a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 8月 1951 盛岡では電話交換手にすら繋がらない(S26.8.7夕刊いわて) 昭和二十六年当時の盛岡では、現在のようにダイヤルを回せば自動的に相手につながる“自動式電話”はまだ普及していませんでした。 市内で主流だったのは 「共電式」 と呼ばれる方式。受話器を上げるとまず電話局につながり、交換手に相手の番号を告げて接続してもらう、という仕組みです。 Screenshot とこ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 8月 1951 8月10日に天才歌手・美空ひばり一行が来盛します!(昭和26年8月7日) 昭和26年8月7日の「夕刊いわて」より。 美空ひばり一行が盛岡に来るのだという。 … 続きを読む