軍事

支那軍が満鉄線を爆破(S6.9.20岩手日報) m県外・参考

支那軍が満鉄線を爆破(S6.9.20岩手日報)

昭和6年9月20日の岩手日報は、満州事変勃発直後の緊迫した情勢を克明に伝えています。主文は、暴戻なる支那軍が満鉄線を破壊襲撃し、これを受けて日支両軍が遂に砲火を交え、我軍が奉天城を占領したことを大々的に報じています。 Screenshot 記事によれば、18日午後10時30分頃、奉天北北大営西方付近…
工兵第8大隊・輜重兵第8大隊の連合演習(S6.9.15岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

工兵第8大隊・輜重兵第8大隊の連合演習(S6.9.15岩手日報)

昭和6年9月15日の岩手日報によれば、盛岡の工兵第8大隊と弘前の輜重兵第8大隊による連合演習が、日詰付近の北上川両岸で実施されることになった。 これは、あらかじめ設定された想定に基づき、材料の授受や渡河訓練を行うものだという。 掲載された写真は、その前日の9月14日に撮影されたもので、盛岡(観武ヶ原…
軍隊でも正月は朝風呂で楽しむ(S6.1.1岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

軍隊でも正月は朝風呂で楽しむ(S6.1.1岩手日報)

昭和6年1月1日の岩手日報には、軍隊におけるのんびりとした新年の様子が伝えられている。タイトルは「朝風呂に浸ってのんびり新年を祝ふ 楽しい軍隊生活」。 記事によれば、元旦の早朝、盛岡に駐屯する騎兵第3旅団では、兵舎ごとに紅白の幕が張られ、静かな年明けを迎えていた。兵士たちは夜明けとともに順に「朝風呂…
盛岡駅で岡田海軍大将「ロンドン軍縮会議の件で噂になっていることはいることは確信ではない」(S5.7.10岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡駅で岡田海軍大将「ロンドン軍縮会議の件で噂になっていることはいることは確信ではない」(S5.7.10岩手日報)

【昭和5年のリアル】盛岡駅で岡田大将が放った「真相」への一喝 昭和5年7月10日の岩手日報。その一面を飾るのは、軍服に身を包んだ海軍大将・岡田啓介氏の姿です。 大湊要港部(青森)への視察途中、盛岡駅に降り立った岡田大将を、地元の記者が直撃した際のエピソードが、当時の緊迫した空気感を今に伝えています。…
ロンドン軍縮会議で閣議や四巨頭会談(S5.7.8岩手日報) m県外・参考

ロンドン軍縮会議で閣議や四巨頭会談(S5.7.8岩手日報)

昭和5年7月8日:軍縮と不況、揺れる日本の縮図 昭和5年(1930年)7月8日付の「岩手日報」の紙面を広げると、そこには国家の存亡をかけた外交問題と、国民の切実な生活不安が同居する、極めて緊迫した時代の空気が閉じ込められています。 1. 海軍の「四巨頭」が激突した日 Screenshot 紙面のトッ…
西磐井郡老松村から少年航空兵(S5.3.1岩手日報) i一関・西磐井郡

西磐井郡老松村から少年航空兵(S5.3.1岩手日報)

昭和5年、岩手県内では海軍志願兵に対する徴募検査が各地で行われていた。そのうち西磐井郡では、一関小学校を会場として検査が実施され、多くの若者が海軍各部門への志願に臨んだ。 この検査で、当時の西磐井郡老松村(現在の一関市花泉町)出身の中村一男君が、少年航空兵に合格したことが報じられている。 少年航空兵…
少年航空兵に県内でも相応な数が応募(昭和5年3月1日) l全県

少年航空兵に県内でも相応な数が応募(昭和5年3月1日)

この年から、海軍では新たに「少年航空兵」の募集を始めることとなった。 「少年航空兵」とは、年少のうちから選抜・教育され、将来の海軍航空隊員として育成される制度である。身体的・精神的に健全で、かつ将来的に飛行機乗りや航空技術者としての資質を持つ者が対象とされた。 横須賀鎮守府管内での採用枠は40名とご…
トラホームは「虎眼」?(S5.3.1岩手日報) h水沢・江刺・胆沢郡

トラホームは「虎眼」?(S5.3.1岩手日報)

昭和5年(1930年)3月1日の『岩手日報』には、今ではあまり見かけない病名が登場する。それが「虎眼(とらめ)」、すなわちトラホームである。 記事によれば、水沢町(現・奥州市)では3月4日、徴兵年齢に達した壮丁者たちに対し、虎眼の検診が行われるという。 トラホームとは、クラミジア属の細菌によって引き…
立川飛行場の陸軍機が厨川村の雫石河畔に不時着(S4.9.5岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

