e釜石・遠野・上閉伊郡 2 11月 1967 釜石の製鉄所社宅も立冬で干し大根がズラリ(S42.11.8岩手東海新聞) 昭和42年11月8日の岩手東海新聞には、立冬を迎えた釜石の季節風景が紹介されています。この年の立冬はまさにこの日であり、暦の上では冬の始まり。紙面には、釜石市内の製鉄所社宅の様子を写した写真が掲載されており、ベランダには干し大根がずらりと吊るされ、いよいよ冬支度が本格化している様子が伝えられています… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 11月 1967 大槌町消防団常備部が消防団に昇格か(S42.11.2岩手東海新聞) (昭和42年11月2日 岩手東海新聞より) 昭和42年当時、大槌町における防災体制に関して、大きな転換点を迎えようとしていた。町内の消防を担ってきた「消防団常備部」が、設置以来すでに10年余りを経過しており、制度の見直しとともに「消防署」への昇格が検討され始めていたのである。 この常備部は、町の厚生… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 5月 1967 江刺市広瀬の「日本一古い民家」向山公園に移築して保存へ(S42.5.12岩手日報) 昭和42年5月12日の岩手日報では、日本一古い民家として国の重要文化財に指定されている後藤家住宅が、江刺市の向山公園に復元されたニュースが報じられています。 Screenshot この住宅はもともと江刺市大字広瀬字平にあったもので、昭和40年5月に日本一古い民家として国の重要文化財に認定されました。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 29 3月 1967 釜石国際劇場で「東映こどもまつり」と思いきや…?(S42.3.29岩手東海新聞) 昭和42年3月29日付の岩手東海新聞に掲載された釜石国際劇場の広告は、当時の地方における映画興行の有り様を雄弁に物語る非常に興味深い資料です。 Screenshot 春休み真っ只中の番組として組まれたのは、松方弘樹主演の黄金の盗賊と怪竜大決戦、さらに黄金バットという豪華な3本立てです。しかし、当時の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 20 3月 1967 釜石線が完全ディーゼル化(S42.3.20岩手東海新聞) 昭和42年3月20日の岩手東海新聞は、釜石線がこの日を期して完全に無煙化されたことを報じています。 Screenshot 釜石駅の2番ホームでは、午前9時20分の第1号列車の出発式が行われ、駅長や機関区長ら関係者約50人が集まりました。岩下釜石駅長が紅白のテープを引いて待機し、汽笛を合図に花巻行きの… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11 1月 1967 皆様の及新デパート展望ホールをご利用ください!(S42.1.11岩手東海新聞) 昭和42年1月11日の岩手日報に掲載された、釜石の百貨店「及新」の広告を眺めていると、当時の街の熱気が紙面から伝わってくるようです。新年会やクラス会の案内が躍るこの広告は、かつて釜石最大のデパートとして君臨した及新が、市民にとって単なる買い物の場以上の存在だったことを物語っています。和食から洋食、さ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9 11月 1966 千葉・愛媛・大分の回来突棒船団が釜石港を撤収(S41.11.9岩手東海新聞) 昭和41年11月9日の岩手東海新聞には、釜石港のにぎわいを象徴するような記事が載っていました。6月以降、釜石港を拠点に操業してきた千葉・愛媛・大分各地の「回来突棒船団」がシーズンを終えて撤収し、釜石漁協がその働きをねぎらって金一封を贈ったという内容です。 Screenshot 突棒漁はカジキ類を狙う… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8 11月 1966 宮古港・釜石港は豊漁(S41.11.8岩手東海新聞) 昭和41年11月8日の岩手東海新聞には、「今年は本当に豊漁だ」という空気が紙面全体から伝わってきます。宮古と釜石、それぞれの魚市場の勢いを生き生きと報じていました。 Screenshot 宮古魚市場では、10月の水揚げ量が 12,227トン に達し、前年同月の 8,375トン を大きく上回りました。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 11月 1966 最も安い燃料費で最大の能率の粉炭ストーブで!(S41.11.3岩手東海新聞) 昭和41年11月3日、岩手東海新聞の紙面を飾った一枚の広告があります。それは釜石市大渡町の昆野商店が掲載した「イナドメ式粉炭ストーブ」の販売広告です。当時の冬の暮らしを支えた熱源の姿が、細かなキャッチコピーとともに克明に記されています。 広告の主役である粉炭ストーブは、最も安い燃料費で最大の能率を実… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 28 3月 1966 釜石の電話が自動化(S41.3.28岩手東海新聞) 1966年(昭和41年)3月27日、釜石の通信環境に大きな歴史的一歩が刻まれました。当時の「岩手東海新聞」の記事から、その喜びの様子を振り返ります。 