k大船渡・陸前高田・気仙郡 1 9月 1937 気仙郡で石灰窒素工場の誘致合戦(S12.9.1岩手日報) 昭和12年9月1日発行の岩手日報の紙面を振り返ると、当時の岩手県気仙郡において地域の命運を懸けた壮絶な誘致合戦が繰り広げられていた様子が生々しく伝わってきます。記事の主役となっているのは、現在の住田町にあたる上有住村と、現在の陸前高田市にあたる高田町による東北興業株式会社の石灰窒素工場誘致を巡る対立… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 5月 1936 盛岡高等農林学校の教授「牛乳より馬乳が良い」(S11.5.6岩手日報) 昭和11年5月6日付の岩手日報を開くと、当時の岩手大学農学部の前身である盛岡高等農林学校の岩田教授が、九州帝国大学で開催された農学大会において極めて興味深い研究成果を発表したという記事が掲載されています。岩田教授は5月2日から福岡入りして学会に臨み、馬の乳の成分について詳細な分析結果を報告しました。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 5月 1936 北日本観光物産展第1日目の盛況(S11.5.6岩手日報) 【郷土史の断片】昭和11年、盛岡を熱狂させた「北日本銘産観光展」 投稿日:2024年11月13日(史料:昭和11年5月6日付 岩手日報) 先日、昭和11年(1936年)5月6日の岩手日報の紙面を手にする機会がありました。そこには、当時の盛岡市民がいかに新しい催しを待ち望み、活気に溢れていたかを物語る… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 5月 1936 肴町の川徳で北日本銘産観光展(S11.5.5岩手日報) 昭和11年5月11日の岩手日報を読み解くと、1936年当時の岩手県における初夏の活気と社会情勢が鮮明に浮かび上がってきます。紙面の大部分を占めているのは北日本観光銘産展の出品総目録です。これは岩手日報社が主催し、川徳ホールと川徳本店を会場に5月5日から5月11日まで開催された大規模な催しでした。目録… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 26 2月 1936 二二六事件で水沢出身の内大臣・斎藤実死す(S11.2.27岩手日報) 郷土の巨星、墜つ。昭和11年「岩手日報」が伝えた二・二六事件と斎藤実の原点 投稿日:2024年(資料:昭和11年2月27日付 岩手日報) 1936年(昭和11年)2月26日、雪の東京で鳴り響いた銃声。日本近代史の転換点となった「二・二六事件」は、遠く離れた岩手の地にも、言葉に尽くしがたい衝撃をもたら… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 12 1月 1936 津軽石川の川開きでサケ大漁(S11.1.12読売新聞夕刊) 昭和11年1月の津軽石川を写したこの紙面は、激動の昭和史において極めて平穏で、かつ日本の豊かな自然の底力が凝縮された一瞬を切り取っています。 今からちょうど90年前、岩手県宮古市の津軽石川では、川面が見えなくなるほどの鮭が遡上していました。記事にある五万五千尾という数字や、山のように積み上げられた「… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 18 11月 1935 山田線が開通した山田町の賑わい(S10.11.18岩手日報) 【アーカイブ】昭和10年11月、山田線が「山田」へやってきた日 投稿日:2024年(資料:昭和10年11月18日付 岩手日報) 今回ご紹介するのは、今から約90年前の貴重な紙面。昭和10年11月18日付の岩手日報です。 Screenshot 前日の11月17日、後のJR山田線、現在の三陸鉄道の一部で… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 17 11月 1935 山田線が陸中山田まで開通(S10.11.17岩手日報) 【歴史秘話】昭和10年11月17日、三陸に激震!山田線「宮古〜陸中山田」開通のあの日 今回ご紹介するのは、今から約90年前の昭和10年(1935年)11月17日付の「岩手日報」です。 黄ばんだ紙面から飛び出してくるのは、三陸沿岸の歴史を塗り替えた山田線(宮古〜陸中山田間)開通の熱狂的なニュースです。… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 30 9月 1935 大船渡線全通(S10.9.30岩手日報) 【昭和の記憶】1935年、大船渡線ついに全通!「晴天に轟く讃歌」に沸いたあの日 こんにちは。今日は、郷土の歴史を物語る大変貴重な資料をご紹介します。 Screenshot 今から約90年前の昭和10年(1935年)9月30日付の「岩手日報」。そこには、前日の9月29日に大船渡線の「大船渡〜盛」間が開… 続きを読む
