i一関・西磐井郡 1 2月 1933 一関小学校の児童宅で最も多い楽器は三味線とハーモニカ(S8.2.1岩手日報) 昭和8年2月1日付の岩手日報に掲載された「三味線とハーモニカ ― 最も多かった二つ」という記事は、当時の家庭における音楽文化の変遷を鮮やかに描き出しています。一関小学校が情操教育の参考資料として、児童の家庭にある楽器を調査したこの記録からは、和の伝統と洋の新しい波が混ざり合う、当時のモダンな生活風景… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1932 盛岡の小学生が明治神宮参拝にいざいざ(S7.11.2岩手日報) 昭和7年、11月2日付の岩手日報。そこには、時代の空気を色濃く写し出した一枚の写真と記事が掲載されていました。「児童参拝団出発」と題されたその記事は、今から90年以上も前、盛岡の街から東京を目指した子どもたちの記録です。 記事によると、盛岡市内の小学校から選ばれた22名の児童たちが、明治神宮参拝のた… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 1月 1932 盛岡・内丸座で「野に叫ぶもの 闘争編」「キーンの決死隊」公開(S7.1.10岩手日報) 昭和7年1月10日の岩手日報によると、盛岡の内丸座では「野に叫ぶもの 闘争編」と「キーンの決死隊」が上映されていました。 「野に叫ぶもの 争闘編」は、昭和6年7月23日に公開された松竹の無声映画で、鈴木伝明・高田稔・沢蘭子・及川道子らが出演。「鬼も哭かしむ大社会派劇」だったようです。 一方「キーンの… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1932 盛岡・村定蓄音機部「世界一のビクター蓄音機を65円で!」(昭和7年1月6日) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 広告欄には、村定蓄音機部がビクター蓄音機の広告を出している。 「輸入当時なら150〜160円のビクター蓄音機も時代の進歩でわずか65円に!」 ちなみに、この記事を書いている令和4年現在、村定楽器店は盛岡市材木町で盛業中である。  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1932 新年度募集入選作「皆で笑って」(S7.1.1岩手日報) 昭和7年1月1日の岩手日報には、新年度の写真コンクール入選作として「皆で笑って」という作品が掲載されていました。 作者は唐武作氏。画面には、屋外で三脚にカメラを構えた男性と、それに向かって笑顔を向ける子どもたちの様子が写し出されています。 岩手日報では、このように写真愛好家から作品を募り、優秀作を紙… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 9月 1931 盛岡・四ツ家教会に新しい神父着任(S6.9.13岩手日報) 盛岡市のカトリック四ツ家教会に、このたび新しい神父が着任した。 着任したのは早坂神父で、仙台の旧制第二高等学校を卒業後、さらにローマに留学していた経歴を持つ。 帰国後は東北帝国大学医学部でラテン語の講師も務めており、学識豊かな人物として知られている。 着任にあたって神父は次のように語った。 「盛岡の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 9月 1931 内丸座で「最後の中隊」「朗らかに泣け」公開(S6.9.11岩手日報) 昭和6年9月11日の岩手日報の広告欄より。 この日の盛岡・内丸座では、洋画と邦画の抱き合わせ上映が行われていた。 洋画はコンラート・ファイト主演のドイツ映画『最後の中隊』。広告文句には「深刻悲壮の犠牲愛血史」とあり、第一次世界大戦下の戦場で繰り広げられる重厚で悲壮な愛と犠牲の物語であることを強調して… 続きを読む
g北上・和賀郡 9 9月 1931 黒沢尻(北上)の諏訪神社で祭典(S6.9.9岩手日報) 昭和6年9月9日の岩手日報より。 黒沢尻町の郷社・諏訪神社では、9月7日から9日にかけて祭典が行われた。町内は紅白の幔幕で彩られ、まさにお祝い一色の雰囲気に包まれたという。 農家も比較的暇な時期であったため、近在からも多くの人々が押し寄せ、神社境内は一層の賑わいを見せた。境内には見世物小屋が掛けられ… 続きを読む
l全県 6 9月 1931 岩手日報の1面トップは全面「キング」の広告(S6.9.6岩手日報) 昭和6年9月6日の岩手日報より。 この日の1面トップは、なんと雑誌「キング」の全面広告であった。 戦前の新聞では、こうした大判広告が1面を占拠することもあったようだが、岩手日報のような地方紙でも実際に行われていたのは興味深い。 新聞といえばニュース記事が並ぶという現代の感覚からすると、かなり意外な紙… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 3月 1930 盛岡・御園座で「情恨」「曲馬団の秘密」公開!(S5.3.28岩手日報) 昭和5年3月28日の岩手日報より。 盛岡の御園座では、この日から二本立てで映画を公開していた。 一本目は『情恨(じょうこん)』。昭和5年(1930年)2月7日に公開されたばかりのマキノ映画で、マキノプロダクションの松浦築枝(まつうら・ちくえ)と南光明(みなみ・こうめい)が主演している。