d宮古・下閉伊郡 1 1月 1961 東北ベスト4まで導いた宮古校の野球部長「根性を叩き直せ」(S36.1.1岩手東海新聞) 宮古高校を東北ベスト4(何の大会で?)まで導いたという野球部長が新春に釜石の球児たちに贈る談話。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 27 9月 1960 釜石のキリスト教会でゴタゴタ(S35.9.27岩手東海新聞) 釜石の日本基督教会大渡教会で素人の牧師が派遣されてきたとかで日曜学校にも集まらなくなったりゴタゴタ。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 23 9月 1960 大槌で恒例の馬市開催(S35.9.23岩手東海新聞) 大槌町では馬市が恒例であったという。 トラクターが発達する前は、農耕には欠かせない動力であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 23 9月 1960 釜石高校は県内一の老朽校舎(S35.9.23岩手東海新聞) 釜石高校の校舎は戦時中に建てられ、県内一の老朽校舎であったという。 それで高校を2つにしてはどうかという案も浮上していた。 (結局、その後釜石北高が開港するわけだが)… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 22 9月 1960 釜石・錦館で「南海の狼火」「男対男」を上映(S35.9.22岩手東海新聞) 釜石・錦館では「南海の狼火」「男対男」を公開する。 「南海の狼火」は昭和35年9月3日公開の日活作品。 出演は小林旭・宍戸錠・浅丘ルリ子・堀恭子など。 「男対男」は昭和35年8月14日初公開の東宝作品。 出演は三船敏郎・池部良・志村喬・加山雄三・白川由美など。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 22 9月 1960 ポリオ禍は釜石にも(S35.9.22岩手東海新聞) 昭和35年は全国的にポリオで子供たちが苦しんだ年であった。 釜石でもその惨状を報じている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 21 9月 1960 釜石市長が訪欧に旅立つ(S35.9.21岩手東海新聞) イスラエルのテルアビブで開催されるという国際市長会議に、日本の市長代表で釜石市の鈴木東民市長が行くことになったという。 それで釜石駅で盛大にお見送り。 ディーゼルカーは準急色のキハ55だろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 21 9月 1960 釜石で中国文化産業展(S35.9.21岩手東海新聞) 釜石で、中国文化産業展が開催された。 観客の中には「中国の社会主義の発展には目を見張るものがある」と言わしめる者まであり盛況だったようだ。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8 9月 1960 宮古市役所前の道路がコンクリート舗装(S35.9.8岩手東海新聞) 宮古一の「悪路」と言われていた宮古市役所〜岩手銀行宮古支店の前の道路がコンクリート舗装されることになったというニュース。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 9月 1960 釜石・錦館で「流血の谷」公開(S35.9.7岩手東海新聞) 9月7日から釜石・錦館で「流血の谷」を公開するという。 日本での初公開は昭和35年9月4日であるというので、割とすぐに公開されたことになる。 やはりこの当時の釜石の勢いだったのだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 9月 1960 釜石青果市場の市況(S35.9.5岩手東海新聞) 釜石青果市場の市況は、以下のようになっていた。 きゅうりは栗林から、大根やキャベツは遠野から届いていたようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 9月 1960 釜石かつぎ屋事情(S35.9.1岩手東海新聞) 「釜石残酷物語」としてシリーズものになっていた、釜石の下層生活の一端を物語る話。 この頃の担ぎ屋は、遠野あたりの農村地帯から来ていたようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 9月 1960 チリ地震津波後初めての防災の日(S35.9.1岩手東海新聞) この年の5月24日、チリ地震津波が襲来。 関東大震災から37年目の「防災の日」は、津波被害を改めて考える年となった。 それで、釜石市などの防災担当者に、津波対策を聞いている。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 28 7月 1960 一関からは宮城県本吉の大谷海岸で海水浴(昭和35年7月28日) 昭和35年7月28日の岩手報知より。 一関の小学校では、普段は陸前高田の高田松原に行くのが普通だったようだが、この年はチリ地震津波で現れてしまい、宮城県本吉の大谷海岸に行くようになったようだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 22 7月 1960 一関で35℃と記録的な暑さ(昭和35年7月22日) 昭和35年7月22日の岩手報知より。 