www.youtube.com/watch?v=SbZb2skIaRw… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 10日 1968 岩手公園内に岩手県立図書館の新館が開館(昭和43年2月10日) 昭和43年2月10日、内丸の岩手公園内に岩手県立図書館が移転開館。 岩手県立図書館は平成18年に現在の盛岡駅の裏(アイーナ)に移転している。 その後、この建物は「もりおか歴史文化館」となっている。 https://www.youtube.com/watch?v=NskIPEtEbhA … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 31日 1967 県立図書館が竣工(昭和42年12月31日) 昭和42年12月31日の岩手日報より。 内丸の岩手公園内に、岩手県立図書館の建物が竣工したという広告。 開館は年が明けて昭和43年2月10日となる。 現在では、県立図書館は盛岡駅裏のアイーナに移転して、この建物は「もりおか歴史文化館」となっている。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 12月 6日 1967 昭和42年の久慈市5大ニュース(昭和42年12月6日) 昭和42年12月9日のデーリー東北より。 久慈市は、市勢ニュースを公募していたが、応募総数が142通あり、12月6日の久慈市広報委員会で以下の通りに決まった。 2年連続豪雨災害 川崎製鉄久慈工場閉鎖 岩手国体の柔道会場に決定 久慈中学校や久慈高校の野球部が善戦 久慈市役所の機構改正 &… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 4日 1967 釜石・中妻都市計画の西銀座街の舗装化が始まる(昭和42年11月4日) 昭和42年11月4日の岩手東海新聞より。 釜石駅の西側となる中妻の都市計画の中心となる地域の幹線道路の舗装作業が始まった。 この幹線道路は、及新マートを中心とした中妻都市計画の目であり、これが完成すれば、八雲小学校の前の保留地処分何個も一定の解決を見ると言うことを期待されていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 2日 1967 大槌町消防団常備部が消防団に昇格か(昭和42年11月2日) 昭和42年11月2日の岩手東海新聞より。 大槌町の消防団常備部は、設置以来10年余りとなっていた。 この消防団常備部は、町の厚生課所管となっており、公務員法を適用して町職員待遇となっていた。 指揮命令系統は消防団にあるが、組織上は厚生課にあると言うことで、チグハグな面も目立っていた。 それで、消防署… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 9日 1967 釜石市の商店売り上げは県内4位に転落(昭和42年3月9日) 昭和42年3月9日の岩手東海新聞より。 岩手県は前年7月1日現在に2年ぶりに商業調査を実施したが、県内の商店の年間売り上げは3435億円であると発表した。 釜石の年間売り上げは、219億6100万円であり、盛岡・水沢・花巻について第4位となり、前回までの第二位の地位から後退していることがわかった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 1日 1967 釜石・中妻土地区画整理事業の保留地処分(昭和42年3月1日) 昭和42年3月1日の岩手東海新聞より。 釜石市では、中妻地区の土地区画整理事業の保留地処分を行う旨の広告を出した。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 7月 1日 1966 宮古市議会の新しい録音システム(昭和41年7月1日) 昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 この時期、どこの市議会でも、速記の補助として録音が取り入れられていたが、そのうち、メインになるのではないかと思われていた。 しかし、そのためには、録音の切断や、雑音といった障害があるのだった。 そこで、宮古市議会の事務局長は、中央の速記者先に録音席を置き、机の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 1日 1966 大槌駅前の舗装で「駅前田んぼ」が解消(昭和41年7月1日) 昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 この当時の大槌町の古館町長は「道路町長」と呼ばれ、町内のほとんどの道路を舗装することに力を入れていた。 山田線の大槌駅前の道路もまた、雨が降れば「駅前田んぼ」として長靴に履き替えてあるかなければならないほどであったと言う。 このため、失業対策事業として、簡易舗… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 2日 1966 大槌病院が開院式(昭和41年3月2日) 昭和41年3月3日の岩手東海新聞より。 県立大槌病院では、開院式を行なった。 まだ末広町にあった時代。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3月 1日 1966 宮古善意銀行の預託者が増える(昭和41年3月1日) 昭和41年3月1日の岩手東海新聞より。 