h水沢・江刺・胆沢郡 1月 1日 1962 盛田カバン水沢店の初売り(昭和37年1月1日) 昭和37年1月1日の胆江日日新聞より。 盛田カバンは盛岡のカバン店として有名であったが、水沢にも支店が出ることになった。 ランドセルは牛革で750円、最上級は1800円など。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12月 20日 1961 水沢・マルサンデパートで歳末大売り出し(昭和36年12月20日) 昭和36年12月20日の胆江日日新聞の広告欄より。 水沢のマルサンデパートで歳末大売出しをする。 xマスプレゼントも用意しているという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12月 17日 1961 丹精込めて作りました人形は店内一杯です(昭和36年12月17日) 昭和36年12月17日の胆江日日新聞より。 広告欄には、水沢市内の人形店の広告が載っている。 材料とあるのがキットで、作品とあるのが完成品だろうか。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12月 14日 1961 水沢・マルサンデパート10周年記念は次は村田英雄ショー!(昭和36年12月14日) 昭和36年11月25日の胆江日日新聞の広告欄より。 水沢のマルサンデパートは開店10周年で神戸一郎・花村菊江を呼んでいたが、それだけではなく村田英雄も呼ぶという。 なかなかの豪勢ぶりであるように思えるが、村田英雄33歳のこの時点ではさしたるヒット曲はなく、紅白歌合戦の出場歴もない。 ちょうどこの月に… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 29日 1961 水沢・マルサンデパートでは10周年記念大売出しで神戸一郎や花村菊江も来ます!(昭和36年11月29日) 昭和36年11月18日の胆江日日新聞の広告欄より。 水沢のマルサンデパートでは10周年記念大売出しを行い、神戸一郎や花村菊江も呼ぶという。 神戸一郎はこの時点で昭和33年から3年連続で紅白歌合戦に出場、花村菊江は前年に「潮来花嫁さん」が大ヒットして昭和35年の紅白歌合戦に出場しており、いずれも人気歌… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 24日 1961 水沢で1961年型ナショナル電気暖房器大売り出し!(昭和36年11月24日) 昭和36年11月24日の胆江日日新聞より。 水沢市内の電気店が最新型の電気機器の広告を出している。 当時はこれが最新であった模様。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 11月 15日 1961 湯田村でダイナマイト盗まれる(昭和36年11月15日) 昭和36年11月16日の胆江日日新聞より。 水沢市の火薬店では、和賀郡湯田村の国有林内に倉庫を持っていた。 そこに、11月15日の未明に賊が侵入してダイナマイトを盗んで行ったというのである。 物騒なものが盗まれたというので、所轄の北上署から水沢署に連絡があり、緊急体制を開始したという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 12日 1961 水沢のカバン店の女子店員の初任給は6500円(昭和36年11月12日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 盛田カバン店の水沢店では女子従業員を募集している。 初任給は6500円であったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 10日 1961 盛田カバン店が水沢店開店大売出し(昭和36年11月10日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞の広告欄より。 盛岡や八戸に店舗を展開していた盛田カバン店が水沢店を出すことにしたという。 それで開店大売出しである。 そういえば盛田カバン店というと盛岡でも大通に店舗があったが、平成になってから閉店してしまった。 しかし、令和となった現在でも盛田カ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 25日 1961 スーダンの鉄道レールを釜石製鉄所で!(昭和36年7月25日) 昭和36年7月25日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所を経営する富士製鉄と八幡製鉄は、アフリカのスーダン国鉄の16,000トンの国際競争入札に応札し、8月下旬にはスーダン国鉄の総裁が来日するという。 この7月には、日本政府はスーダンに在外公館を設け、招聘していたのだ。 スーダンは昭和31年1月1日にイ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 24日 1961 釜石の橋上マーケットがいよいよいよいよ3周年(S36.3.24岩手東海新聞) 昭和33年4月1日にオープンした釜石の橋上市場も、3周年を迎えるという記事。 当時は「橋上マーケット」と呼んでいたようだ。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 10日 1961 釜石市大平に「ホテル太平洋」オープン!(昭和36年1月10日) 昭和36年1月10日の岩手東海新聞より。 釜石市大平に「ホテル太平洋」がオープンすると言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 2日 1961 釜石でも初荷を出荷(昭和36年1月2日) 昭和36年1月4日の岩手東海新聞より。 