a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 5月 1937 盛岡農学校の寄宿舎で火災 原因は生徒のタバコ 5月15日朝8:05頃の朝礼中、紫波郡見前村の盛岡農学校の寄宿舎で火を噴いているのを教頭が発見した。 直ちに教員・生徒総動員で消火に努め、9時ごろ鎮火した。 寄宿舎の隣には15,000円相当の蚕種があったが、それは無事であったという。 原因は寄宿舎にが行っている二戸郡出身の生徒の煙草の不始末で、朝に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 5月 1936 紫波郡古舘女子青年学校で農業労働(昭和11年5月1日) 昭和11年5月1日の岩手日報より。 紫波郡の古舘女子青年学校では、果樹園で施肥や薬剤散布の作業をおこなった… という写真記事。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 9月 1934 夏休みが終わり帰省中の生徒が次々と次々と盛岡に戻ってくる(昭和9年9月1日) 昭和9年9月1日の岩手日報より。 学校では夏休みが終わり、帰省していた生徒が次々と盛岡駅に戻ってきた。 この当時、夏休みは関東以南同様、8月31日まであったらしい。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 2 11月 1933 宮古水産学校の同窓会「二八会」も遠洋漁業の発展に助力(S8.11.2岩手日報) 昭和8年11月2日付の岩手日報に掲載された、宮古水産学校の卒業生団体「二八会」による熱い決意を伝える記事をご紹介します。 この記事は、当時の岩手県における漁業の未来を切り拓こうとする若きエリートたちの情熱に満ちています。当時、宮古水産学校の卒業生有志で組織されていた二八会は、遠洋漁業を飛躍的に躍進さ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 3月 1933 釜石実科高等女学校は孵化場の跡に移転します! 昭和8年3月2日に発行された、3月3日付岩手日報夕刊より。 当時、釜石町立であった実科高等女学校はこの昭和8年度に工費15,000円で新築することが釜石町議会で決定した。 新築場所は孵化場の跡になり、新校舎は2階建て4教室になるという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1932 中等学校競技大会(S7.11.1岩手日報) この前日、中等学校競技大会が開催されたようで、陸上競技で優勝した青森師範、柔道で優勝した横手中学、弓道で優勝した盛岡中学の写真が掲載されている。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 29 10月 1932 遠野中学に廃止説!?(昭和7年10月29日) 昭和7年11月1日の岩手日報より。 明治34年(1901年)に開校した遠野中学校は、開校から30年にして財政難から廃校すると言う噂が立った。 それで、遠野町の複数の町議が町役場に集まって協議した結果「阻止運動を本格化させる前に成り行きを静観しよう」と言うことになった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 3月 1930 女子師範学校の音楽会(S5.3.3岩手日報) 昭和5年3月2日午後1時半より、盛岡市内丸の岩手女子師範学校にて音楽会が開催された。この催しには、女子師範の生徒たち約千名のほか、市内の尋常小学校から招かれた児童数百名も来場し、にぎやかな雰囲気の中で音楽に親しんだ。 写真には、舞台上で指揮をとる女性教師と、伴奏を担うピアノ奏者の姿、そして足をくずし… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 3月 1930 盛岡市内の各中等学校の志願者減る(S5.3.2岩手日報) 昭和5年3月2日の岩手日報から、盛岡市内の中等学校における入学志願者の動向を伝える記事を紹介する。 この年、盛岡中学校(現在の盛岡第一高等学校)など市内各中等学校では、志願者が前年に比べて減少していた。例年であれば、上級学校への進学を目指す少年たちが胸を高鳴らせる季節だが、この年の3月はやや様子が違… 続きを読む
i一関・西磐井郡 5 9月 1929 一関中学の野外教練で卒倒者続出(S4.9.5岩手日報) 昭和4年9月2日、一関中学校(現・岩手県立一関第一高等学校)では、夏休み明けの始業式が行われた。 しかしこの年、校舎の第1期改築工事は終わっていたものの、内部はまだ未完成で、教室として使用できる状態ではなかった。そのため、やむを得ず毎日2時間にわたる野外教練が行われることになっていた。 始業式では、… 続きを読む
l全県 1 9月 1929 青訓査閲日程(S4.9.1岩手日報) 昭和4年9月1日付『岩手日報』に掲載された「青訓査閲日割」は、青年訓練所における盛岡工兵連隊の査閲日程を伝えるものである。担当官として第三区が日置中佐、第四六が瀬能大佐と記されており、それぞれ上閉伊郡・気仙郡、胆沢郡・西磐井郡・東磐井郡の青年訓練所を巡る予定が示されている。 青年訓練所(青訓)は、戦… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 20 6月 1929 花巻高等女学校で弁論大会(S4.6.20岩手日報) 昭和4年の視点:花巻高女の弁論大会と「わきまえる」エリート女子の葛藤 1929年(昭和4年)6月20日付、岩手日報の記事より 「可愛い女學生がモガに痛棒」という構図 Screenshot 昭和初期、花巻高等女学校(花女)で開催された弁論大会。その様子を伝える岩手日報の見出しには、現代の視点で見ると非… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 9月 1928 農学校の田んぼも豊作(昭和3年9月1日) 昭和3年9月1日の岩手日報より。 「豊穣を語る案山子」と題された写真記事が掲載されている。写真には、たわわに実った稲穂が風に揺れ、その中にぽつねんと立つ案山子の姿が見える。背景には霞むように並ぶ家々や林があり、初秋の田園の空気が感じられる。 場所は「盛岡農学校」とされており、当時の校舎は盛岡市菜園に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 3月 1927 女子師範学校の卒業生が岩手日報社を見学(S2.3.16岩手日報) 昭和2年3月16日の岩手日報より。 当時、盛岡市内丸にあった岩手女子師範学校の卒業生たちが、岩手日報社を見学したときの一枚である。引率は堀江・新藤の両教諭、訪問は午後3時に実施された。 この日、見学に訪れたのは卒業生70余名。一行は整然と社内に入り、新聞制作の現場を興味深く見学した。写真には、袴姿の… 続きを読む
l全県 16 3月 1927 県下各校の配属将校が決定(S2.3.16岩手日報) 昭和2年3月16日の『岩手日報』より。 この時代、岩手県内の旧制中学校や高等女学校、実業学校などには「配属将校」と呼ばれる軍人が派遣されていた。これは学校での軍事教練や思想教育の一環として、陸軍省が制度化していたものである。 この日の新聞には、岩手県下の各校に新たに配属される将校の人選が決定したとい… 続きを読む