仏寺を舞台に、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 3月 1930 盛岡・内丸座で「ダンスガールの悲哀」「支那街の夜」「東洋パッション楽劇座公演」「伊勢音頭」公開!(S5.3.28岩手日報) 昭和5年3月28日の『岩手日報』には、盛岡の内丸座の派手な広告が掲載されている。すべて右書きで組まれた文字は、舞踊、楽劇、歌舞伎映画といった娯楽の世界を一面に展開し、当時の盛岡の大衆文化の熱気を伝えてくる。 上映作の一つ「ダンスガールの悲哀」は、昭和4年11月1日に松竹から公開された作品で、都市のダ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 3月 1930 盛岡・内丸座で「明眸禍」「空中サーカス」「闇・後日譚」公開!(S5.3.14岩手日報) 昭和5年3月14日の『岩手日報』に掲載された映画広告によると、盛岡の内丸座では三本立ての豪華上映が行われていた。文芸映画『明眸禍』、アメリカの航空青春映画『空中サーカス』、そして剣戟時代劇『闇・後日譚』という多彩なラインナップである。 『明眸禍(めいぼうか)』は菊池寛の同名小説を原作にした作品で、昭… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 3月 1930 女子師範学校の音楽会(S5.3.3岩手日報) 昭和5年3月2日午後1時半より、盛岡市内丸の岩手女子師範学校にて音楽会が開催された。この催しには、女子師範の生徒たち約千名のほか、市内の尋常小学校から招かれた児童数百名も来場し、にぎやかな雰囲気の中で音楽に親しんだ。 写真には、舞台上で指揮をとる女性教師と、伴奏を担うピアノ奏者の姿、そして足をくずし… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1930 内丸通りで絵を描く人(S5.3.1岩手日報) 昭和5年(1930年)3月1日の岩手日報には、「季節を描く人」と題された印象的な写真記事が掲載された。 写っているのは、盛岡市中心部の内丸通りにて、冬の街並みを前にイーゼルを立てて絵筆を握る画家の姿。手前にはスケッチ道具が置かれ、雪を踏みしめるように立つその姿は、まるで冬の空気をキャンバスに封じ込め… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1930 盛岡の内丸通りで絵を描く人(S5.3.1岩手日報) 昭和5年(1930年)3月1日の岩手日報には、「季節を描く人」と題された印象的な写真記事が掲載された。 写っているのは、盛岡市中心部の内丸通りにて、冬の街並みを前にイーゼルを立てて絵筆を握る画家の姿。手前にはスケッチ道具が置かれ、雪を踏みしめるように立つその姿は、まるで冬の空気をキャンバスに封じ込め… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1930 盛岡・紀年館では日活「修羅城」「父」公開(S5.3.1岩手日報) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 この日の盛岡「紀年館」の広告には、日活配給の2本の映画――『修羅城』と『父』の上映が告知されていた。 『修羅城 水星篇・火星篇』(1929年10月1日公開)は、池田富保が原作・脚本・監督を務めた、日活太秦撮影所によるオールスター時代劇。18巻・無声・モノクロ・上映時… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 9月 1929 岩手公園の南部中尉の愛馬の銅像が怪我しました(S4.9.5岩手日報) 昭和4年9月、盛岡市の岩手公園でちょっとした“異変”が起きました。園内に建てられていた南部利祥(としなが)中尉とその愛馬の銅像のうち、馬の像の一部に破損が見つかり、足場を組んでの修復作業が行われているのです。 写真に見えるのは、銅像の周囲を囲う足場と、その上で作業を行う職人たちの姿。まるで本当に「怪… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 5 9月 1929 川井と花巻で自動車事故(S4.9.5岩手日報) 昭和4年(1929年)9月3日、小国村で行われた早池峰神社の祭典に関連し、2件の自動車事故が報じられました。 ひとつは、小国村と江繋村の境界付近で発生した事故です。参詣者を満載したトラックに乗っていた34歳の男性が、酒に酔った勢いで走行中に突然車外へ飛び降りました。ちょうど後続していた車の進路に滑り… 続きを読む
m県外・参考 5 9月 1929 「一寸法師歌劇団」が来朝(S4.9.5岩手日報) 昭和4年9月3日、ある小さな人々の一行が「来朝」したとの報が、9月5日の『岩手日報』に掲載された。その名も「一寸法師歌劇団」。男女混成の近代的な一座でありながら、身長わずか二尺三寸(約70cm)から二尺九寸(約100cm)という小人症の団員たちで構成された異色の歌劇団である。 団員たちは、いわゆる「… 続きを読む