市外25局と「即時通話」が可能に Screenshot それまで交換手を介していた市外通話が、3月27日午前0時を期して、ついに自動ダイヤル化されまし… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 1月 1966 向中野学園高校「新年度から保育科を設置します!」(S41.1.12岩手日報) 昭和41年1月12日の岩手日報に掲載された、向中野学園高等学校の生徒募集広告から当時の様子を振り返ります。この記事からは、現在の盛岡スコーレ高校へと続く教育の歩みと、高度経済成長期にあった岩手の社会背景が鮮明に浮かび上がってきます。 広告の紙面で最も目を引くのは、新年より保育科を新設したという力強い… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 1月 1966 岩手プリンス自動車の中古車在庫情報(S41.1.12岩手日報) 昭和41年1月12日の岩手日報に掲載された岩手プリンス自動車株式会社の広告は、当時の地方におけるモータリゼーションの熱気と、今はなき自動車メーカーの息遣いを今に伝える貴重な史料です。 この広告が掲載された1966年は、日本の自動車史において極めて重要な年でした。というのも、技術力に定評のあったプリン… 続きを読む
m県外・参考 11 1月 1966 岩手日報の編集局長が見たベトナム戦争(S41.1.11岩手日報) 1966年、ベトナム戦争が激しさを増す中で、岩手日報の渡辺編集局長が自ら現地でカメラに収めた光景が当時の紙面に生々しく記録されています。そこには戦時下の残酷な現実と、その傍らでたくましく生きる人々の日常が同居していました。 紙面の中で最も痛々しいのは、サイゴン市内の病院で治療を受ける二人の少年の姿で… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 10月 1965 盛岡の南大通に弘前相互銀行の支店が開店(S40.10.18岩手日報) 昭和40年10月21日の岩手日報に掲載された広告によれば、弘前相互銀行(現在のみちのく銀行)は、盛岡市に新たな支店「南大通支店」を開設し、10月18日より営業を開始したという。 弘前相互銀行は、もともと「弘前無尽」として設立され、戦後に相互銀行へと移行。地元青森県だけでなく、岩手県内でも積極的に支店… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1965 釜石選出の3県議が語る未来予想図(S40.1.1岩手東海新聞) 昭和40年1月1日付の岩手東海新聞に掲載された新春座談会は、当時の釜石が抱えていた熱気と課題を鮮明に映し出しています。出席者は社会党の栗沢勇治氏、自民党の川端広平氏、そして同じく社会党の菊池伝助氏という、当時の釜石選出の岩手県議会議員三名です。この顔合わせは、党派を超えて釜石の未来をいかに切り拓くか… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1965 昭和40年元旦の抱負(S40.1.1岩手東海新聞) 昭和40年の元旦、岩手東海新聞の紙面を飾ったのは1965年希望の鼓動という力強い言葉と火花散る工場の熱気でした。一面のトップを飾るこの写真は釜石製鉄所の作業風景であり、まさに鉄の街の新聞である岩手東海新聞らしさが鮮明に表れています。この頃、岩手沿岸部が抱いていた壮大なビジョンが三陸ベルト地帯構想です… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12 9月 1964 釜石で岩礁を爆破して昆布やワカメの養殖(S39.9.12岩手東海新聞) 昭和39年9月12日の『岩手東海新聞』によると、釜石市の白浜漁協では思い切った新漁法の実験が行われたという。 Screenshot その方法は、なんと岩礁を爆破して海底地形を変え、そこに昆布やワカメを付着させて養殖を行うというものだった。 当時の白浜は、波が荒く岩礁地帯が多い海岸として知られていた。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11 9月 1964 釜石にいた長寿日本一「長生きはいいもんだなす」(S39.9.11岩手東海新聞) 昭和39年(1964)9月11日の岩手東海新聞には、当時「日本一の長寿者」として釜石市内の男性・中村翁(116歳)が紹介されています。嘉永6年(1853年)生まれ、まさに幕末から明治・大正・昭和を生き抜いた人でした。 Screenshot 記事によると、中村翁の住む釜石市尾崎白浜地区は「長寿村」とし… 続きを読む
l全県 1 8月 1964 東京オリンピックは人工頭脳テレビで!(S39.8.1岩手日報) 昭和39年8月1日の岩手日報に掲載されたこの広告は、東京オリンピック開幕を目前に控えた当時の熱狂と、技術革新への強い憧れを鮮烈に伝えています。紙面を大きく飾るのは、松下電器が世に送り出したナショナル人工頭脳テレビの宣伝です。現在私たちが耳にする人工知能、すなわちAIという言葉とは趣が異なりますが、当… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 1月 1964 盛岡の川徳が成人式セール(S39.1.11岩手東海新聞) 昭和39年1月11日の岩手東海新聞に掲載された川徳の全面広告は、当時の岩手県における経済地図を如実に物語っています。