東西冷戦

岩手日報の記者が見たベトナム戦争(昭和41年1月11日) m県外・参考

岩手日報の記者が見たベトナム戦争(昭和41年1月11日)

昭和41年1月11の岩手日報には、岩手日報の編集局長が自ら南ベトナムへ飛び、その様子を取材した様子を報じている。 この時期、ベトナム戦争は激化し、民間人への虐殺が相次いでいた。 Wikipediaに記述があるだけでも、以下のようなことが起こっている。 1965年10月にベトナムに上陸した韓国軍は同年…
久慈市長の訪中に際し壮行会(昭和32年10月15日) c久慈・九戸郡

久慈市長の訪中に際し壮行会(昭和32年10月15日)

昭和32年10月17日のデーリー東北より。 北京市長の招きで、「北日本港湾都市市長団」の三役として久慈市長も中国に行くこととなった。 それに対して、10月15日、市役所別館にて壮行会が150人を集めて行われた。 市長は「漁業、水産物の交易とコルホーズが中国ではどのようになっているかを見極めたい。また…
ソ連の核実験で盛岡でも放射能が6665カウント(昭和32年4月20日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

ソ連の核実験で盛岡でも放射能が6665カウント(昭和32年4月20日)

昭和32年4月20日の岩手日報より。 ソ連の核実験が伝えられ、上空のジェットの風下にあたる日本でも、戦々恐々となっていた。 そのような中、盛岡でも6665カウントの放射能が観測されたのだと言う。 ちなみに、カウントとベクレルの単位については以下のページを参照。    …
北洋船団が函館を出港(昭和31年4月28日) m県外・参考

北洋船団が函館を出港(昭和31年4月28日)

昭和31年4月29日の岩手日報より。 日ソ漁業交渉が難航する中、北洋サケ・マス船団はベーリング海に向けて函館を出港して行った。 この中には岩手県の漁船も多く含まれている。 ちなみに、日ソ漁業条約はこの5月に成立することとなった。           …
岩手県選出の社会党議員が中国の戦犯収容所を視察 a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手県選出の社会党議員が中国の戦犯収容所を視察

昭和30年11月29日の岩手日報より。 岩手県出身で日教組の副委員長まで務め、参議院議員となっている小笠原二三男氏は、1か月の日程で陽春・北京・哈爾浜・瀋陽・上海・長春・撫順と中共の教育事情を視察し、28日に急行「十和田」で盛岡に帰り、「中国の教育は素晴らしいの一言に尽きる!」とベタ褒めしていた。 …
朝鮮動乱を受けた物価の変動(昭和26年7月21日) l全県

朝鮮動乱を受けた物価の変動(昭和26年7月21日)

昭和26年7月21日の「夕刊いわて」より。 マリク声明による朝鮮動乱ノノナナ停戦を受けた物価の動向が表としてまとめられている。 やわらかいもの(繊維・ゴムなど)はそれほどでもなかったが、固いもの(鉄鋼・石炭など)はてきめんに上昇していたという。      …
今晩のラジオ番組案内(昭和26年4月4日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

今晩のラジオ番組案内(昭和26年4月4日)

昭和26年4月4日の「夕刊いわて」より。 隅っこには「今晩のラジオ」として番組案内が掲載されている。 「朝鮮の戦局はどうなるか」などと、まるで当記事執筆現在のウクライナ侵攻のような感覚で朝鮮戦争を解説していたようである。 「QG」とはNHK盛岡放送局のコールサイン(JOQG)。  …
全専売労組の中央委員会が盛岡で開催される(昭和25年9月26日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

全専売労組の中央委員会が盛岡で開催される(昭和25年9月26日)

昭和25年9月27日の岩手日報より。 全専売労働組合の中央大会が、盛岡市上田の専売公社盛岡支所新講堂で行われた。 この時期はレッド・パージの時期で、専売公社側は共産党員のリストを作成し、良くても100名程度、ひどい場合は3~400名程度の人員整理があるのではないかと予想していた。 また、この年の6月…