i一関・西磐井郡 7月 28日 1960 一関からは宮城県本吉の大谷海岸で海水浴(昭和35年7月28日) 昭和35年7月28日の岩手報知より。 一関の小学校では、普段は陸前高田の高田松原に行くのが普通だったようだが、この年はチリ地震津波で現れてしまい、宮城県本吉の大谷海岸に行くようになったようだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 22日 1960 一関で35℃と記録的な暑さ(昭和35年7月22日) 昭和35年7月22日の岩手報知より。 この日、一関では35℃と記録的な暑さになったのだと言う。 ちなみに、現在では35℃などと言う気温は、7月単独としても10位にすら入らない程度となってしまった。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 17日 1960 弾丸道路の停車場候補に一関の厳美地区(昭和35年7月17日) 昭和35年7月17日の岩手報知より。 この当時、高速道路は「弾丸道路」と言われていたようで、インターチェンジも「停車場」と呼ばれていた。 その「停車場」の候補に、一関市厳美地区が候補に上がり、建設省の課長が視察に来たのだという。 ちなみに、東北自動車道の盛岡〜一関で部分開業するのは昭和52年のこと。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 15日 1960 一関で邪恋精算自殺(昭和35年7月15日) 昭和35年7月15日の岩手報知より。 一関一高の定時制の生徒が副毒自殺をしたのだと言う。 それは、下宿先での邪恋の精算であったと言う。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 11日 1960 朝日新聞一関通信局の人事(昭和35年7月11日) 昭和35年7月11日の岩手報知より。 朝日新聞一関通信局の人事も岩手報知で報じていたようで、この時点での駐在者は群馬県の前橋支局に転任、後任は東京の立川通信局から来るということであった。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 9日 1960 一関から南米に移民する3家族の送別会(昭和35年7月9日) 昭和35年7月9日の岩手報知より。 一関市大平開拓地から、南米パラグアイに行く3世帯17名の送別会が中里農協会議室で開かれた。 送別会には一関市長、一関市農林課長、市内各農業組合長、開拓連盟支部長など60人が集まった。 移民団の代表からは「このような盛大な送別会を開いていただいて感謝にたえません。パ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 9日 1960 一関東映では「東映友の会」会員募集(昭和35年7月9日) 昭和35年7月9日の岩手報知より。 広告欄には、一関東映劇場による東映友の会の会員募集が行われていた。 会費は半年で300円であったが、そのうち半分は一関東映劇場で持つという。 会員拡大のノルマが東映本社であったのだろうか。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 9日 1960 北鮮帰還者から一関市役所に音信(昭和35年7月9日) 昭和35年7月9日の岩手報知より。 この記事の前年の昭和34年以降、北朝鮮への帰還事業が進められていたが、一関市からは3家族が帰還していた。 そのうち1家族から音信が届いたという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 8日 1960 一ノ関駅の改修計画(昭和35年7月8日) 昭和35年7月8日の岩手報知より。 一ノ関駅には改修計画があり、国鉄側から設計図は出ていたが地元側の敷地計画が未完成という状況だった。 ちなみに一ノ関駅の駅舎は、この記事から10年後の昭和45年に完成している。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 8日 1960 一関二高でアンケート「岸内閣を支持するか」(昭和35年7月8日) 昭和35年7月8日の岩手報知より。 一関二高で「岸内閣を支持するか」アンケートをとったところ、「支持しない」が上回った模様。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 5日 1960 一関一高の放火事件で夜警団が増えた結果…(昭和35年7月5日) 昭和35年7月5日の岩手報知より。 この年の6月末、一関一高が放火で焼失した。 この時点では、犯人はまだ上がっていなかったので、一関市内の各町内会では夜警団を結成して警戒して歩くことになったのである。 そうすると、各町内の夜警団が、ヤアヤアと声を交わしている風景が頻繁となったのである。 そのたびに犬… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 2日 1960 一関の販売店「石油コンロで日活・東映映画ご招待!」(昭和35年7月2日) 昭和35年7月2日の岩手報知より。 一関市内のもコンロ販売店では、石油コンロで日活・東映の映画ご招待!という広告を出していた。 … 続きを読む