この日、一関では35℃と記録的な暑さになったのだと言う。 ちなみに、現在では35℃などと言う気温は、7月単独としても10位にすら入らない程度となってしまった。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 17 7月 1960 弾丸道路の停車場候補に一関の厳美地区(昭和35年7月17日) 昭和35年7月17日の岩手報知より。 この当時、高速道路は「弾丸道路」と言われていたようで、インターチェンジも「停車場」と呼ばれていた。 その「停車場」の候補に、一関市厳美地区が候補に上がり、建設省の課長が視察に来たのだという。 ちなみに、東北自動車道の盛岡〜一関で部分開業するのは昭和52年のこと。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 15 7月 1960 一関で邪恋精算自殺(昭和35年7月15日) 昭和35年7月15日の岩手報知より。 一関一高の定時制の生徒が副毒自殺をしたのだと言う。 それは、下宿先での邪恋の精算であったと言う。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 11 7月 1960 朝日新聞一関通信局の人事(昭和35年7月11日) 昭和35年7月11日の岩手報知より。 朝日新聞一関通信局の人事も岩手報知で報じていたようで、この時点での駐在者は群馬県の前橋支局に転任、後任は東京の立川通信局から来るということであった。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9 7月 1960 北鮮帰還者から一関市役所に音信(昭和35年7月9日) 昭和35年7月9日の岩手報知より。 この記事の前年の昭和34年以降、北朝鮮への帰還事業が進められていたが、一関市からは3家族が帰還していた。 そのうち1家族から音信が届いたという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 8 7月 1960 一ノ関駅の改修計画(昭和35年7月8日) 昭和35年7月8日の岩手報知より。 一ノ関駅には改修計画があり、国鉄側から設計図は出ていたが地元側の敷地計画が未完成という状況だった。 ちなみに一ノ関駅の駅舎は、この記事から10年後の昭和45年に完成している。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 8 7月 1960 一関二高でアンケート「岸内閣を支持するか」(昭和35年7月8日) 昭和35年7月8日の岩手報知より。 一関二高で「岸内閣を支持するか」アンケートをとったところ、「支持しない」が上回った模様。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 21 5月 1960 釜石でも安保条約批准に反対するデモ(S35.5.21岩手東海新聞) 昭和35年1月19日に日米安保条約が批准され、6月23日には発効しようとしていた。 その時に釜石でも安保反対のデモが行われた。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 21 5月 1960 釜石の浜町3丁目は花柳街だった(S35.5.21岩手東海新聞) 現在の釜石市浜町3丁目はその昔「沢村町」という花柳街であったというが、昭和35年の時点ですでにその面影は無くなっていたようだ。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 14 5月 1960 釜石のBGは初給料を何に使う?(S35.5.14岩手東海新聞) 釜石のBG(昔はOLをそう呼んだ)は初任給を何に使ったか?という話。 及新百貨店の店員、東部バスのバスガイドというのが時代。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 5月 1960 釜石の南町ってどこ?(昭和35年5月3日) 昭和35年5月3日の岩手東海新聞より。 釜石関係の記事でたまに出てくる「南町」とはどこのことか? このことが牛乳販売店の広告で分かった。 釜石の大町の中心街の1本南の通りで、製鉄所にくっついた、昔釜石警察署があった通りのことだったようだ。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3 5月 1960 第1回陸中海岸縦断釜石〜宮古駅伝(昭和35年5月3日) 昭和35年5月3日の岩手東海新聞より。 この日、第1回陸中海岸縦断釜石〜宮古駅伝が開催された。 スタートは釜石ビル前であり、13チームが参加したという。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 2 5月 1960 山田町合併5周年(昭和35年5月1日) 昭和35年5月1日の岩手東海新聞より。 山田町は昭和30年に昭和の大合併で山田町・織笠村・大沢村・船越村・豊間根村の1町4村を合併して発足した。 それで、5月1〜3日に祝賀会が開催された。 … 続きを読む