a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 2月 1950 料飲街不況でキャバレーも食料品店に早変わり(S25.2.13新岩手日報) インフレなどで料飲店は不況だったようで、盛岡で数少ないキャバレーも食料品店に早変わりするという有様であったと。… 続きを読む
l全県 12 2月 1950 岩手県公会堂で供米早期完遂感謝祭(S25.2.12新岩手日報) 当時は食糧管理制度が完全に国営化されており、供米は義務のようなものだった。 こうして早期完遂すれば感謝もされたのだ。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10 2月 1950 輸出品として期待される江刺郡黒石村の寒天(S25.2.10新岩手日報) 江刺郡黒石村(現在の奥州市水沢黒石)では寒天生産が盛んだったようで、輸出資源としても期待されていた。 … 続きを読む
l全県 10 2月 1950 公立高校の募集状況(昭和25年2月10日) 昭和25年2月10日の新岩手日報より。 公立高校の募集状況は以下の通りとなっており、応募定員が釣果したのはわずかに盛岡・一関の両校だけであったという。 ちなみに、当時の盛岡高校は商業科が分離されておらず、柏高校とは盛岡農業高校、高松高校とは盛岡工業高校のこと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 2月 1950 3月には盛岡にも第二放送(昭和25年2月9日) 昭和25年2月9日の新岩手日報より。 この当時、岩手県内はJOQG(NHK盛岡)の第一放送しかなかったが。3月には第二放送ができると言うことで期待されていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 2月 1950 春の訪れは銀翼と銀輪に乗って(昭和25年2月9日) 昭和25年2月9日の新岩手日報より。 飛行機と自転車が春の訪れを伝えると言う写真記事。 自転車の方が渡っている橋は、明治橋であると言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 2月 1950 大雪が大雨になり県内で大混乱(昭和25年2月9日) 昭和25年2月11日の新岩手日報より。 8日の大雪は、暖気の流入で9日には大雨となったようで、県内では道路や電線に影響が出たようだ。 盛岡市内でも道路がぬかるみとなり、かなりひどい状況に。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7 2月 1950 東北本線磐井川鉄橋は155分で架け替え完了(昭和25年2月7日) 昭和25年2月9日の新岩手日報より。 東北本線の磐井川鉄橋の径間拡張工事は、155分で完了したのだという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 2月 1950 金詰まりで衣類の投げ売り(昭和25年2月6日) 昭和25年2月6日の新岩手日報より。 この時期、金詰まりで市民の購買力も減退し、衣類も投げ売りせざるを得ない状況であったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 2月 1950 三田定則岩手医大学長死去(昭和25年2月6日) 昭和25年2月7日の新岩手日報より。 法医学の父と呼ばれ、岩手医科大学の学長であった三田定則が死去。 大学では大学葬を行うことになった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 2月 1950 岩手公園で「雪の芸術祭」(昭和25年2月6日) 昭和25年2月6日の新岩手日報より。 岩手公園では「雪の芸術祭」が行われ、盛岡市内の子どもたちによる雪像が多く並べられたという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 2月 1950 かるた大会は老巧組がアプレゲール組を破る(昭和25年2月5日) 昭和25年2月6日の新岩手日報より。 新岩手日報社の主催でかるた大会が開催された様であるが、老巧組の方が、若者組を圧倒したようだ。 そして若者組を「アプレゲール組」と表しているのも時代相。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 4 2月 1950 県北で激甚な吹雪の被害(昭和25年2月4日) 昭和25年2月4日の新岩手日報より。 1月31日の猛吹雪により、県北では激甚な被害が発生した。 特に学校や開拓農家では、被害が大きかったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 2月 1950 岩手公園に珍獣「モモンガア」(昭和25年2月4日) 昭和25年2月4日の岩手日報より。 岩手公園に「モモンガア」という珍獣がお目見えしたという。 これは、二戸郡石切所村(現在の二戸駅周辺)の住民が捕らえたものであるという。 … 続きを読む
l全県 4 2月 1950 ラジオ番組案内(昭和25年2月4日) 昭和25年2月4日新岩手日報より。 ラジオ番組案内は以下の通りとなっていた。 この当時は、ラジオ岩手すら開局しておらず、NHKのみだった時代。 … 続きを読む
l全県 4 2月 1950 シベリアからの引揚促進に県民の声を結集(昭和25年2月4日) 昭和25年2月4日の新岩手日報より。 この時期、シベリア抑留は社会問題になっていた。 そこで、引揚促進の全国大会が開かれるに、先立ち、県内でも声を集めようと言うことになっていたようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 2月 1950 上閉伊郡某高校とか言われても・・・(昭和25年2月3日) 昭和25年2月9日の新岩手日報より。 遠野町の商店で、上閉伊郡某高校の全日制と定時制の生徒が盗みを働いたというが、しかし上閉伊郡遠野町の高校というともう限られているのではないだろうか。 まして全日制と定時制の両方あった学校なんて・・・ ちなみに、遠野町が市制するのは昭和29年. … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 2月 1950 ピストル強盗団が盛岡に護送(昭和25年2月3日) 昭和25年2月3日の新岩手日報より。 例のピストル強盗団は、東京都北多摩郡の昭和町警察署に逮捕され、盛岡駅まで護送されてきた。 ちなみに北多摩郡昭和町とは現在の昭島市。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 2月 1950 節分も「鬼に追放令」(昭和25年2月3日) 昭和25年2月4日の新岩手日報より。 2月3日には節分として各地で行事が行われたようであるが、公職追放やレッドパージの時代であっただけに、節分までは「追放令」などと表現される時代。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 2 2月 1950 一関高校に分離運動(S25.2.2新岩手日報) 学制改革後、一関の中等学校である一関中学、一関高等女学校、一関工業学校、一関女子商業学校は合併して「一関高校」になっていた。 しかし、旧制一関中学である本校舎と、旧制一関高女である西校舎ではいろいろ弊害があったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 2月 1950 盛岡や徳田のピストル強盗は全国的組織だった(昭和25年2月2日) 昭和25年2月2日の新岩手日報より。 前年から盛岡や徳田(矢巾)で強盗事件が発生していたが、それは全国的組織であり、日詰(紫波)でも余罪があるという。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 31 1月 1950 暴風雨で下閉伊郡北部に甚大な被害(昭和25年1月31日) 昭和25年2月3日の新岩手日報より。 1月31日、暴風が吹き荒れて、岩泉町や田野畑村といった下閉伊郡北部で甚大な被害が報告された。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 14 1月 1950 釜石みそ・しょうゆ販売登録店ご挨拶(S25.1.14岩手新報) この当時は、味噌や醤油は登録した店でないと売れなかったらしい。 ということで、その登録した店舗による新聞紙上でのご挨拶。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1950 富士銀行盛岡支店「強盗に来る?なら死ぬつもりで来いや」(昭和25年1月14日) 昭和25年1月14日の新岩手日報より。 盛岡市呉服町にある富士銀行盛岡支店に、電話で「今から強盗に行く」と言う脅迫電話があったのだと言う。 これに対し、行員は「なら死ぬつもりで来い」と言ったのだと言う。 この脅迫電話は、一応警察に届けられた。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 12 1月 1950 一関に競輪場?(S25.1.12岩手新報) この時期、一関に競輪場が設置される計画があったようで「5月ごろには完成」などという計画があったようだ。 … 続きを読む