h水沢・江刺・胆沢郡 11月 20日 1953 ソ連からの帰還を待つ水沢の一家(S28.11.20胆江日日新聞) 終戦から8年たってもなお、引揚は100%済んだわけではなかった。 戦時中に朝鮮に渡っていたところ、家庭の事情で、日本に妻と子だけ引き上げていたところ、戦争が終わってしまい、夫と音信不通になってしまったと言うのだ。 それが、終戦から8年経って、ソ連で暮らしていると言う便りが届いたのであった。 &nbs… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 20日 1953 水沢でパーマ屋さんが値上げ(S28.11.20胆江日日新聞) 水沢では、パーマ屋さんは250円から340円に値上げすると言う。 ただしこれは、洋髪に限ったことで、日本髪は据え置きするのだと言う。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 20日 1953 胆沢川発電所がいよいよ貯水(S28.11.20胆江日日新聞) 水沢では、待望の胆沢川発電所がいよいよ完成し、従来の8倍の発電能力を持つ発電所が稼働を開始しようとしていた。 この時期の胆江日日新聞には非常に珍しい写真入り記事。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 20日 1953 保全経済会旋風、水沢だけでも同業15社(S28.11.20胆江日日新聞) この時期、「保全経済会」が話題をにぎわせていた。 ただし、似たような業態の会社はいくらでもあり、水沢だけでも同業者が15社いたと言う。 それらに、大丈夫だったのかどうかアンケートを取ってみたようだ。 ちなみに、この頃、胆江日日新聞は、大型化の最中であり、この日は大型だったので、紙面が4分の1しか取れ… 続きを読む