m県外・参考 2 9月 1929 岩手出身の美術教師が帝展で入選(S4.9.2岩手日報) 昭和4年の帝国美術展覧会(帝展)において、東京府立第一高等女学校(現・東京都立白鷗高校)の美術教師・橋本花子さんが、「七面鳥」と題する作品で新入選を果たした。しかも今回は「折紙付きの特選」として、高い評価を受けたことが紙面で紹介されている。 橋本さんは青森市の出身で、女子美術学校(現・女子美術大学)… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 9月 1928 陸軍特別大演習の地図を予約販売します!(昭和3年9月4日) 昭和3年9月4日の岩手日報より。 盛岡市呉服町の書店「文明堂書店」では、同年10月に予定されている「岩手縣下特別大演習」のための地図が特約販売されると広告が出ている。 これは陸地測量部が編纂した演習地図で、陸軍の特別大演習にあわせて発行されるものであった。広告によれば、販売されるのは以下の2種: 五… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 9月 1928 盛岡・紀念館では「続水戸黄門」を上映中(S3.9.4岩手日報) 昭和3年9月4日の岩手日報より。 盛岡の映画館「紀念館」では、日活映画『続水戸黄門』が上映されていた。 本作『続水戸黄門』は、1938年(昭和3年)4月15日に初公開された時代劇映画で、監督は仁科熊彦。主演の水戸光圀公には山本嘉一が扮している。前作『水戸黄門』の好評を受けて制作された続編で、勧善懲悪… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 9月 1928 札幌の岩手県出身者学生寮「岩鷲寮」が太田村で映画会(S3.9.4岩手日報) 札幌の地にある岩手県出身者の学生寮「岩鷲寮(がんじゅりょう)」が、岩手県内の太田村で映画会を開催したという記事が昭和3年(1928年)9月4日の『岩手日報』に掲載されている。 現在でこそ、太田村周辺――盛岡市盛南地区は都市的に開発され、大型商業施設や住宅地が広がる地域となっているが、昭和初期において… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1928 岩鷲寮寮生の桜山神社参拝(S3.9.2岩手日報) 昭和3年9月2日の岩手日報によると、北海道で学ぶ岩手県出身の学生たちが暮らす寮「岩鷲寮(がんじゅりょう)」の寮生が、盛岡市内の桜山神社を参拝した。 これは、夏季休暇を利用して帰郷中の寮生が行ったもので、一行はそろって神社に赴き、拝殿の前で丁重に参拝する様子が報じられている。 写真には、整列した学生た… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 9月 1928 岩手県公会堂で「音楽と舞踊の夕べ」(昭和3年9月1日) この日の紙面では、今晩盛岡の岩手県公会堂第一ホールにて開催される「音楽と舞踊の夕べ」の案内が掲載されている。午後7時開演、主催は岩手日報社。 出演は以下の通り: セロ(チェロ):高勇吉氏 アルト独唱:齋藤靜子夫人 バイオリン:高玉枝嬢 舞踊:ドイツの舞姫・ヘティー・ウツケル嬢(高氏新夫人) この時期… 続きを読む
l全県 1 1月 1928 昨年の回顧(S3.1.1岩手日報) 昭和3年の元旦に発行された岩手日報の紙面を飾る「昨年の回顧」は、前年の昭和2年がいかに激動の1年であったかを物語っています。この資料は岩手県内のみならず、日本全国、そして世界を揺るがした出来事を一枚の絵巻物のように凝縮して伝えており、大正から昭和へと時代が移り変わった直後の特有の熱量と不安が混在して… 続きを読む
l全県 1 1月 1928 昭和二年県下漫観一年史(S3.1.1岩手日報) 昭和3年1月1日の岩手日報に掲載されたこの資料は、清二郎という絵師が昭和2年の岩手県内における出来事や世相を1枚の絵に凝縮した、非常に興味深い記録です。昭和2年県下漫観一年史と題されたこの作品は、今でいう年末年始の特別企画のような位置付けであり、当時の岩手の人々がどのような1年を過ごしたのかを視覚的… 続きを読む
i一関・西磐井郡 14 7月 1927 平泉・毛越寺で国宝を盗んだまではよかったが、いや良くないが 昭和2年7月14日の東京朝日新聞・読売新聞より。 前年の大正15年9月、平泉・毛越寺から国宝数点が盗み出された。 藤原秀衡納「仏説宝網経」 釈尊直使「乱蛇体」 大原實守作名刀 運慶作仏像「毘沙門天」 玉手箱 これらは合計で当時の価格にして5~60万円相当の者であったという。 それで、岩手県警察部では… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 6月 1927 新しい岩手県公会堂のこけら落としは照井栄三らが出演(S2.6.27岩手日報) 盛岡のシンボル、「岩手県公会堂」が誕生した瞬間の熱狂をご存知でしょうか? 昭和2年(1927年)6月27日付の岩手日報には、オープン間もない公会堂で行われた「郷土出身者大音楽会」の様子が、現代のライブレポ顔負けの熱量で記されています。 満員御礼!「立錐の余地なし」の熱狂 Screenshot 記事の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 4月 1927 盛岡・内丸座で「広瀬中佐」「幻の賊」「アイアンホース」「勝てば官軍」を公開(S2.4.22岩手日報) 昭和2年4月22日の岩手日報より。 盛岡の映画館・内丸座では、この日から豪華な四本立て上映が行われた。戦争の英雄譚から西部劇、捕物、歴史劇まで揃ったそのラインナップは、まさに昭和初期の映画興行の活気を象徴するものであった。 『広瀬中佐』は松竹キネマ蒲田撮影所で製作され、大正15年(1926年)6月2… 続きを読む