i一関・西磐井郡 29 9月 1935 大船渡線全通に沸き立つ一関(S10.9.29岩手日報) 【郷土の記憶】昭和10年9月29日、大船渡線がついに全通!一関・盛が歓喜に包まれた日 岩手の鉄道史において、決して忘れてはならない記念日があります。 今から約90年前の昭和10年(1935年)9月29日。この日、大船渡線の最後の一区間である大船渡〜盛間が開通し、ついに一関から盛までが一本のレールで結… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 6 11月 1934 山田線が宮古まで開通(S9.11.6岩手日報) 【歴史秘話】昭和9年11月6日、三陸に歓喜の汽笛が響いた日 ―― 山田線「宮古開通」の熱狂 こんにちは。本日は、私の手元にある非常に貴重な資料をご紹介します。 Screenshot 今から約90年前、昭和9年(1934年)11月6日の「岩手日報」の紙面です。そこには、盛岡と宮古が鉄路で結ばれた瞬間の… 続きを読む
m県外・参考 6 11月 1934 ベーブ・ルース来日(S9.11.6岩手日報) 【歴史の一ページ】昭和9年、岩手も沸いた!ベーブ・ルース来日の衝撃 こんにちは!今日は、岩手の歴史を感じる非常に貴重な新聞資料をご紹介します。 見つけたのは、昭和9年(1934年)11月6日付の「岩手日報」。そこには、今や伝説となった「野球の神様」ベーブ・ルースの姿が大きく写し出されていました。 ■… 続きを読む
m県外・参考 4 10月 1934 凶作対策の東北六県知事会議(S9.10.4岩手日報) 昭和9年の衝撃:東北6県知事が帝国ホテルに集結した日 今回ご紹介するのは、昭和9年(1934年)10月4日付の岩手日報です。紙面には、郷土の危機を救うべく立ち上がった知事たちの、14時間に及ぶ死闘の記録が鮮明に記されています。 1. 「東北救済」を掲げた異例の会議 Screenshot 記事の大きな… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 10月 1934 凶作地・上閉伊郡金沢村の実情(S9.10.2岩手日報) 【昭和9年の記憶】栃の実を潰し、闇に耐えた「金沢村」の真実 昭和9年(1934年)、東北地方を記録的な冷害が襲いました。今回取り上げるのは、同年10月2日付の『岩手日報』に掲載されたルポルタージュ「冷害地に行く」の第3回です。 Screenshot 取材班が向かったのは、中部山間部、現在の上閉伊郡大… 続きを読む
l全県 2 10月 1934 凶作の実情を政府に陳情しよう(S9.10.2岩手日報) 【歴史の断片】昭和9年、岩手の叫び――「冷害を注視せよ」上京陳情にかけた農村の命運 デジタル化が進む現代ですが、時として古い新聞の紙面は、教科書の一行よりも雄弁に当時の人々の苦しみと熱量を伝えてくれます。 今回ご紹介するのは、昭和9年(1934年)10月2日付の「岩手日報」夕刊の一面です。そこには、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1934 与の字橋際のカフェーの名物女の急死(S9.9.2岩手日報) 和9年9月2日の岩手日報を開くと、当時の盛岡で一際異彩を放っていた女性の訃報が、記者の感傷が混じった独特の筆致で綴られています。亡くなったのは、紺屋町の与ノ字橋の袂に店を構えていたカフェー彼女のマダム、よしえさんです。現在では東北電力岩手支店や紺屋町番屋、白沢せんべい店などが立ち並ぶあの界隈は、当時… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1934 雫石川改修は進み沢田橋も着工(S9.9.2岩手日報) 昭和9年9月2日の岩手日報に掲載されたこの記事は、当時の盛岡で進められていた雫石川改修工事の壮大さを物語る貴重な記録です。記事には澤田橋の橋脚が完成したことが誇らしげに記されていますが、現在の盛岡市民にとって馴染み深いのは簗川に架かる沢田橋の方かもしれません。実は、このニュースに登場する澤田橋こそが… 続きを読む
l全県 2 9月 1934 広告欄(S9.9.2岩手日報) 昭和9年9月2日の岩手日報を開くと、現代の感覚からすると少し奇妙な光景が広がっています。地方紙でありながら、広告欄には岩手県内企業の名前がただの一つも見当たらないのです。そこに並んでいるのは、大阪や東京、広島といった都市部の大資本による「全国ブランド」ばかり。当時の地方都市が、いかに中央の消費文化に… 続きを読む
g北上・和賀郡 2 9月 1934 和賀川下流で流木を拾った住民が次々検挙(S9.9.2岩手日報) 昭和9年9月2日付の岩手日報には、当時の社会情勢を伝える興味深い記事が並んでいます。 最も大きな記事は、和賀川の下流で起きた流木の持ち出しに関する事件です。昭和9年7月29日の増水に際し、江釣子村、三ヶ尻村、岩崎村の河岸に大量の木材や薪が漂着しました。これらを付近の住民が持ち去ったため、黒沢尻署が捜… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 9月 1934 矢幅駅前に県内一の倉庫が完成(S9.9.1岩手日報) 昭和9年9月1日の岩手日報を開くと、そこには当時の矢巾地域が誇った圧倒的な活気と、世界を見据えた壮大な物語が記録されています。 徳田信用組合と、不動村・煙山村が経営する矢幅信用組合が共同で進めてきた県下一の巨大倉庫が、この日ついに業務を開始しました。