c久慈・九戸郡 8 2月 1956 久慈職安に待望の求人(S31.2.8デーリー東北) 久慈職安ではサンドイッチマンまで出して求人を募っていたが、その甲斐あって各企業が求人を出すようになったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 2月 1956 紫波郡では天然氷切り出しの最盛期(昭和31年2月4日) 昭和31年2月4日の河北新報岩手版より。 紫波郡は天然氷の産地であったが、その積み出しに大忙しであった。 ただ、三陸地方が不漁であること、人造氷に押されて苦しかったようではある。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 2月 1956 釜石製鉄所の運動部がトレーニング開始(昭和31年2月4日) 昭和31年2月4日の河北新報岩手版より。 岩手県の実業団スポーツの雄と言うと、なんといっても釜石製鉄所だった。 その釜石製鉄所の各運動部がトレーニングを開始することとなった。 水泳では、鈴子に温水プールがあった。 … 続きを読む
l全県 4 2月 1956 公立高校の授業料を500円から600円に(昭和31年2月4日) 昭和31年2月4日の河北新報岩手版より。 岩手県教育委員会は、公立高校の授業料を500円から600円に値上げして、設備費用に充てることとした。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 2月 1956 釜石市役所の立春(昭和31年2月4日) 昭和31年2月4日の河北新報より。 翌日に立春を控えた釜石市役所の表情。 昼休みに、職員たちがバレーボールに興じている。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 2 2月 1956 久慈や八戸の行商は新しいディーゼルカーに統制して乗りましょう(S31.2.2デーリー東北) 昭和31年3月から、八戸線には新しいディーゼルカーが導入されることとなった。 これは10系気動車であるが、称号規程改正以前なので「四五〇〇〇型」となっている。 それで、行商組合では「統制して乗車しましょう」と取り決めたのであった。… 続きを読む
l全県 1 2月 1956 木炭は減産で高値続く(S31.2.1デーリー東北) 木炭は収穫の減少もあり減産で、高値が続いていたようだ。 デーリー東北であるが盛岡市場の市況も書いているので。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 29 1月 1956 久慈で素わらじの雲水が寒修行(昭和31年1月29日) 昭和31年1月29日のデーリー東北より。 久慈では、素わらじ姿の雲水が寒修行している風景が見られた。 … 続きを読む
l全県 23 1月 1956 東北六県の貯金額は過去にない増加(昭和31年1月23日) 昭和31年1月23日のデーリー東北より。 仙台からのニュースで、東北郵政局管内の貯金額はどこでも過去にない増加であることが報じられている。 … 続きを読む
l全県 23 1月 1956 国土開発調整費の対象は北上地域が有力(昭和31年1月23日) 昭和31年1月23日のデーリー東北より。 当時の経済企画庁の国土開発調整費の予算案が示され、その対象として北上川流域地域が有力ではないかというニュース。 このほかに、1万円札がお目見え、軽米の葉タバコのニュースなども。… 続きを読む
l全県 3 11月 1955 森永ヒ素ミルク事件の発覚当初の広告(S30.11.3岩手日報) 森永乳業の牛乳を飲んだ赤ちゃんに異常が出始めた頃。 まだ会社側が政府とグルになって被害者を押さえ込んでいた。… 続きを読む
b二戸・二戸郡 21 9月 1954 二戸郡福岡町は「福岡市」になれず(昭和29年9月21日) 昭和29年9月21日の岩手日報より。 上閉伊郡遠野町や気仙郡高田町が次々と市勢を決めていく中、二戸郡福岡町も、周辺の爾薩体村や金田一村を合併して「福岡市」になろうと頑張っていたが、金田一村が市制協議会から脱退してしまい、それが不可能となってしまった。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 18 9月 1954 岩手県で11番目の市名は「陸前高田」と決まる(昭和29年9月18日) 昭和29年9月18日の岩手日報より。 昭和の大合併で、県内の各町村が市に昇格していたが、その11番目は気仙郡高田町が「陸前高田市」になるものであった。 … 続きを読む
l全県 18 9月 1954 台風14号にサンマ漁船は戦々恐々(昭和29年9月18日) 昭和29年9月18日の岩手日報より。 太平洋の沖合にある台風14号が東日本にも接近しそうだと言うことで、サンマ漁船は戦々恐々としていた。 ちなみに、この次の台風15号は「洞爺丸台風」となる。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 9月 1954 三笠宮殿下が松尾鉱山をご見学(昭和29年9月17日) 昭和29年9月18日の岩手日報より。 青森など各地を回っていた三笠宮殿下は、9月17日にまた岩手にご来県し、松尾鉱山などを見学された。 そればかりではなく「岩手の学校では、他の県と違って気をつけとか敬礼の号令が非常に多く堅苦しく感じた」と苦言をていされたのであった。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 16 9月 1954 東洋一の威容を誇る田瀬ダムが貯水開始(S29.9.16岩手日報) 県の総合開発の目玉となっていた田瀬ダムが谷内村(のちの東和町)に完成、貯水を開始した。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 15 9月 1954 水害記念日を迎える一関(S29.9.15岩手日報) 一関では昭和22年9月15日にキャサリン台風が、翌昭和23年9月16日にはアイオン台風が襲来した。 その慰霊祭が磐井川で挙行されようとしていた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 9月 1954 盛岡八幡宮の例大祭で6台の山車(S29.9.15岩手日報) この当時、盛岡で最大の祭りは、盛岡八幡宮の例大祭であった。 山車が6台も出て盛況であったという。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 15 9月 1954 浄法寺は福岡町と、奥中山は沼宮内町と合併か(S29.9.15岩手日報) この時期は「昭和の大合併」の時期。 どの町村がどこと合併するかが焦点になっていた。 浄法寺町は福岡町と合併して市制、小鳥谷村奥中山は沼宮内町と合併などという話になっていた。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1 9月 1954 ナスの七つ子とナンバンカラシの双子(S29.9.1岩手日報) 花巻市内の農家で、ナスの七つ子と、ナンバンカラシの双子ができて話題になっていた。 ナンバンカラシとはおそらく唐辛子のこと。 確かに管理人の祖母(1915−2003)は唐辛子を「ナンバン」と呼んでいた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 9月 1954 盛岡のヒロポン密造所を急襲(S29.9.1岩手日報) 盛岡市八幡町の露天商宅でヒロポンを密造しているという情報を得た盛岡署は、急襲して検挙した。… 続きを読む