備考※1 4月 10日 1988 【参考】瀬戸大橋開通(昭和63年4月10日) 中日ニュースより。 昭和63年4月10日、瀬戸大橋が開通した。 https://www.youtube.com/watch?v=QpdRtxAwesc… 続きを読む
備考※1 2月 16日 1983 【参考】青函トンネルが貫通(S58.2.16中日ニュース) 世界最長のトンネルがついに貫通。 https://youtu.be/1sJNHlK3knE?si=xf2WSPZKnS6M2Yqb … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 31日 1967 県立図書館が竣工(昭和42年12月31日) 昭和42年12月31日の岩手日報より。 内丸の岩手公園内に、岩手県立図書館の建物が竣工したという広告。 開館は年が明けて昭和43年2月10日となる。 現在では、県立図書館は盛岡駅裏のアイーナに移転して、この建物は「もりおか歴史文化館」となっている。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 18日 1967 きれいになった釜鉄桟橋(昭和42年11月18日) 昭和42年11月18日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所では、荷役作業の能率向上と環境整備による災害防止の効果を狙い、桟橋改善工事を行っていた。 工事は、桟橋クレーンの延長と軌道改良に伴い舗装化に重点が置かれ、これまで一部ゴタゴタしていた荷役作業現場もスッキリして、気持ちよく働けると作業員から喜ばれた… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 11日 1967 私費で橋を架ける善行 釜石(昭和42年5月11日) 昭和42年5月11日の岩手日報より。 釜石市向定内で製材所を経営する男性が、バス停のある野田まで甲子川を渡るのに不便であると、私費で架橋して4年、向定内の住民を喜ばせているというニュース。 見た感じ、ありがたい橋なのではあろうが欄干もなく通るのには勇気が要る。 西日本の山間部にあるような「沈下橋」の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 14日 1967 釜石の五ノ橋が新橋に切り替わります(昭和42年3月14日) 昭和42年3月14日の岩手東海新聞より。 釜石駅と小佐野方面を結ぶ五ノ橋が新しくなり、その工事期間中は水道の水圧が下がるので注意、と。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 1日 1966 教員団地の建設で「釜石から早く出たい」も減少へ(昭和41年11月1日) 昭和41年11月1日の岩手東海新聞より。 釜石の教育界には、「住宅難」と言う問題があった。 そこで、釜石市と釜石市教育委員会は、釜石市野田に、鉄筋コンクリート3階建てのアパートを建設した。 この教職員アパートは、前年度同様に、富士鉄釜石製鉄所のH形鋼を骨材として使用するもので、建設費は全額公立学校共… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 10月 28日 1966 宮古電報電話局は4階建ての高層ビルになる予定(昭和41年10月28日) 昭和41年11月1日の岩手東海新聞より。 昭和44年度に完成を目指す宮古電報電話局の自動改式局増設工事の地鎮祭と起工式は、10月28日11時から宮古市築地通りの建設現場で行われた。 起工式には、東北電気通信局長や宮古電報電話局長や、関係者来賓80名が出席して行われた。 宮古管内でも、電話架設の要望は… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 1日 1966 大槌駅前の舗装で「駅前田んぼ」が解消(昭和41年7月1日) 昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 この当時の大槌町の古館町長は「道路町長」と呼ばれ、町内のほとんどの道路を舗装することに力を入れていた。 山田線の大槌駅前の道路もまた、雨が降れば「駅前田んぼ」として長靴に履き替えてあるかなければならないほどであったと言う。 このため、失業対策事業として、簡易舗… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 30日 1965 大槌・金沢中学校では特別教室が完成(昭和40年11月30日) 昭和40年12月1日の岩手東海新聞より。 大槌町の金沢中学校では、11月30日に特別教室の増築落成式が開催された。 金沢中学校では、それまで特別教室がなく、教材がいたずらに積まれていた状態になっていた。 大槌町教育委員会の昭和38年以来の文教整備5ヵ年計画によって、中学校の本校舎に接続する敷地80坪… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 1日 1965 釜石・丸光デパートが全館落成記念セール!(昭和40年7月1日) 昭和40年7月1日の岩手東海新聞より。 釜石の丸光デパートが全館落成記念セールを行うという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 3日 1965 盛岡市内の住宅地の地価(昭和40年4月3日) 昭和40年4月3日の岩手日報より。 盛岡市内の不動産屋は、市内の住宅地の地価に関して広告を打っている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 3日 1965 釜石市の失対事業で呑んべ横丁も舗装へ(昭和40年3月3日) 昭和40年3月3日の岩手東海新聞より。 釜石市は、失対事業として、各地の道路舗装することにした。 その中には、製鉄所の近くののんべ横丁も入っていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 8日 1964 新しい県庁がお目見え 昭和39年12月8日の岩手日報より。 新しい県庁舎は、着工から丸2年が経過したが、外観工事はほぼ終わり、翌昭和40年3月には完工する見込みであるという。 工事を請け負った鹿島建設によれば「建物は87%、暖房は76%、エレベーターは72%、電気関係は63%が終わっている」という。 