立川飛行場の陸軍機が厨川村の雫石河畔に不時着(S4.9.5岩手日報)

昭和4年9月5日の岩手日報に掲載されたニュースによれば、立川飛行場所属の陸軍機が厨川村の雫石川河畔に不時着するという事故が発生した。 この陸軍機は弘前から立川へ戻る途中だったが、厨川村上空で何らかの事情により飛行を続けることが困難となり、最終的には雫石川の高圧電線に接触。そのまま川の河原に不時着した…
一関中学の野外教練で卒倒者続出(S4.9.5岩手日報) i一関・西磐井郡

一関中学の野外教練で卒倒者続出(S4.9.5岩手日報)

昭和4年9月2日、一関中学校(現・岩手県立一関第一高等学校)では、夏休み明けの始業式が行われた。 しかしこの年、校舎の第1期改築工事は終わっていたものの、内部はまだ未完成で、教室として使用できる状態ではなかった。そのため、やむを得ず毎日2時間にわたる野外教練が行われることになっていた。 始業式では、…
青訓査閲日程(S4.9.1岩手日報) l全県

青訓査閲日程(S4.9.1岩手日報)

昭和4年9月1日付『岩手日報』に掲載された「青訓査閲日割」は、青年訓練所における盛岡工兵連隊の査閲日程を伝えるものである。担当官として第三区が日置中佐、第四六が瀬能大佐と記されており、それぞれ上閉伊郡・気仙郡、胆沢郡・西磐井郡・東磐井郡の青年訓練所を巡る予定が示されている。 青年訓練所(青訓)は、戦…
陸軍特別大演習を終わって勅語(S3.10.9岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

陸軍特別大演習を終わって勅語(S3.10.9岩手日報)

【盛岡のルーツ】昭和3年、岩手が熱狂した「観武ヶ原」の大演習 1928年(昭和3年)10月9日付「岩手日報」2面を読み解く Screenshot 盛岡市民におなじみの地名「みたけ」。現在は住宅街や商業施設が広がるこの街のルーツが、かつて日本中の注目を集めた場所にあります。 手元の古い紙面、昭和3年1…
陸軍特別大演習は雨中の決戦(S3.10.9岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

陸軍特別大演習は雨中の決戦(S3.10.9岩手日報)

【歴史秘話】昭和3年10月8日、豪雨の観武ケ原に響いた勝鬨(かちどき) ~岩手日報夕刊が伝えた、陸軍特別大演習クライマックスの記録~ 今から約100年前、岩手の地が日本の、そして世界の注目を集めた日がありました。昭和3年10月。 Screenshot 手元にある「昭和三年十月九日(火曜日)」付の岩手…
陸軍特別大演習(S3.10.8岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

陸軍特別大演習(S3.10.8岩手日報)

【タイムスリップ読解】昭和3年、岩手が「戦場」になった日。陸軍特別大演習の熱狂 皆さん、こんにちは。今日は、今から90年以上前、昭和3年(1928年)10月8日の「岩手日報」を紐解いてみたいと思います。 Screenshot この時期の岩手県は、まさに「軍都」のような活気に包まれていました。昭和天皇…
陸軍特別大演習に向けて(S3.10.1岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

陸軍特別大演習に向けて(S3.10.1岩手日報)

【タイムトラベル】昭和3年10月1日、岩手が「国家の舞台」になった日 ~岩手日報の紙面から読み解く、陸軍特別大演習の熱狂~ Screenshot 手元にある一枚の古新聞。昭和3年(1928年)10月1発行の「岩手日報」です。ページをめくると、現代の静かな岩手からは想像もつかないほどの「熱気」と「緊張…
陸軍大演習を控えて建物が新築される盛岡(S3.9.12岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

陸軍大演習を控えて建物が新築される盛岡(S3.9.12岩手日報)

【タイムトラベル】昭和3年、大演習を控えた盛岡の「光と影」 1枚の古い新聞記事から、約100年前の盛岡へタイムトラベルしてみましょう。 Screenshot 手元にあるのは、昭和3年(1928年)9月12日付の「岩手日報」。 秋に開催される「陸軍特別大演習」という国家的一大イベントを前に、街全体が異…
壮烈なる歩騎合同演習(昭和3年9月6日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

壮烈なる歩騎合同演習(昭和3年9月6日)

