l全県 1 9月 1975 消費者米価が平均19%アップ(S50.9.1) 昭和50年度の岩手県を振り返ると、「狂乱物価」の余韻が色濃く生活にのしかかっていたことが、当時の記事からよくわかる。石油危機後の全国的な物価高騰はようやく沈静化しつつあったとはいえ、県民にとっては依然として厳しい時代。米価、乳製品、酒類、燃料など、日々の暮らしに直結するものが次々と値上げされ、家計を… 続きを読む
l全県 4 12月 1974 岩手県漁連がソ連大使館に抗議の陳情(S49.12.4) 【岩手漁業の歴史】昭和49年12月4日、ソ連船団の脅威に立ち向かった漁民たちの記録 三陸の海と生活を守るため、岩手県漁連が敢行した決死の直接交渉 昭和40年代後半、三陸沖から北海道沿岸にかけての豊かな漁場は、かつてない危機に瀕していました。1万トン級という、当時の日本の漁船とは比較にならない巨躯を持… 続きを読む
l全県 1 10月 1974 県農政部に飼料緊急対策室設置(S49.10.1) 【記録】昭和49年「畜産危機」の激震―飼料高騰と肉牛暴落が招いた悲劇― 昭和48年から49年にかけて、日本の畜産業は「崩壊」の淵に立たされていました。手元の古い資料には、国際情勢に翻弄された農家の苦悩と、行政が異例の即応を見せた生々しい記録が残されています。 1. 砂上の楼閣だった「輸入依存」 高度… 続きを読む
l全県 6 9月 1974 県内12市町村でミニ国体開催(S49.9.6) 昭和49年から50年にかけての郷土のスポーツ界を振り返る上で欠かせない出来事が、全国に先駆けて実施されたミニ国体こと第1回東北総合体育大会の開催です。9月6日から9日までの4日間、盛岡市を中心に県内12市町村の35会場で繰り広げられたこの大会は、東北6県の体育協会が結束し、それまで各競技でバラバラに… 続きを読む
l全県 31 5月 1974 国民春闘の岩手県内の状況(S49.5.31) 1974年に行われた「国民春闘」は、賃上げ要求や労働時間短縮、インフレ抑制を中心に大規模な労働争議が全国で展開されたものです。この春闘には約930万人の労働者が参加し、労働組合の80%がこの時期に賃上げ交渉を行いました。春闘共闘委員会は「国民的要求を前面に出す」として「悪性インフレ阻止」をスローガン… 続きを読む
l全県 31 3月 1974 旱魃や豪雪で農作物に被害(S49.3.31) 昭和48年6月下旬から始まった干ばつは、岩手県に大きな被害をもたらした。農作物の被害面積は約4万9800ヘクタール、被害額は約69億6000万円と見積もられ、水稲、牧草、野菜などが特に影響を受けた。被害率はホップが55.3%、牧草47.6%、野菜43.1%と高く、水稲の被害額は約29億7200万円に… 続きを読む
b経済・産業 1 2月 1974 県に「物価Gメン」発足(S49.2.1) 昭和48年10月17日、中東戦争を契機にアラブ産油国が原油生産制限と輸出削減を決定し、日本は友好国と見なされず25%の削減を通告されました。石油に大きく依存していた日本経済は混乱に陥り、家庭や産業で灯油やガソリン、石油化学製品の不足が深刻化しました。昭和49年1月16日には電力使用制限が発動され、公… 続きを読む
l全県 31 12月 1973 県内の交通事故死者数が過去最悪に(S48.12.31) 昭和48年、県内の交通事故による死者数が219人と過去最悪を記録し、10年前の倍以上に達した。全国では事故件数や死者数が減少傾向にある中、県内では増加が続き、全国でも4番目の増加幅となった。この状況を受け、県警は「100日作戦」や「交通死亡事故半減非常体制」を展開し、交通規制の強化や安全啓発運動を推… 続きを読む
