l全県 1 1月 1931 県内各企業の年始広告(S6.1.1) 岩手県内各企業の年始広告。 岩手軽便鉄道は花巻町に本社があった。 当時の岩手銀行はのちにこの第九十銀行、第八十八銀行と合併し陸中銀行に、それが岩手殖産銀行に岩手貯蓄銀行ともども戦時合併し、現在の岩手銀行となる。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 4 3月 1930 「東北のサンモリッツ」田山スキー場が開場(S5.3.4岩手日報) 秋田県境の田山村にスキー場が開場。 最初嘲笑していた村人も、みんなスキーヤーになったという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 3月 1930 商品陳列所に雛人形(S5.3.2岩手日報) 現在のもりおか歴史文化館のあたりには、かつて「商品陳列所」があった。 現在の岩手県工業技術センターとなる。 ここに雛祭りの雛人形が展示されたというニュース。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 3月 1930 西磐井郡老松村から少年航空兵(S5.3.1岩手日報) 県内では海軍志願兵徴募検査が行われていたが、西磐井郡老松村(現:一関市花泉町)から少年航空兵が出たことを報じている。 … 続きを読む
m県外・参考 1 3月 1930 函館で不敬事件発生。内容は極秘(S5.3.1岩手日報) 函館で不敬事件が発生し船員が拘束されたことを岩手日報でも報じている。 ただし、その不敬罪の内容は秘密であった。 そんな「報道の自由」のない時代。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1930 選挙違反の捜査は医師やレントゲン写真まで(S5.3.1岩手日報) 岩手県会議員選挙に盛岡地方裁判所検事局は峻烈な取り調べをしていた。 果ては入院していたという医師やレントゲン写真まで調べ、それを報じたという医療情報のプライバシーなど影も形もなかった時代。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 9月 1929 岩手公園の南部中尉の愛馬の銅像が怪我しました(S4.9.5岩手日報) 岩手公園にある南部利祥中尉の愛馬の銅像が「怪我をした」というので修復作業。 ちなみに、銅像は昭和19年に金属類回収令で「出征」してしまい、現存せず台座のみ残っている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 9月 1929 立川飛行場の陸軍機が厨川村の雫石河畔に不時着(S4.9.5岩手日報) 立川飛行場所属の陸軍機が、弘前から帰る途中に厨川村の高圧電線に触れて雫石川の河原に不時着と。 この当時の厨川村で、雫石川の河川敷ということは、現在のイオン盛岡のあたりだろうか。… 続きを読む
m県外・参考 2 9月 1929 岩手出身の美術教師が帝展で入選(S4.9.2岩手日報) 岩手県出身で、この当時府立第一高等女学校(現:都立白鴎高校)の美術教師であった女性が帝展で新入選したというニュース。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 2 9月 1929 渇水に悩む県南の電力事業者は火力発電所設置計画(S4.9.2岩手日報) 当時の電力は水力発電所が主だったが、水がなければどうにもならない。 それで、当時の胆江・一関町営・気仙の各電力会社は、火力発電所を設置する計画をしていた。 … 続きを読む
l全県 1 9月 1929 震災記念日で二百十日(S4.9.1岩手日報) 9月1日は関東大震災の日として記憶されることとなった。 また、立春から数えて210日の二百十日は、台風の特異日でもあり、農家には恐れられていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 9月 1928 観武ヶ原の騎兵連隊から脱走兵(S3.9.5) 戦前は盛岡の青山とかみたけのあたりは「陸軍の町」だった。 その盛岡の騎兵連隊から脱走兵が出たというニュース。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 9月 1928 札幌の岩手県出身者学生寮「岩鷲寮」が太田村で映画会(S3.9.4岩手日報) 札幌にある岩手県出身者学生寮「岩鷲寮」が太田村で映画会を行ったとのこと。 今でこそ盛南地域で発展しているが、当時は純粋な農業地帯。 岩鷲寮は佐藤・新渡戸記念寮として現存。 また、安城こうり詰め事件は岩手県内でも報じられていたようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1928 ドイツ留学から帰ってきた盛岡高等農林学校教授(S3.9.2岩手日報) 家畜病理学の研究のためにドイツに留学していた盛岡高等農林学校の教授が、3年間の留学期間を終えて盛岡に帰って来たというニュース。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 9月 1928 岩手師範対日詰の野球試合(S3.9.1岩手日報) 岩手師範学校対日詰(町民の草野球チーム?)の野球試合は、5対3で岩手師範が勝ったという。 ところで両チームに「金田一」姓がいる。 岩手ではそれほど珍しくもない苗字。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 3月 1927 盛岡高等農林学校の卒業式(S2.3.16岩手日報) この当時の岩手県の最高学府といえば盛岡高等農林学校であった。 その卒業式が開催されたというニュース。… 続きを読む
l全県 15 3月 1927 山陰大震災に岩手県内でも義捐金募集(S2.3.15岩手日報) 山陰で発生した大震災に、岩手県内でも支援を送りましょうというニュース。 ここで「山陰大震災」とされているものは北丹後地震のこと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 1月 1927 盛岡で流行性感冒が大はやり(S2.1.13岩手日報) 岩手銀行中ノ橋支店を設計した辰野金吾の死因にもなったあの「スペイン風邪」から8年、盛岡で流行性感冒が流行した。… 続きを読む
l全県 9 1月 1927 警察電話も寸断されるような暴風雪(S2.1.9岩手日報) 県内は冬型の気圧配置で暴風雪となり、県内各地で大被害をもたらすことに。 警察電話も切断してしまったという。 ちなみに、100年天気図によれば、昭和2年1月8日の天気図は以下の通り。 北海道付近を低気圧が通過し、強い冬型の気圧配置になったようだ。 … 続きを読む