昭和3年9月6日の岩手日報に掲載された「歩騎聯合演習」に関する記事は、盛岡近郊・観武ヶ原(現在の盛岡市みたけ付近)にて行われた陸軍の合同演習の様子を伝えています。この記事では、歩兵と騎兵が入り乱れての演習の様子が「壮観」と形容され、観閲式を含む大規模な訓練が終盤を迎えたことが報じられています。 当時…
観武ヶ原の騎兵連隊から脱走兵(S3.9.5岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

観武ヶ原の騎兵連隊から脱走兵(S3.9.5岩手日報)

昭和3年9月5日付『岩手日報』は、盛岡市観武ヶ原に駐屯する陸軍騎兵第二十三連隊附属の機関銃隊から、兵卒1名が脱走した事件を報じています。 脱走したのは、秋田県山本郡鹿渡村出身の兵卒で、記事では「狂へる兵卒」と表現されており、精神的に異常な言動があったとみられています。この兵は、当初は遊撃軍属として勤…
陸軍特別大演習の地図を予約販売します!(昭和3年9月4日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

陸軍特別大演習の地図を予約販売します!(昭和3年9月4日)

昭和3年9月4日の岩手日報より。 盛岡市呉服町の書店「文明堂書店」では、同年10月に予定されている「岩手縣下特別大演習」のための地図が特約販売されると広告が出ている。 これは陸地測量部が編纂した演習地図で、陸軍の特別大演習にあわせて発行されるものであった。広告によれば、販売されるのは以下の2種: 五…
陸軍特別大演習の日程が決定(昭和3年9月4日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

陸軍特別大演習の日程が決定(昭和3年9月4日)

昭和初期、日本陸軍では毎年一度「陸軍特別大演習」と呼ばれる大規模な演習が行われていた。これは、複数の師団からなる数万人規模の部隊を動員し、仮想の敵軍同士に分かれて戦う本格的な戦闘演習であった。通常の訓練とは異なり、より実戦に近い規模と緊張感を持って行われるのが特徴で、演習には飛行部隊や高射砲部隊、電…
歩兵第31連隊油川大隊が盛岡入り(S3.9.3岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

歩兵第31連隊油川大隊が盛岡入り(S3.9.3岩手日報)

昭和3年9月3日の岩手日報より。 翌9月4日から二日間にわたって施行される歩騎連合演習に備え、歩兵第31連隊の油川大隊と機関銃隊あわせて総勢543名が、臨時列車で盛岡に到着した。到着時刻は午後1時半である。 本部は新田町の片倉製糸場に置かれ、兵員たちは新田町・片原・厨川村の一部の民家に分宿する形がと…
陸軍始めの在盛部隊の閲兵式(S3.1.9岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

陸軍始めの在盛部隊の閲兵式(S3.1.9岩手日報)

昭和3年1月9日の岩手日報は、前日の8日に執り行われた在盛部隊の「陸軍始め」の様子を詳報しています。 Screenshot 当日は「雪晴れに輝くきのふ」と見出しにある通り、前日までの雪が止み、白銀の市街に陽光が映える絶好の天候となりました。午前10時より中津河畔および内丸通りにおいて親兵式が挙行され…
県下各校の配属将校が決定(S2.3.16岩手日報) l全県

県下各校の配属将校が決定(S2.3.16岩手日報)

昭和2年3月16日の『岩手日報』より。 この時代、岩手県内の旧制中学校や高等女学校、実業学校などには「配属将校」と呼ばれる軍人が派遣されていた。これは学校での軍事教練や思想教育の一環として、陸軍省が制度化していたものである。 この日の新聞には、岩手県下の各校に新たに配属される将校の人選が決定したとい…
入営兵の見送りで賑わう盛岡駅(S2.1.8岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

入営兵の見送りで賑わう盛岡駅(S2.1.8岩手日報)

昭和2年1月8日の岩手日報より。 この日の盛岡駅は、朝から見送り客でごった返していた。向かう先は、弘前の歩兵連隊。現役兵として入営する若者たちを見送るため、家族や友人たちがホームに詰めかけていた。 写真に写るのはその一幕。列車の窓越しに帽子を振る者、最後の言葉を交わそうとする者、それをただ黙って見つ…
盛岡駅の入営兵見送りを1人あたり20人までに制限(昭和2年1月7日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡駅の入営兵見送りを1人あたり20人までに制限(昭和2年1月7日)

昭和2年1月7日の岩手日報より。 例年、徴兵で入営する際にはお見送りの人で盛岡駅のホームがごった返していたようで危険極まりない状態だったようである。 それで、盛岡駅では入営者が最も多いことが予想される8日の9:23と11:42発の急行列車は、入営者1名につき20名までしか入場券を売らないことにしたと…