岩手東海新聞は釜石を中心とした沿岸南部を地盤とする地方紙であり、県都・盛岡にある川徳が、一関の岩手日日新聞や水沢の胆江日日新聞ではなく、あえてこの紙面にこれほど大きな広告を打った事実に… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11 1月 1964 釜石郵便局では正月返上で郵便の滞貨を解消へ(S39.1.11岩手東海新聞) 昭和39年1月11日の岩手東海新聞は、釜石郵便局が直面した異例の正月風景を伝えています。当時の日本は高度経済成長の真っ只中にありましたが、郵政現場では全逓による非常に戦闘的な超勤拒否闘争が繰り広げられていました。この実力行使は年末から全国的に波及し、一時は小包の受け付け制限を余儀なくされるほど郵便物… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8 1月 1964 釜石・錦館では「暁の合唱」「関東無宿」「見上げてごらん夜の星を」の三本立て(S39.1.8岩手東海新聞) 昭和39年1月8日の岩手東海新聞を開くと、当時の釜石・錦館がいかに活気に満ちていたかを物語る映画広告が目に飛び込んできます。1月9日から14日にかけて上映されていたのは、楽しさを満載した豪華3本立という贅沢なラインナップでした。当時の娯楽の王様であった映画の勢いを感じさせるこの紙面には、今では伝説と… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 1月 1964 釜石国際劇場で「魚雷艇109」「ドノバン珊瑚礁」上映(S39.1.7岩手東海新聞) 昭和39年1月7日付の岩手東海新聞に掲載された、釜石国際劇場の宣伝広告を振り返ります。東京オリンピックを控えた1964年の幕開け、釜石の街で上映されていたのは、奇しくも時代のうねりを象徴するような洋画の2大巨編でした。 Screenshot 広告の左側を大きく飾るのは、ジョン・F・ケネディ大統領の若… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 9月 1963 盛岡・大通りの丸正デパートは9月10日に新装オープン(S38.9.1岩手日報) 【昭和レトロ】盛岡大通りの記憶:衣料品の殿堂「丸正デパート」新築落成の日 岩手の古い新聞資料を整理していたところ、非常に興味深い1枚を見つけました。 昭和38年(1963年)9月1日付の岩手日報。そこには、かつて盛岡の大通りに堂々とそびえ立っていた「丸正(まるしょう)」デパートの新店舗落成を告げる全… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1963 釜石専門店会の次郎長パレード(S38.7.1岩手東海新聞) 昭和38年7月1日付の岩手東海新聞を紐解くと、当時の釜石がいかに活気と遊び心に溢れた街だったかが鮮明に伝わってきます。中でも目を引くのは、前日の6月30日に行われた釜石専門店会による夏の売り出し宣伝パレードの記録です。 Screenshot このパレードは「次郎長一家罷り通る」と銘打たれたもので、驚… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1963 釜石の市議会選挙を前に(S38.7.1岩手東海新聞) 昭和38年7月1日発行の岩手東海新聞を紐解くと、そこには高度経済成長期の熱気に沸く釜石の生々しい人間模様が記録されています。この記事の主役は、当時の釜石の心臓部とも言える只越から港町にかけての界隈です。紙面を覆うのは市議選を目前に控えた異様な緊張感であり、記者はそれを争奪戦や戦いという言葉で表現して… 続きを読む
m県外・参考 19 4月 1963 岩手でも報じられた吉展ちゃん事件(S38.4.19岩手日報) 【発掘】昭和38年の岩手日報が伝える「吉展ちゃん事件」の衝撃 先日、古い資料を整理していたところ、非常に貴重な新聞紙面を見つけました。 Screenshot 昭和38年(1963年)4月19日付の「岩手日報」です。そこには、日本中を震撼させ、後に戦後最大の誘拐事件と呼ばれた「吉展(よしのぶ)ちゃん事… 続きを読む
l全県 18 4月 1963 岩手県知事に千田正(S38.4.18岩手日報) 【岩手現代史の転換点】昭和38年4月18日、激戦の知事選を振り返る こんにちは。今回は、約60年前の「岩手日報」の1面から、岩手の政治史に刻まれた伝説の一日を紐解いてみようと思います。 1. 「1万4,000票差」の衝撃!約70万票が投じられた激戦 昭和38年(1963年)4月18日のトップニュース… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 21 3月 1963 大映若手スターの姿美千子と渚まゆみが釜石へ(S38.3.21岩手東海新聞) 【昭和レトロ・発掘】1963年の釜石に大映スターがやってきた!姿美千子&渚まゆみ来訪記 こんにちは。今日は、手元にある大変貴重な新聞の切り抜きから、当時の釜石が熱狂した「ある一日」をご紹介します。 Screenshot 日付は昭和38年(1963年)3月21日。岩手東海新聞の紙面を飾っているのは、当… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 3月 1963 映画「天国と地獄」好評上映中!(S38.3.9岩手日報) 【昭和38年の衝撃】1枚の新聞広告が語る、黒澤映画『天国と地獄』の光と影 今回ご紹介するのは、今から60年以上前、昭和38年(1963年)3月9日の「岩手日報」に掲載された極めて貴重な映画広告です。 Screenshot そこには、日本映画史に燦然と輝く黒澤明監督の傑作『天国と地獄』の、地方公開当時… 続きを読む