l全県 15 11月 1973 日中国交正常化による中国からの帰還女性(S48.11.15) 昭和48年11月15日、陸前高田市出身の伊藤イクさんは、28年ぶりに故郷の土を踏みました。昭和47年の日中国交正常化を機に動き出したこの里帰りは、国家間の外交が、岩手に生きるひとりの女性の人生として結実した瞬間でした。長年、病床で娘の帰りを待ちわびていた母親との再会は、戦後という長い年月がようやくひ… 続きを読む
l全県 26 1月 1973 政府が「土地対策要項」策定(S48.1.26) この時期は、急速な土地ブームによって岩手県を含む日本の地方が影響を受けました。 高度経済成長期、インフレの影響や「日本列島改造論」によって、大手資本や土地ブローカーが土地投機や買い占めを進め、公共用地や住宅地の需要が高まったことで地価が急騰しました。 特に、盛岡市周辺では宅地や工業用地の価格が大幅に… 続きを読む
l全県 8 5月 1972 第3次県観光開発計画決まる(S47.5.8) 昭和47年5月、岩手県は 第三次観光開発計画(47〜52年度) を正式に決定した。これは、当時進行していた大規模構想「北東北広域観光の展開」を支えるための本格的な五カ年計画で、東北新幹線や東北自動車道の開通を見据えた“観光の大量化・多様化”への対応を目的としていた。 第二次観光計画(42〜46年度)… 続きを読む
l全県 29 3月 1972 県政発展計画の改定(S47.3.29) 昭和47年3月29日、県は「県勢発展計画」の改定を総合開発審議会に諮問した。これは、昭和38年度を目標に策定された従来の計画が、経済や社会情勢の変化に対応しきれなくなったためである。東北縦貫自動車道や東北新幹線の建設対応、国際競争力を持つ中小企業や農業の育成、生活環境保全や県民福祉の充実などが新たな… 続きを読む
l全県 16 1月 1972 台湾坊主と低気圧で県内に甚大な被害(S47.1.16) 47年1月13日に台湾坊主と呼ばれる気象現象(南岸低気圧)が三陸沿岸を襲い、その後1月16日には三陸沖に発生した低気圧によって豪雨と大雪がもたらされ、堤防が決壊し、養殖施設も壊滅的な被害を受けました。送電線や道路が寸断され、林業にも甚大な損害が発生し、被害総額は49億円に上りました。特に気仙沿岸では… 続きを読む
l全県 27 6月 1971 参議院選挙で自民党が圧勝(S46.6.27) 昭和46年6月27日に行われた第9回参議院議員通常選挙において、岩手県選挙区では自民党現職の岩動道行が27万7,335票を得て再選され、社会党新人の小川仁一に約6万6,000票差で圧勝した。岩動氏は昭和44年6月の補欠選で初当選しており、今回は2期目となる。 投票率は戦後の参院選では3番目に低く、都… 続きを読む
l全県 3 2月 1971 2年連続の米の生産調整(S46.2.3) 昭和46年度は、政府が余剰米対策として生産調整と予約限度数量を実施しました。本割り当ての生産調整量は前年の2倍以上に達し、農民に大きな影響を与えました。一方で、基本米価が3年ぶりに引き上げられたものの、予約限度数量の設定が農民を動揺させました。 天候不順が稲作に深刻な影響を及ぼしました。冷害や霜害、… 続きを読む
l全県 16 10月 1970 秋田県南東部地震で岩手県内でも被害(S45.10.16) 昭和45年10月16日午後2時20分ごろ、秋田県南東部を震源とする地震が発生し、東北・関東・北海道・中部地方にかけて揺れが観測された。震源は秋田県雄勝郡東成瀬村付近の地下20kmで、岩手県石鳥谷町で震度5(強震)を記録。最も被害が大きかったのは和賀郡湯田町で、湯川小学校の理科室から出火し校舎を全焼、… 続きを読む
l全県 18 5月 1970 東北本線の列車爆破未遂事件(S45.5.18) 昭和45年5月18日、東北本線陸奥市川〜下田間を走行中の普通列車で、ビニール袋に入れられたダイナマイトが爆発する事件が発生した。爆発は小規模で、乗客に負傷者は出なかったが、大規模な被害が出る可能性もあった。 爆発物はコンクリート製のマス型容器にダイナマイトを詰め、電池を用いた起爆装置が仕掛けられてい… 続きを読む