昭和36年の正月は、岩手県沿岸部では穏やかな天候だったようである。 1月2日には、初売り・初荷で車は市内の大通りを走りにぎわった。 釜石化成産業では、雪国の人たちが冬を越す練炭を積んだトラックが釜石ビル前を出発し、仙人道路を通ってないでくれ向かった。 &nbs… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10月 13日 1960 山口の自転車「スマートレデー」は13,000円!(昭和35年10月13日) 昭和35年10月13日の岩手東海新聞より。 釜石市内の自転車店では、自転車の広告を出している。 その名も「スマートレデー」。 13,000円であるという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 6日 1960 残暑を告げる釜石の花売り(昭和35年9月6日) 昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 釜石も既に残暑となっていた。 この写真記事では「夜が虫屋なら昼は花売り」と言っている。 夏から秋にかけては、ソテツやオモトがよく売れるのだとか。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 1日 1960 釜石かつぎ屋事情(S35.9.1岩手東海新聞) 「釜石残酷物語」としてシリーズものになっていた、釜石の下層生活の一端を物語る話。 この頃の担ぎ屋は、遠野あたりの農村地帯から来ていたようだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 2日 1960 一関の販売店「石油コンロで日活・東映映画ご招待!」(昭和35年7月2日) 昭和35年7月2日の岩手報知より。 一関市内のもコンロ販売店では、石油コンロで日活・東映の映画ご招待!という広告を出していた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 3日 1960 釜石の南町ってどこ?(昭和35年5月3日) 昭和35年5月3日の岩手東海新聞より。 釜石関係の記事でたまに出てくる「南町」とはどこのことか? このことが牛乳販売店の広告で分かった。 釜石の大町の中心街の1本南の通りで、製鉄所にくっついた、昔釜石警察署があった通りのことだったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 8日 1960 浩宮さま御生誕記念で川徳デパートでは赤ちゃん写真募集(昭和35年3月8日) 昭和35年3月8日の岩手日報より。 この年の2月23日に浩宮徳仁殿下がお生まれになった。 そこで、盛岡の川徳デパートでは赤ちゃんの生活写真を募集することにしたのである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 15日 1960 松屋デパートでは淡々と冬物大見切り市(昭和35年1月15日) 昭和35年1月15日の岩手日報の広告欄より。 川徳で成人の日のお祝いを出しているのに対し、松屋デパートでは淡々と冬物見切り品をバーゲンに出している。 この当時の物価水準が分かるのではないだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 15日 1960 川徳デパートでは成人の日を祝う広告(昭和35年1月15日) 昭和35年1月15日の岩手日報の広告欄より。 川徳デパートが成人の日を祝う広告を出している。 松の内が明けたこの時期でも「初春衣装」は展示していた模様。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 7日 1960 釜石・及新デパート「冬物衣料大特売会」(昭和35年1月7日) 昭和35年1月7日の岩手東海新聞より。 釜石の及新デパートでは冬物の大特売会であるという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 5日 1960 東北一の商港は釜石港(昭和35年1月5日) 昭和35年1月4日の岩手日報より。 昭和34年1月~12月の港別の輸出入で、釜石港は輸出55372トン、24億8300万円、輸入は99万1600トン、61億9300万円で東北で一位であったという。 輸出はブラジル・タイ・台湾向けのレールが主で、輸入は鉱石・スクラップ・石炭といずれも釜石製鉄所に関係す… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1960 昭和35年の釜石の初売り広告たち(S35.1.1岩手東海新聞) 昭和35年、元旦の岩手東海新聞は、釜石市内の各店舗の初売り広告で埋め尽くされている。 この記事を書いている令和5年現在、現存する店は無いのではないだろうか。 … 続きを読む
m県外・参考 1月 1日 1960 日興証券仙台支店「繁栄の1960年 マネービルを始めましょう!」(昭和35年1月1日) 昭和35年元旦の岩手日報の広告欄より。 日興証券仙台支店が「マネービルを始めましょう」と広告を打っている。 マネービル… なんだか懐かしい響きである。 少なくとも昭和50年代中頃まではこんなコピーを見ていた覚えはある。 ところで、他の広告が七十七銀行だったり三色最中だったり、仙台の企業のものばかりだ… 続きを読む
g北上・和賀郡 12月 2日 1959 北上で東北最後の馬市(昭和34年12月2日) 昭和34年12月2日の岩手日報より。 このシーズンでは東北で最後に開催される北上の馬市は、北上市馬検場で北海道産馬1000頭を集めて開催された。 まだ農耕や移動には馬力が必要だった時代である。 北上(黒沢尻)の馬市は、東北で最後の「おせり」として、関東や関西からも集まるにぎやかなものであったという。… 続きを読む