c久慈・九戸郡 5 11月 1957 豚の産地・野田村で「豚霊塔」を建立し豚供養(S32.11.5デーリー東北) 豚肉の産地・野田村では「豚霊塔」を建立して、豚の霊を慰めるという。 ちなみに、現在では野田村の豚は「南部福来豚」として売り出されている。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1 11月 1957 久慈高校にチェーンソー導入(S32.11.1デーリー東北) 久慈高校は大正9年に久慈農林学校として開校し、当時は普通科も農林科も併設していた。 その久慈高校に、チェーンソーを導入したというニュース。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 30 10月 1957 久慈馬検場で2歳馬品評会(S32.10.30デーリー東北) 久慈馬検場で九戸地区2歳馬品評会が開催された。 一等に輝いたのは雌馬。 一町歩程度の農耕には動力(トラクター)より畜力の方が経済的であると。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 30 10月 1957 久慈電報電話局に「東北一のお掃除おばさん」(S32.10.30デーリー東北) 久慈電報電話局には、東北通信局からも表彰される「掃除のおばさん」がいたという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 28 10月 1957 久慈の川崎製鉄が西独クルップ社と提携へ(S32.10.28デーリー東北) 久慈の川崎製鉄が、西ドイツのクルップ社と提携するのだそうで、近く工場長が西ドイツに渡航するという。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 27 10月 1957 宮古二中の生徒が文通で八戸を紹介(昭和32年10月27日) 昭和32年10月27日のデーリー東北より。 宮古二中の生徒が、全国と文通をしていたが、その中で、八戸市教育委員会にも手紙を送ってきたようで、八戸を水産都市として紹介してどうたらこうたらと言う記事。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 24 10月 1957 静岡へのミカンもぎ出稼ぎ第1陣が久慈駅を出発(昭和32年10月24日) 昭和32年10月26日のデーリー東北より。 静岡県の三島や清水のミカンもぎの出稼ぎに、久慈駅から第1陣が出発した。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 24 10月 1957 久慈高校水産部製造科3年生は引っ張りだこ(昭和32年10月24日) 昭和30年10月24日のデーリー東北より。 久慈高校水産部製造科の3年生は、都内の各会社に引っ張りだこで、全員就職の見込みであったと言う。 … 続きを読む
l全県 1 8月 1957 【赤線地帯を往く】(8)むすび(昭和32年4月1日) 昭和32年4月1日の岩手日報より。 売春防止法が公布され、施行まで1年を控え、岩手県内の赤線地帯も動揺が走っていた。 それで、県内に600にいたという売春婦の相談体制を拡充に努めていた。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 29 5月 1957 水沢緯度観測所で国際予備観測(S32.5.29岩手日報) 水沢緯度観測所では国際予備観測をするという。 そういえば昭和32年はIGY(国際地球観測年)ということで南極観測が始まったはず。 これと関係あるんだろうか。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 29 5月 1957 一関で肺病青年が療養所を放火(S32.5.29岩手日報) 一関の結核療養所で肺病の青年が放火したと。 ちなみにこの青年の出身地・一関市祭畤(まつるべ)は岩手県内で最も雨の降る地点。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 5月 1957 興安丸の引き揚げ家族が「初めての帰郷」(昭和32年5月28日) 昭和32年5月28日の岩手日報より。 戦後中国で結婚した日本人が、興安丸で一時帰国した。 特に、現地で生まれた子供は日本など初めてであり、緊張していたようだ。 … 続きを読む
l全県 27 5月 1957 三菱ミシンから2つの贈り物!(S32.5.27岩手日報) 三菱ではミシンも製造していたようだ。 それで広告を出している。 岩手県内でも各地に販売店があったようだ。… 続きを読む
l全県 27 5月 1957 中国からの一時帰国者が急行「おいらせ」で帰郷(昭和32年5月27日) 昭和32年5月27日の岩手日報より。 終戦後も中国に居着いたままになっていた岩手県関係者が、急行「おいらせ」で帰宅するという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 5月 1957 ぐんと安い!松屋デパートの大特売会(S32.5.26岩手日報) 盛岡の松屋デパートの広告より。 この当時の物価は、以下のようになっていたようだ。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 26 5月 1957 種市・八木港で8尺2寸のお化けイカ(昭和32年5月26日) 昭和32年5月27日の岩手日報より。 九戸郡種市町の八木港で、8尺2寸のお化けイカが獲れたという。 8尺2寸とは、2.5メートルのこと。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 26 5月 1957 釜石で高品位ウラン鉱?(昭和32年5月26日) 昭和32年5月26日の岩手日報より。 釜石に、高品位なウラン鉱脈があるのではないかと言う専門家の見立て。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 22 4月 1957 釜石では北洋サケマス独航船が出港したり製鉄所の朝鮮人が喧嘩で人殺したり(S32.4.22岩手日報) 釜石港では北洋サケマス独航船が盛大な見送りと共に出港した。 そうかと思えば釜石製鉄所の朝鮮人が喧嘩で人を死なせるなど。 釜石とはそんな場所だった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 4月 1957 盛岡市内一周継走は一般が松尾鉱山B、高校は福岡高校が優勝(S32.4.22岩手日報) 盛岡市内1周継走が行われ、一般の部は松尾鉱山Bが、高校の部は福岡高校が優勝したと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1957 中国青年団は盛岡を見てハオハオの連発(S32.4.20岩手日報) 中国友好青年団は、全国を見て歩いていたが、盛岡に来て岩手大学の温室を見たり、わんこそばを食べたりしてハオハオの連発であったと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1957 ソ連の核実験で盛岡でも放射能が6665カウント(昭和32年4月20日) 昭和32年4月20日の岩手日報より。 ソ連の核実験が伝えられ、上空のジェットの風下にあたる日本でも、戦々恐々となっていた。 そのような中、盛岡でも6665カウントの放射能が観測されたのだと言う。 ちなみに、カウントとベクレルの単位については以下のページを参照。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 19 4月 1957 北上で頑張る美容師の卵(昭和32年4月19日) 昭和32年4月19日の岩手日報より。 仕事をがんばっている若者に特化した囲み記事で、北上で頑張る美容師の卵について取材している。 和賀町の中学校を卒業して、花巻の理容美容学校を卒業し、北上の床屋でがんばっているのだと言う。 … 続きを読む
l全県 19 4月 1957 ゴールデンウィークに天文ショー3つ(昭和32年4月19日) 昭和32年4月19日の岩手日報より。 ゴールデンウィークには、天文ショーが3件予定されていたと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 4月 1957 盛岡で梅に続いて桜の開花(昭和32年4月18日) 昭和32年4月19日の岩手日報より。 盛岡市北山の清養院では、17日の梅の開花に引き続き、18日には桜が咲いたと言う。 これは、いつもよりは4日ぐらい遅いのだそうだ。 ただし、気象庁のホームページによれば、今年の盛岡の桜の開花は4月27日と言うことになっている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 4月 1957 岩手にも被爆者がいた(S32.4.3岩手日報) 広島の原爆から12年が経ったが、原爆症で療養している人は岩手にもいた。 原爆から8年が経過した昭和28年ごろ発病し、この時点で毎日輸血が必要な体になっていたのだという。 この時期、イギリスではクリスマス島で水爆実験を行うということが話題になっており、この抗議として「この体を見ろ」と取材に応じたもの。… 続きを読む