完成すれば東北一の建… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 26日 1964 東北電力岩手支店の造形美は「直線と曲線の融合」(昭和39年11月26日) 昭和39年11月26日の岩手日報より。 中津川べりに建つ東北電力岩手支店の建物は昭和37年に建ったものであるというが、スパンドレルと呼ばれるアルミニューム合金で、記事の表現をそのまま借りれば「キリのマサ目を思わせるやわらかい線ときっちり並んだ窓ワクがいかにもすがすがしい感じを与える」と表現されている… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 25日 1964 釜石で技能オリンピック(昭和39年6月25日) 昭和39年6月25日の岩手東海新聞より。 釜石職業訓練協会では「技能オリンピック」を開催するという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 6日 1964 釜石南高校の新校舎落成式(昭和39年6月6日) 昭和39年6月3日の岩手東海新聞より。 かねて松倉に建築中だった釜石南高校の校舎は、6月6日に落成式が行われることとなった。 校庭は41,910平方メートル、鉄筋コンクリートで一部5階の校舎となっていた。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 6月 2日 1964 宮古海上保安署は新庁舎建築中(昭和39年6月2日) 昭和39年6月2日の岩手東海新聞より。 宮古海上保安署は、それまで宮古海運局の2階を間借りをしていたものであるが、海事振興会が中心となって、宮古・下閉伊地区の船主や漁協に協力を求めて、全額地元負担で新しい庁舎を建設することになったのである。 それで、宮古市鍬ヶ崎の県有地をに、総工費250万円、木造モ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 9日 1963 釜石市内の道路舗装工事のため岩手東部バスが迂回します(昭和38年9月9日) 昭和38年9月9日の岩手東海新聞より。 釜石市の中心部・只越町の道路舗装工事のため、市内の道路は通行制限を敷くことになった。 それで、岩手東武バスも一部ルート変更することになった。 これは10月10日までと予定されていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 3日 1963 いろいろと使い道の多い釜石小学校旧校舎(昭和38年9月3日) 昭和38年9月3日の岩手東海新聞より。 釜石小学校は、昭和37年度に新しい校舎に移ったが、その後も釜石一中から独立した大平中学校の新校舎が完成するまで仮校舎として入居したり、県の合同庁舎新築に際して仮庁舎として使用されたりと言う経緯があった。 さぁこれから特別教室兼屋内体育館として旧校舎の跡地に建設… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1962 新しい盛岡市役所の新庁舎では民生部の窓口で全て用がたせますよ!(昭和37年11月1日) 昭和37年11月1日の河北新報より。 「盛岡新庁舎拝見」というシリーズものの記事の第6回目。 民生部の窓口は、市民本位に立って全て用がたせるようにしたのだという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 3日 1962 須川温泉道路の愛称募集(昭和37年9月5日) 昭和37年9月5日の岩手報知より。 この10月に、秘境・須川温泉に太平洋側と日本海側からアクセスする須川道路が開業しようとしていた。 これに際し、一関市ではこの須川道路の愛称を募集することにした。 後援は一関商工会議所・岩手県南バスなど。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 13日 1962 繋温泉に無料の市民浴場が完成 昭和37年1月13日の岩手日報より。 「盛岡の奥座敷」として知られる繋温泉で、繋温泉組合の出費と地元民の勤労奉仕で市民浴場「薬師の湯」が完成した。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 1日 1962 岩手日報社の新社屋は2月に着工します(S37.1.1岩手日報) 岩手日報社の社屋は、前年に火災で焼けていた。 しかし、新社屋が内丸に計画され、2月には着工するということで意気が上がっていた。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 12月 6日 1961 種市町では近く中学校が統合するが…(昭和36年12月6日) 昭和36年12月6日のデーリー東北より。 種市町内の種市中学校、角ノ浜中学校、平内中学校を統合する話は、昭和32年から持ち上がっていた。 しかし、角の浜、平内の角学では、経済的負担が重くなるので反対しており実現できなかった。 ところが、その頃入学生等が増加し、学校修繕費がかかり、収容が困難でどうして… 続きを読む
g北上・和賀郡 11月 15日 1961 湯田村でダイナマイト盗まれる(昭和36年11月15日) 昭和36年11月16日の胆江日日新聞より。 水沢市の火薬店では、和賀郡湯田村の国有林内に倉庫を持っていた。 そこに、11月15日の未明に賊が侵入してダイナマイトを盗んで行ったというのである。 物騒なものが盗まれたというので、所轄の北上署から水沢署に連絡があり、緊急体制を開始したという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 27日 1961 釜石・大渡橋は腐食が進み改修は急務(昭和36年7月27日) 昭和36年7月27日の岩手東海新聞より。 釜石市の大渡橋は、釜石駅から釜石の市街地に行く際に必ず通る重要な橋である。 昭和12年に木橋から鉄筋コンクリート橋に架けかえして24年、その間に腐食が進んでいるというのだが・・・ ここは、時代相を知ってもらうため、記事の原文をそのまま掲載したい。 (強調部分… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 3日 1960 釜石小学校が新校舎に生まれ変わる(昭和35年9月3日) 昭和35年9月3日の岩手東海新聞より。 明治6年に開校した釜石小学校は、この時点では明治37年、日露戦争が開戦した年に建築された築57年の校舎であった。 それを新しく鉄筋コンクリートに改築するというのである。 近く、PTAにより校舎とのお別れ会が開かれるのだという。 … 続きを読む