l全県 11 5月 1970 県内の農協で相次ぐ不正事件(S45.5.11) 昭和45年、岩手県内の複数の農協で役員による不正が相次いで発覚した。特に西山農協では、参事が役員会の承認を得ずに土建業者へ総額1億900万円を不正融資し、逮捕された。和賀中央農協では、支所長が他人名義で借用書を偽造し、不正に資金を貸し付けていた。久慈市農協では、参事が架空の定期預金や貸付金を横領し、… 続きを読む
l全県 25 3月 1970 電話料金が3分10円に(昭和45年3月25日) 昭和45年1月30日から公衆電話は3分10円に。 しかし、下のIBC「いわてアーカイブの旅」では「3月25日から~」と書いてある。 電話局によって違いがあったのか、はたまた市内と市外の違いとか? https://www.youtube.com/watch?v=IeyGvY0_Vfg … 続きを読む
l全県 30 4月 1969 44年春闘ではバス各社が無限ストへ(S44.4.30) 昭和44年春闘では、岩手県のバス4社(県南バス、岩手中央バス、花巻バス、花巻電鉄)が平均1万円の賃上げを要求。会社側は合理化を条件に交渉を進めたが対立が解消せず、無期限ストライキに発展。通勤・通学者や観光客が大混乱し、泥沼化した争議に批判が集中した。 地労委があっせんを行い、最終的に調停案が示され、… 続きを読む
l全県 31 12月 1968 史上最悪の交通事故多発年(S43.12.31) 昭和43年、岩手県内の交通事故は7,570件と過去最多を記録し、死者212人、負傷者6,294人にのぼった。特に8〜10月に多発し、8月には月間最多の863件、9月には死者が100人に達した。主因は自動車事故で全体の約6割を占め、酔っぱらい運転が435件(全国2位・東北1位)と突出。市町村道での発生… 続きを読む
l全県 31 10月 1968 豊作で235万トンの米余り(S43.10.31) 昭和43年度は、戦時中から続く食糧管理制度(米の政府買い上げ制度)に大きな見直しが加えられた歴史的な年であった。連続豊作と米消費の減少によって、政府の抱える余剰米は急増し、食管会計の赤字が拡大。これにより政府・自民党・財政当局から制度改正論が急速に高まった。 大蔵省は、米価が「生産者価格>消費者価格… 続きを読む
l全県 25 12月 1967 日活映画で’68年の夢をタックル!楽しさいっぱいの新春番組!!(昭和42年12月25日) 昭和42年12月25日の岩手日報の広告欄より。 日活の正月映画についてのラインナップが載っている。 当時は県内各地の映画館も健在だった。… 続きを読む
l全県 13 12月 1967 岩手国体決定の裏で八戸冬季国体を辞退(S42.12.13デーリー東北) この時期、昭和45年に岩手国体を開始することが決まったようだ。 その一方で、八戸国体を辞退していた模様。 八戸の地元紙であるデーリー東北では準備に差があったのではないかと総括している。… 続きを読む
l全県 3 12月 1967 読者が決める昭和42年の岩手の10大ニュースは?(S42.12.3岩手日報) 昭和42年も12月に入り、10大ニュースを募る時期となっていた。 それで、11月までの主だったニュースを列挙している。 … 続きを読む
l全県 1 12月 1967 転機に立つ岩手の開拓農業(S42.12.1岩手日報) 戦後、岩手県内では各地に開拓農業の入植がなされたが、この時期になると跡継ぎがいないなど岐路に立たされていた。 それもそのはずで、それまで耕地に適していなかったところまで入植して、生活は貧困であり、若い人も都会に出るばかりだったわけである。 … 続きを読む