この大事業は本春3月から着工されたもので、収穫期を… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 9月 1934 徴兵検査の甲種合格は下閉伊郡が1位(S9.9.1岩手日報) 昭和9年9月1日付の新聞に掲載されたこの記事は、当時の岩手県における若者たちの身体的成長と、地域ごとの徴兵検査の結果を詳しく伝えています。見出しには下閉伊郡が県内で第1位の合格率を記録したことが掲げられており、当時の社会において徴兵検査の結果がいかに重要な地域の関心事であったかがうかがえます。 記事… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 11月 1933 熱河作戦の兵士たちが盛岡に凱旋(S8.11.16岩手日報) 昭和8年11月16日付の岩手日報夕刊は、実際には前日の15日夕刻に読者の手元へ届けられました。紙面の見出しは翌日の日付を冠していますが、記事中では配送当日である15日の出来事を「けふ(今日)」と表現しており、弘前に司令部を置く第八師団の隷下として、満州事変から熱河作戦へと転戦した郷土部隊の凱旋をリア… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 11月 1933 水沢町のラジオ熱(S8.11.3岩手日報) 昭和8年11月3日付の『岩手日報』は、水沢町におけるラジオ聴取者の急増を伝えている。記事によれば、この1年ほどの間に、町内のラジオ聴取世帯は約150戸から400戸へと一気に増えたという。 Screenshot この時代、水沢町にはまだ放送局はなく、盛岡放送局(JOQG)が開局するのは昭和13年、5年… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3 11月 1933 山田線開通祝賀ムードの川井村(S8.11.3岩手日報) ――昭和8年、鉄路が村の「距離感」を変える 昭和8年(1933年)11月3日付の岩手日報に、当時の川井村が山田線の延伸をどれほど待ち望んでいたかを伝える記事が載っている。見出しは「山田線に待望の川井村地方の人々」。沿線の人々が、まさに“線路が来る日”を指折り数えている空気が伝わってくる内容だ。 Sc… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 2 11月 1933 宮古水産学校の同窓会「二八会」も遠洋漁業の発展に助力(S8.11.2岩手日報) 昭和8年11月2日付の岩手日報に掲載された、宮古水産学校の卒業生団体「二八会」による熱い決意を伝える記事をご紹介します。 この記事は、当時の岩手県における漁業の未来を切り拓こうとする若きエリートたちの情熱に満ちています。当時、宮古水産学校の卒業生有志で組織されていた二八会は、遠洋漁業を飛躍的に躍進さ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1933 岩手医専教授「リンゴをすりおろして食べれば下痢に効果あり」(S8.11.2岩手日報) 昭和8年11月1日の岩手日報には、当時の医学界を驚かせた非常に興味深い記事が掲載されています。岩手医学専門学校の根本教授が東北医学大会で発表した、胃腸病に対する新しい治療法についてのニュースです。この記事は、リンゴの産地である岩手ならではの視点から、赤痢や腸カタルといった当時の深刻な感染症に挑んだ記… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1933 八戸の男が盛岡や宮古で詐欺行脚(S8.11.1岩手日報) 昭和8年11月1日の岩手日報の紙面を眺めていると、なんとも呆れた男の逮捕劇が目に留まります。口から出まかせを並べ立てて盛岡と宮古の間を往復し、行く先々で人を欺き続けた男が、ついに年貢の納め時を迎えたという記事です。 この男は当時37歳で、昭和8年9月13日に青森刑務所を出たばかりでした。しかし更生す… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1933 岩手医専教授が胃腸病治療に「リンゴ食療法」提唱(S8.11.1岩手日報) 昭和8年11月1日の岩手日報には、当時の医学界を驚かせた非常に興味深い記事が掲載されています。岩手医学専門学校の根本教授が東北医学大会で発表した、胃腸病に対する新しい治療法についてのニュースです。この記事は、リンゴの産地である岩手ならではの視点から、赤痢や腸カタルといった当時の深刻な感染症に挑んだ記… 続きを読む
l全県 2 3月 1933 ブラジル移民大募集(S8.3.2岩手日報) 昭和8年、日本がブラジル移民を強力に推進した背景には、当時の社会が直面していた深刻な行き止まり感がありました。1920年代後半からの経済不況は、1929年の世界恐慌で決定的なものとなり、特に農村部は壊滅的な打撃を受けました。当時の日本は人口が急増していた一方で、国内の耕地面積には限界があり、あふれた… 続きを読む
l全県 2 2月 1933 山海関の戦いで本県出身兵士は(S8.2.2岩手日報) 昭和8年2月2日付の岩手日報を開くと、当時の岩手の人々がどのような緊張感の中にいたのかが鮮明に伝わってきます。この記事が書かれた当時、満州事変から続く情勢は緊迫の度を増していました。その象徴ともいえるのが、1月初旬に発生した山海関での衝突です。万里の長城の東端に位置し、満州と中国本土を繋ぐ要衝であっ… 続きを読む