h水沢・江刺・胆沢郡 9月 11日 1952 江刺郡羽田村にモグリの歯医者(S27.9.11岩手日報) 江刺郡羽田村にモグリの歯医者がいて、平泉でお縄になったという。 このモグリ歯医者は、戦争の時に衛生兵で歯科治療の経験があったのだという。 ちなみに江刺郡羽田村は現在の新幹線水沢江刺駅があるあたりで、江刺郡でありながら江刺市ではなく水沢市と合併し、現在は江刺市とともに奥州市になっている。 … 続きを読む
l全県 9月 11日 1952 収穫の秋にあの手この手の貯蓄合戦(昭和27年9月11日) 昭和27年9月11日の岩手日報より。 秋は農家の収穫や秋漁の水揚げで現金が多く飛び回り、各金融機関では、貯蓄の誘致に懸命であった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 11日 1952 二百十日も無事平穏(昭和27年9月11日) 昭和27年9月11日の岩手日報より。 立春から数えて210日目を「二百十日」と呼び、農家からは台風がよく来る日として恐れられていた。 それでも、この年は無事平穏に過ぎたようだった。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 9月 11日 1952 黒沢尻町は都市計画で面目を一新(昭和27年9月11日) 昭和27年9月11日の岩手日報より。 黒沢尻町(現:北上市)は戦時中は国産軽銀があったが、廃墟となっていた。 そこへ工場地帯が再び建設されるなど、復興の兆しを見せていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 11日 1952 聞け!映画「原爆の子」に寄せる巷の声(昭和27年9月11日) 昭和27年9月11日の岩手日報より。 サンフランシスコ講和条約までは、日本に国家主権はなく「occupied Japan」だったため、アメリカを批判するようなことは報道できなかった。 それで、原爆被害も大っぴらに報道することはできなかったのだ。 しかし、講和で独立を勝ち取ると、それを大っぴらにする… 続きを読む