e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 1日 1964 日本計算機は35,000円(S39.2.1岩手東海新聞) 広告欄より。 機械式の「日本計算機」は35,000円であったという。 この時期の大卒初任給は2万円だった。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 1日 1964 東海製鉄の社長が釜石を訪問(昭和39年2月1日) 昭和39年2月1日の岩手東海新聞より。 愛知県の東海製鉄では、その操業開始に当たって釜石製鉄所の労働者も7〜800人欲していた。 そこで、社長自らが釜石まで来たのである。 希望者は1000人程度いたが、800人弱まで絞ったのだという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 1日 1964 釜石で「ビル」といえば浜町の市営ビルだった(昭和39年2月1日) 昭和39年2月1日の岩手東海新聞より。 釜石市内の肉屋が広告を売っている。 その名も「ビルの工藤」。 まるで釜石市内にはビルは釜石市営ビルしかないかのように。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 1日 1964 赤羽根スキー場でスキー場開き(昭和39年2月1日) 昭和39年2月1日の岩手東海新聞より。 遠野市と釜石市の間にある赤羽根スキー場でスキー場開きを行ったという。 釜石でスキー場といえば赤羽根スキー場で、昭和の終わりごろになると、笛吹峠の近くに「青ノ木スキー場」がオープンする。 … 続きを読む