宮古善意銀行では預託者が増えていることを喜んでいるという記事。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 1日 1966 釜石駅を鳥ヶ沢に移転!?(昭和41年3月1日) 昭和41年3月1日の岩手東海新聞より。 釜石駅には移転問題があり、貨物駅と旅客駅を分離して旅客駅を鳥ヶ沢(釜石駅から山田線方面に行く最初のトンネルの辺り)に移転する計画もあった様だ。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 10月 22日 1965 山田町の町章は山口相互銀行の行章のパクリではないと分かったが…(昭和40年10月22日) 昭和40年10月22日の岩手日報より。 山田町の町章は、山口相互銀行のパクリではないかと指摘された。 結局、その指摘は真実ではないということになったが、しばらく町章を使用するのは控えようということになった。 ちなみに、現在の町章はこの5年後の昭和45年に制定された。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 20日 1965 国勢調査表が岩手県庁から東京に輸送される(昭和40年10月20日) 昭和40年10月21日の岩手日報より。 昭和40年は、5年に1度の国勢調査の年であったが、その国勢調査を集めて、岩手県庁での点検作業が終わり、東京の総理府統計局に積み出す作業が前倒しで終了した。 他県では、徳島県と埼玉県で積み出し作業が終わったと言うニュースが入っており、このままでいけば、全国で3番… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 11日 1965 昭和45年の国体は岩手に誘致しましょう!(昭和40年10月11日) 昭和40年10月11日の岩手日報より。 盛岡駅前に設置された宣伝塔。 千田知事を委員長とする「岩手県国体誘致委員会」は。この10月中を「国体誘致運動推進月間」に位置付け、誘致運動を展開することにした。 日本体育協会は、昭和45年の国体開催地に関する会議を、この時国体が開催されていた岐阜県で行うという… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10月 8日 1965 五葉山を日本一のシカ園にします!(昭和40年10月8日) 昭和40年10月8日の岩手日報より。 大船渡市では、野生のシカやサルが生息している五葉山を自然動物園にする計画を進めているという。 これは、五葉山のシカの研究をしている横須賀市博物館の柴田敏隆氏がこの年もフィールドワークの来るので、この柴田氏のアドバイスを受け、餌場を五葉山の各地に設置… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 22日 1965 盛岡の本町通は「油町」だった(昭和40年4月22日) 昭和40年4月22日の岩手日報より。 ヤマハの風呂の広告。 ヤマハで風呂桶を製造していたというのも意外であるが、本町通りは「油町」とよんでいたらしい。 住居表示制度を導入してしばらくも経っていない時期だった。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 4日 1965 大槌町赤浜にオットセイ研究所(昭和40年3月4日) 昭和40年3月4日の岩手東海新聞より。 大槌町赤浜にオットセイ研究所が完成した。 これは、大槌町の予算で建設し、水産庁東海区水産研究所に貸し与えたもの。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 3日 1965 釜石市の失対事業で呑んべ横丁も舗装へ(昭和40年3月3日) 昭和40年3月3日の岩手東海新聞より。 釜石市は、失対事業として、各地の道路舗装することにした。 その中には、製鉄所の近くののんべ横丁も入っていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 1日 1965 釜石・大平公民館が近日完成(昭和40年3月1日) 昭和40年3月1日の岩手東海新聞より。 釜石の大平公民館が3月7日に竣工するという。 大平というと、釜石駅の南側の釜石大観音がある方だが、こちらの方にも社宅が並んでいたらしい。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 16日 1965 江刺市内で舗装道路は水沢に行く県道だけ(昭和40年1月16日) 昭和40年1月16日の岩手日報より。 「まちの真空地帯」というシリーズものの記事で、10回目のこの回では江刺市を取り上げている。 昭和33年11月に市制してすでに6年となっていたが、舗装した道路はといえば水沢に抜ける県道だけで、それ以外が全部舗装していなかったというのである。 このため、市内の川原町… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 8日 1964 新しい県庁がお目見え 昭和39年12月8日の岩手日報より。 新しい県庁舎は、着工から丸2年が経過したが、外観工事はほぼ終わり、翌昭和40年3月には完工する見込みであるという。 工事を請け負った鹿島建設によれば「建物は87%、暖房は76%、エレベーターは72%、電気関係は63%が終わっている」という。 完成すれば東北一の建… 続きを読む